■ノバディノウズ 01■


 火薬の匂いがした。

  自分の息づかいがやけに大きく聞こえる。周囲は暗い。時折風が吹いて、頭上で木々がざわざわと気味の悪い音を立てて揺れた。空気は冷え切っていてこごえそうだ。おれは視線を横に向けた。側には大きな山犬がいる。赤ん坊の頃から、ずっとおれが世話をしてきた頼もしき相棒である。

「……じっとしていろよ、太郎丸」

 おれは太郎丸の首筋に手を添えて囁いた。鋭い目が、待機するのはもう飽きた、とでも言うようにこちらを見る。おれは太郎丸と視線を合わせ、ふっと笑った。彼の気持ちはよく分かる。おれだって、この寒い中でじっと待つのは辛い。

「……八左ヱ門」

 木の上から、声がした。おれはそちらを見上げて人影を確認する。久々知兵助であった。やっと伝令が来た。おれはほっとした。そろそろ足にしもやけが出来そうだったので助かる。

「兵助か。状況は」

「三郎と雷蔵が進路をこじ開けた」

「やっぱり、あいつらは頼りになるな」

 おれは思わず笑顔になった。同じ組の、鉢屋三郎と不破雷蔵。忍術学園いち、息の合ったふたり組である。彼らに出来ないことはない。

 兵助は、静かな声でこう続けた。

「合図の石火矢が放たれたら、一気に突っ込んでくれ」

「了解した。兵助は?」

「おれは、怪我人の回収に当たる。武運を祈るぞ」

「ああ、お前もな」

 おれがそう言った直後、兵助の気配は闇に溶け、跡形もなく消え去った。

  おれは冷たい息を胸一杯に吸い込み、両手で軽く自分の頬を叩いた。それから、突撃のときを今か今かと待ちわびる相棒に、向き直る。

「さあ、いよいよだ。頼むぞ、太郎丸。おれたちで、決めてやろう」











「うわっあああああ!!」

 絶叫と共に、おれは跳ね起きた。そして急いで周囲を見回し、今自分のいる場所を確認する。脱ぎっぱなしのジーンズに最近イヤホンが見当たらないiPod、枕元にはいい加減機種変更をしたいと思っている黒い携帯。

  ……ああ良かった。おれの部屋だ。現実だ。現実だ!

 おれは心底ほっとした。しかし直後、またいつもの夢を見てしまったことに酷く落ち込むのである。

 このところ、毎日のように訳の分からない夢を見る。内容は毎回違うが、設定はいつも同じだ。

 何故かおれは、夢の中ではいつも忍者なのである。

「中二病ダメッ、絶対!」

 おれはベッドの上でもんどりうった。だって忍者だ。忍者である。高校生にもなって忍者になる夢である。これがもし、ニンニン方面の忍者になる夢、とかそういうのだったならばまだ良かった。ネタに出来る。しかしおれの見る夢はどうやらガチである。本気の勢いが伺える忍者っぷりなのである。さらに狼なんか従えちゃって、ちょっと格好いいところが救えない。

「何……? おれってそんな、忍者になりたいの……?」

 あまりの恥ずかしさと痛々しさに、手が震えてきた。意味が分からない。何で忍者なんだ。それに毎回、知っている奴が出て来るのも嫌だ。鉢屋三郎と不破雷蔵は、同じ高校のクラスメイトだ。夢の中では、ふたりもおれと同じく忍者である。

  あともうひとり、久々知兵助という男。そいつは知らない。知らないはずなのに、知っている。現実では会ったこともない人間なのに夢ではしょっちゅう一緒にいて、久々知兵助が真面目な優等生だとか、豆腐が好きだとか、やたら低くて良い声をしているとか、そういう細かいことを何故か夢の中のおれは知っているのである。

 時代は、今よりもずっとずっと昔のようだ。電気やガスもないような時代。多分、戦国時代だ。日本史は得意ではないけれど、火縄銃なんかも登場したりするから、その辺の年代なのだと思う。

 おれ、三郎、雷蔵、それに久々知という男は忍者を育てるための学校に通っている。机に向かって兵法やら忍術やらの知識を詰め込んだり、委員会で毒虫を追い回したり、厳しい訓練で吐きそうになったり、たまの休みに街で仲間たちと羽目を外したり。そんな夢をしょっちゅう見るのである。

  困る。正直困る。これは一体何だ。何なのだ。深層心理は、一体、おれにどうしろというんだ。

 ……ええと……もしかして……これは……。

 ……前世の記憶、とか……?

「あっあああっ!」

 おれは更に恥ずかしくなって頭を抱えた。前世の記憶とか本当に勘弁して欲しい。そんな邪気眼はいらない。おれは普通に彼女が欲しい。巨乳でえろい年上のお姉さんと付き合いたい。でも、くのいちみたいな怖い女は絶対嫌だ……って、違う、それは夢の話だ!

「もー! 中二病って何処で治んの!」

 そう叫んでベッドにうつぶせると、すぐ横の壁が、ドン、と向こう側から蹴られた。兄貴である。

「うっせーよ死ね!」

 壁越しに兄貴が怒鳴ってくる。ムッとしたので「お前が死ね!」と怒鳴り返し、殴り込みを防ぐために素早く部屋の鍵を掛けた。すると、兄貴がすぐさま部屋から出て来る気配がする。

「ああー、ほんとどうしよ……。おれ、精神科とか行かないと駄目なのかな……」

 兄貴がおれの部屋のとびらをガンガン殴り、てめー開けろやクソガキ、などと罵声を発するのをBGMに、おれは悶々と悩んでいた。(兄貴は放って置いて構わない。あと2分ほどで、最終兵器・母ちゃんが「夜中に騒ぐんじゃありません!」と言って出てくるから)

「もう、マジへこむ……!」

 本当に、中二病だけは嫌だ! 絶対に! ノーモア中二病!



   

※ニンニン方面の忍者=「忍者ハットリくん」
※邪気眼=中二病患者に現われる特質。「オレが、もう一人のオレを押さえ込んでいる隙に……みんな逃げろ!」とか「力が……力が暴れ出す……!」とかそういう。