■開花の音 02■


「……三郎、ほんとうに、そのままで授業に出るの……?」

 雷蔵と三郎は、ふたり並んで教室へ向かっていた。三郎は、鬼の面をかぶったままだ。廊下ですれ違う生徒たちが皆、何だ何だとこちらを振り返る。雷蔵は、それが恥ずかしくてならなかった。

「うん、このまま出るよ」

 三郎は、こともなげに言った。何か問題でもあるのか、とでも言いたそうな口ぶりであった。

 お面を取って、普通に歩いて欲しいな……。

 と雷蔵は思ったが、先程三郎に打たれた記憶が色濃く心に残っていて、言い出すことが出来なかった。

 ……だけど、さっきはぼくも悪かった。誰にだって触れて欲しくない部分はあるのだから、いきなりお面を取ろうだなんて軽率な真似はするべきじゃなかった。

 雷蔵は自らの行いを反省しつつ、そっと、未だ熱の引かない頬に手を当てた。まだ入学初日なのに、嫌われてしまっただろうか。雷蔵はため息をつきたくなった。

「雷蔵」

 三郎に名を呼ばれて、雷蔵は顔を上げた。鬼の顔がこちらを見ている。何度相対しても、ぎょっとしてしまう。

「……何だい、三郎」

「痛い?」

 三郎は言って、雷蔵の頬に触れた。鬼の形相と手の小ささ、そして柔らかさとの落差に戸惑ってしまう。

「い、いや……」

 雷蔵は曖昧な返事をした。実際はまだ痛いのだが、どう答えて良いのかよく分からなかった。ゆっくりと、三郎の手が離れていく。

「ごめんね、雷蔵」

 三郎は、小さな声で謝った。

「……っ! う、ううん! ぼくこそ、ごめん」

 雷蔵は勢いよく首を横に振った。同時に、何だそんなに悪い奴でもないじゃないか、と安心した。

 しかし次の瞬間、強い力で三郎に肩を掴まれて、雷蔵は身体を竦ませた。足が止まる。三郎の鬼の面が、先程よりも迫力を増したように感じられた。

「そうやって簡単にほだされていたら、命なんてすぐなくなってしまうぜ」

 三郎は雷蔵に顔を寄せ、つめたい口調で言った。雷蔵は息を呑み込む。口と喉が固まってしまって、息が出来なかった。やがて、三郎が面の向こうで軽く笑う気配がした。

「冗談だよ。そんなに怯えるなよ」

 そう言って、三郎は軽く雷蔵の肩を叩いた。くるくる変わる三郎の態度についてゆけず、雷蔵はぽかんと口を開けた。三郎はそんな彼に一瞥をくれ、さっさと歩いて行ってしまう。雷蔵は慌てて後を追った。本当に、ぼくはこいつとやっていけるんだろうか……と、不安が募るばかりだった。






 一年ろ組の教室に入った瞬間、室内がざわついた。その原因は明らかに三郎である。しかし三郎は全く気にしていない様子で、大股で教室の中に入った。雷蔵も下を向いて、三郎に続く。

「びっくりした……」

「本当に鬼かと思った」

 小さな囁き声が、さわさわと耳に入って来る。雷蔵はまるで自分が注目されているようで、とても恥ずかしくなった。なるべく早く三郎と離れたくて、急いで自分の席を探した。するとどうやら席は部屋順のようで、三郎と雷蔵は隣同士だった。雷蔵は軽く絶望を覚えた。

「なあ、お前、名前なんて言うの?」

 雷蔵たちが席についてまもなく、ぼさぼさ頭の少年が彼らの側にやってきた。三郎はちらりと少年を見やり、「鉢屋三郎」と短く答えた。

「お前は?」

 ぼさぼさ頭の少年がこちらに顔を向けたので、若干緊張しながら「あ、不破、雷蔵」と雷蔵も名乗った。すると少年は、白い歯を見せて笑った。

「おれ、竹谷八左ヱ門。よろしくー」

 あ、何だかこいつは良い奴そうだ、と雷蔵はすぐに思った。会ったばかりだけれど、きっと明るくて気持ちの良い奴なんだろう。まともな友達が出来そうで、雷蔵は大層嬉しくなった。

 八左ヱ門は再び三郎に目を戻して、無邪気な口調でこう言った。

「なあなあ三郎。何でお前、そんなお面してんの?」

 雷蔵は、どきりとしてしまった。さきほどの自分を見ているようだ。もし八左ヱ門が三郎の面を取ろうとしたら、今度は彼が殴られてしまう。どうしよう、止めた方が良いだろうか。雷蔵は、うろうろと視線を彷徨わせた。

 三郎はゆっくりと、八左ヱ門を見た。

「じゃあお前は、何でお面をしていないんだ」

 淡々とした三郎の言葉に、八左ヱ門は虚を突かれたように目をぱちぱちさせた。

「何でって……、普通しないじゃん」

「普通って誰が決めた?」

 机に軽く肘をついて、三郎は言う。面白がっているふうだった。雷蔵は、はらはらして仕方がなかった。しかし口を挟むことも出来ず、ただ見ているだけだった。

「えー何だよ、お前、わけ分かんないな」

 八左ヱ門は顔をしかめた。三郎は、ふっと笑う。

「お前の方が分からないよ」

「そんなことねえよ、絶対お前の方が変だよ。なあ、雷蔵」

 突然話を振られて、雷蔵は一瞬固まってしまