■そういう星の下  前編■


「毎度、ありがとうございました!」

 深々と頭を下げる薬店の店主に会釈を返し、善法寺伊作は店を出た。薬の買い付けは全て終わったし、さあ学園に戻ろうと足を踏み出した瞬間、思わぬものを見付けて立ち止まった。

(あれは、タソガレドキの……)

 伊作は素早く、物陰に身を寄せた。一軒の店の前で、商品をあれこれ物色しているひとりの男。それは間違いなく、タソガレドキ軍の忍び組頭、雑渡昆奈門であった。笠をかぶり浪人風の出で立ちであったが、それでもあの特徴的な面相は見間違えようがない。

 雑渡が熱心に眺めている品物を確認し、伊作は我が目を疑った。彼が先程より真剣に吟味しているのは、女物のかんざしであったのだ。藤房かんざしに、牡丹をあしらったかんざし。ひとつひとつ手に取っては、じっくりと品定めをする。

  何度か店の者と言葉を交わし、悩む素振りも見せつつ、結局雑渡は珊瑚の玉かんざしを一本買い求めた。

(す、すごいところを見ちゃったなあ……)

 伊作は何とも言えない気持ちになってしまった。タソガレドキ軍の忍び組頭といえど人間だ。女物の飾りを買ったって何もおかしなことはない。おかしくはないのだが、実際目の当たりにするとどうにも不思議な気分になる。彼はあのかんざしを、一体誰に贈るのだろう。それとも、自分が女装するときに使うとか? まさか。

  つい雑渡の女装を想像しそうになり、慌てて伊作は思考を打ち切った。

 雑渡が歩き出す。伊作は無意識に、後を追っていた。園田村の一件以来、タソガレドキ軍と忍術学園との目立った関わり合いは無い。だから追跡などする必要はないし、むしろ深追いは危険だと重々承知しているのだが、何となく雑渡の背中から目が離せない。彼と同じ方向に足が向くのを止めることが出来ない。

  かんざしを買った後、この男が何処に行くのかが気になった。もしかしたら、かんざしを誰かに渡すのかも。

 雑渡は、茶店に立ち寄った。店先の縁台に腰掛けていた若い男が、雑渡の顔を見て眉を寄せる。

「お頭、遅かったじゃないですか。待ってる間に、団子を三皿も食っちゃいましたよ」

 若い男は、非難めいた口調で言った。雑渡をお頭を呼ぶということは、彼もタソガレドキの忍者ということか。伊作は身を隠して気配を消し、彼らに気付かれないように様子を窺った。

「すまんすまん、つい寄り道しちゃった」

 そう言って雑渡は男の隣に腰を下ろし、茶を注文した。

「しちゃった、ってあんたねえ……どうせまた無駄遣いしたんでしょう」

 タソガレドキ忍者は、雑渡の荷物を指さし咎めるような口調で言った。

「失礼な。必要なものしか買ってないぞ。例えばこれ」

 雑渡は荷物を解き、中身を部下に見せた。伊作は彼らの背後に潜んでいたので、その手元を窺うことは出来なかった。

「……何ですか、これ。積み木じゃないですか。何に使うんです」

 タソガレドキ忍者が、驚きと呆れが入り交じったような声をあげた。積み木? と、伊作も首を傾げた。かんざしを買う前に、積み木も買っていたということか。謎の忍者とかんざしと積み木。ますますもって、訳が分からない。

 しかし積み木の謎は、存外あっさりと解けた。雑渡が、こう言ったのである。

「ほら、足軽大将の六平くんとこ、子どもが産まれたろう。だから出産祝い」

「どんだけ律儀なんですか、もう」

 タソガレドキ忍者は呆れた様子で溜め息をつく。伊作も拍子抜けしてしまった。雑渡は積み木を手で弄びながら、続ける。

「だって六平くん、毎年大根の千枚漬けをくれるし」

「ああ、あれ、美味いっすよねえ」

「だろう? 日頃のお礼も兼ねて、って奴だ」

「……お頭、そのお祝い、わたしと連名にしてもらっちゃ駄目ですかね」

「駄目だよ。自分で用意しなさいよ」

 雑渡は部下を手で払うような仕草を見せた。

「ええー、ケチなんだから。……まあ良いや。それじゃ、この揃いの茶碗は?」

「ああ、それは鉄砲隊の寛一くんの結婚祝い」

 雑渡の答えに、タソガレドキ忍者は処置無し、とでも言いたげに肩をすくめた。

 気が抜けてしまうくらい、他愛のない会話であった。しかしそれは建前で、何気なく交わされる言葉の中に暗号が仕込まれているのかもしれない。

(……でも、タソガレドキ軍の暗号なんて全然分かんないしなあ。なんとなく後を尾けちゃったけど、やっぱり帰ろうかな)

 そう考えた直後、タソガレドキ忍者が、先程雑渡が買い求めたかんざしをひょいと持ち上げた。

「それじゃあ、このかんざしは?」

 何故か伊作はどきりとした。視線を彼らに戻す。ついに、かんざしの謎が解けるときが来た。

「ああ、このかんざしはだな」

「……お頭、ちょっと待って下さい」

 軽く手を挙げ、タソガレドキ忍者が雑渡の言葉を遮った。その瞬間、伊作の脳にやばい、という信号が走った。気取られた。そう思うと同時に、足が動いた。息をするよりも素早く身を翻し、この場を離脱すべく地面を蹴る。

  それと同時に、わらじの鼻緒が切れた。出足が遅れる。最悪だ。何でまた、こんなところでそんな不運に見舞われるんだと、伊作は我が身を呪いたくなった。