■開花の音 06■
雷蔵は、三郎の手を引いて教室に向かった。
「そんなに引っ張らなくたって、逃げないよ」
という三郎の不満そうな声が聞こえたが、雷蔵は無視した。きちんと教室に連れてゆくまでは、安心出来ないからだ。目を離したら、また何処かに行ってしまうかもしれない。
「教室に行ったら、みんなに謝るんだよ」
三郎を振り返ってそう言うと、「ええー」という不満げな声が返って来た。
「ええーじゃないよ。みんな、夜中にも関わらず三郎のことを心配して、必死で捜してくれていたんだから」
「心配してというか、先生に言われて嫌々捜していたんだろう」
即座に言い返されて、雷蔵は言葉に詰まってしまった。彼は頭が良いから、分かっていないようで分かっている。なので非常にやりにくい。
「……とにかく、たくさん迷惑をかけたんだから、謝らないと駄目だよ」
「どうしても?」
「どうしても!」
そんなやり取りをしていたら、前から八左ヱ門が歩いて来るのが見えた。
「あっ、八左ヱ門だ。……ほら、三郎」
雷蔵は三郎の身体を前に押しやった。八左ヱ門の正面に立たされた彼は嫌そうに身体を僅かに捻ったが、雷蔵は更にその背中をぐいと押す。
「よう、三郎に雷蔵」
八左ヱ門はいつもの屈託のない笑顔で挨拶をした。三郎は、首を回して雷蔵の方に顔を向ける。雷蔵は声を出さずに口だけ動かして、「ほら、早く」と促した。そうすると三郎は八左ヱ門に向き直り、しばらくの沈黙ののち小さく頭を下げた。
「……昨日は、ごめん」
あまりに心のこもらない言い方だった為、雷蔵は心臓が冷えるのを感じた。反射的に、三郎の腕を力を込めて掴む。そんな物言いをして、相手を怒らせたらどうするんだ。
しかし八左ヱ門は、特に気にした様子は見せなかった。
「うん、いーよ! なんか面白かったし」
と、歯を見せて朗らかに笑う。雷蔵は、腰から力が抜けそうになった。怒らせずに済んで良かった。八左ヱ門が大らかな性格で、本当に良かった。
「そんで三郎、おまえ結局何処行ってたんだ?」
「裏山」
「何しに?」
「雷蔵のために、びわを取りに」
何もそんなことを正直に言わなくていいのに、と雷蔵は心底焦った。しかしやはり八左ヱ門は全く気にしていないようで、「へえ、びわの木なんかあるんだ!」と楽しそうな声をあげる。雷蔵は、ほっと息を吐き出した。全く、三郎の行いや言動には、いつもひやひやしてしまう。
こんな風に、彼らは一年ろ組の生徒全員に謝って回った。三郎は終始ああいう調子だったので、大抵の生徒は嫌そうな顔をした。なので、そういうときは雷蔵も一緒に謝った。必死で頭を下げて、「雷蔵がそこまで言うんなら……」と、どうに許してもらう。
少し、雷蔵は納得がいかなかった。本当は、三郎こそがこうやって一生懸命謝らないといけないのに。その辺りのことを注意したかったが、始業の鐘が鳴って先生が教室に入って来たので出来なかった。
出席を取り終えた先生は出席簿を教卓に伏せ、ひとつ息を吐いた。
「授業の前に」
先生は短く言って、三郎の方を見た。
「三郎、昨日のことは反省しているか」
「はい」
三郎は神妙な調子で頷いた。隣で雷蔵は、絶対に嘘だと思った。お面の奥では、やる気のない顔をしているに違いない。
しかしそれ以上、先生がそのことについて言及することはなかった。
「それじゃあ、今日は最初に委員会を決める」
先生の言葉に、教室がざわつく。委員会。そうだ、昨日の騒ぎで委員会のことをすっかり忘れていた。
忍術学園にはさまざまな委員会があって、必ずどれかに所属しなければならない。自分は一体どの委員会になるのだろう、と雷蔵の胸はどきどきした。雷蔵は本が好きなので、図書委員になれれば良いなと思った。
「各委員会は投票で決めるが、学級委員長だけは先生が指名することにする」
学級委員長はろ組の代表で大切な役割だものな、と雷蔵は納得した。教室全体に、何処か浮ついた空気が流れる。
「学級委員長は……」
一体誰が学級委員長に指名されるのか、皆は固唾を呑んで先生の言葉の続きを待った。
「三郎、おまえがやれ」
先生はそう言って、真っ直ぐに三郎を指さした。三郎以外の皆は一斉に、ええっと大きな声を上げた。学級委員長というのは、皆をまとめて引っ張ってゆく役どころのはずだ。それを、確かに優秀ではあるけれど、誰が見ても変わり者で騒ぎを起こす鉢屋三郎に任命するなんて。先生は何を考えているのだろうと雷蔵は思った。多分、誰もが同じことを考えたに違いない。
「三郎は優秀だが、はっきり言って問題児だ」
ざわつく生徒たちに向かって、先生はそう言い切った。たちまち教室内のざわめきがすうっと引き、生徒たちは先生の声に耳を傾ける。
「だから三郎は学級委員長になって、全体を見る力をつけなさい。忍びは、常にひとりで行動するとは限らないのだから」
先生の言っていることはもっともだし、雷蔵も三郎にもっと周りを見て欲しいと思っていた。だけどこれから三郎についてゆかなくてはならない雷蔵たちは、一体どうなってしまうのだろう。
ろ組の面々は、いっせいに三郎に注目した。雷蔵もどきどきする胸を押さえて、隣の三郎を凝視した。動揺した様子は全くなく、いつも通り背筋を伸ばして前方を見つめている。
「はい、分かりました」
やがて鉢屋三郎ははっきりとそう言って、首を縦に振ったのだった。それから教室内は、嵐が来たように騒がしくなった。
混乱の収まらないまま他の委員会を決めるための選挙が行われ、雷蔵は希望通り図書委員に所属することが出来た。しかしその喜びよりも、三郎のことが心配でならなかった。いきなり学級委員長だなんて、大丈夫なのだろうか。雷蔵はまるで自分のことのように、胃がきゅっと縮むのを感じた。
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