■開花の音 03■
雷蔵が忍術学園に入学して、ひとつきばかりが過ぎた。
三郎は相変わらず、四六時中お面をつけている。雷蔵は、これは先生に怒られるんではないだろうかと心配していたのだが、先生曰く「忍者は顔を知られないことが大事だ」とのことで、お面のせいで三郎が怒られることはなかった。忍者の学校って変だ、と雷蔵は思った。
「雷蔵、夕飯を食べに行こう」
授業が終わって、三郎は雷蔵の肩を叩いた。今日の顔は、翁の面だった。彼は鬼以外にもたくさんの面を持っているらしく、ちょくちょく顔が変わっていた。
「うん」
雷蔵は頷いた。同室ということもあって、雷蔵はなんとなく三郎と一緒にいることが多かった。お面は少しだけ慣れたけれど、彼のことはやっぱり掴めないままだ。
しかしひとつだけ、三郎がとても優秀であるということだけは分かった。入学したてなので、基本的に全員どんぐりの背比べなのだが、三郎だけは違った。教科も実技も何もかも、頭ひとつ分飛び出ている。
いつだったか「三郎は忍者の家系なの?」 と聞いてみたら、「そうだよ」と答えたのでそうなんだと思っていたら、他の生徒から同じことを聞かれたときは「違うよ」と答えていた。とかく三郎の言うことはころころ変わるので、何が本当で何が嘘なのかが全く分からない。
「忍者はどんな些細なことであっても、自分の情報を漏らしてはいけない」
と、三郎はそう言っていた。それは一番最初に習ったことだから雷蔵も知っているが、これから六年まで一緒に過ごすのだから、少しくらい本当のことを話してくれても良いのに、と思う。
「雷蔵、何を食べる?」
三郎の声に、雷蔵は我に返った。いつの間にか、食堂に着いていた。壁に掛けられた献立表を見上げる。今日の定食は、焼き魚と野菜炒めの二種類だった。
「えーと、どっちにしよう……」
雷蔵は考え込んだ。忍術学園の食事は何でも美味しいから、迷ってしまう。献立表の前で立ち止まってうんうん唸っていると、三郎が首を傾げてこちらを見た。
「雷蔵って、あれこれ迷う性質? 昨日もその前も、献立を決めるのに随分時間がかかってたけど」
その言葉に、雷蔵は目を瞬かせた。そんなこと、考えたこともなかった。しかし言われてみたら、確かに自分は物事を決めたり選んだりすることが至極苦手であることに気が付いた。
「あ、うん、そうかもしれない。どうしても、すぐに決められなくって」
なんとなく照れくさくなって、雷蔵は笑って首筋を掻いた。
「雷蔵、忍者に向いてないんじゃない」
三郎は静かに、しかしはっきりとそう言った。雷蔵は一瞬、笑った顔のまま固まってしまった。
「……え?」
恐る恐る聞き返す。声が震えてしまう。忍者に向いていない、と聞こえた。忍者になるためにこの学校に来ているのに、そのひとことは大きな衝撃だった。
「忍者の三病って言って、迷い癖って忍びにとっては致命的なんだぜ。一瞬の判断の遅れが死に繋がることが、多々あるから。雷蔵みたいに迷ってばかりじゃあ、忍者の仕事は出来ないよ」
淡々とした三郎の言葉は、真っ白になった雷蔵の頭にどんどん投げ込まれていく。彼の言うことはとても理に適っていて、忍術学園に入学して間もない雷蔵にも理解出来た。今のところ授業にはついて行けているから、自分に忍者としての欠点があるなんて思いもしなかった。
「……それじゃあ」
雷蔵は呆然としつつ、口を開いた。
「それじゃあ、ぼくは忍者になれないの?」
そう言った瞬間、とてつもなく大きな絶望と悲しみが全身にのしかかってきて、雷蔵はこめかみがぎゅっと絞られるような感覚を覚えた。
「……そうは言ってないけど」
相変わらず、三郎はどんな表情をしているのか全く読み取れない。それが更に、雷蔵を不安にさせた。
「でも、迷い癖があったら、忍者の仕事はできないんでしょう?」
雷蔵は咳き込むように言った。三郎が返事をするよりも先に、両目から涙がこぼれ出した。もしかしたら忍者になれないのかもしれない、と思うと堪えることが出来なかった。
「うっ、うああああっ」
雷蔵はその場にしゃがみ込んで、声をあげて泣いた。周りの生徒たちが、何だ何だとどよめき出した。涙がひっきりなしに溢れてくる。入学してまだひとつきしか経っていないのに、忍者に向いていないだなんて悲しすぎる。それに教科や実技なら努力で挽回出来るけれど、持って生まれた性質はもうどうしようもないのではないか。雷蔵はそれが悲しくてならなかった。
「何だ、何の騒ぎだ」
先生らしき人の声が、食堂に飛び込んできた。そして大股でこちらに近付いて来る。雷蔵の肩に、大きな手が置かれた。
「おい、どうしたんだ。何をそんなに泣いている」
聞いたことのない声だった。雷蔵は顔を上げてみたが、視界が歪んで先生の顔は全く見えなかった。
「先生、先生っ、ぼく、忍者になれないんでしょうか」
雷蔵は、誰とも分からない先生の腰元に縋り付いた。先生は、「うん? どうしてそう思うんだ」と面食らった様子で言った。
「だ、だってぼく、迷い癖があるから、忍者のさんびょうだって」
しゃくりあげながら、雷蔵は言う。涙が止まらなかった。
「何だ、意地悪な先輩にでもそう言われたのか?」
先輩に言われた訳ではないのだが、状況を説明しようにも頭の中はぐちゃぐちゃだし口からは嗚咽ばかりが漏れてくるしで、雷蔵は泣きながら首を横に振ることしか出来なかった。頭上で、先生が息を吐き出す気配がする。肩にのせられていた先生の手が、頭に移動した。
「まだおまえは一年生で入学したばかりなんだから、そんなこと気にしなくて良い」
先生は、やさしい口調でそう言ってくれた。一瞬雷蔵の涙は引っ込んだが、それでもすぐ三郎の言葉が頭に蘇って、また不安な心持ちになった。
「でも……」
声を震わせる雷蔵の頭を、先生は少し乱暴にぐりぐりと撫でた。それから、笑い声混じりでこう言った。
「大丈夫だ。心の訓練をすれば、迷い癖だって克服出来るから」
それで、ようやく雷蔵は顔をぱっと上げた。克服出来る、という言葉に頭の中が少し明るくなった気がした。まだ視界が霞んで先生の顔はよく見えないが、笑顔であることがぼんやり窺えた。その表情を見て、ようやく雷蔵の胸は軽くなった。
「本当ですか?」
「本当だ」
先生はしっかりと頷いた。雷蔵は目をこすった。目の前がはっきりして、先生の顔がよく見えた。髭を生やした、年配の先生だった。
「心の訓練をすれば、ぼくも忍者になれますか?」
「ああ、なれる」
「良かった……!」
「だから、しっかり頑張るんだぞ」
「はい!」
雷蔵はやっと笑顔になった。頑張れば忍者になれるのだと先生に保証して貰って、安心した。頑張ろう、と思った。たくさんたくさん努力して、立派な忍者になるんだと決意を新たにした。
「それで、一体誰が三病の話をしたんだ?」
先生は言って、首を巡らせて周りを見た。周囲にいた生徒たちが、自分じゃない、というように一斉に目をそらす。
「それは……」
雷蔵は口ごもった。三郎のことを話すかどうか、迷ってしまう。ああ、こうやってすぐに答えを出せないのが駄目なんだ、と思うと同時に、いつの間にか三郎の姿が消えていることに気が付いた。
「あれ、三郎?」
雷蔵は辺りを見回した。あんなに近くにいたのに、三郎は何処にも見当たらなかった。食堂を一周してみたが、やっぱりいない。
言うだけ言って、姿を消すなんて酷い。ぼくは三郎の物言いに、深く傷付いたのに。
雷蔵はなんとなく腑に落ちない気分になって、顔をしかめた。
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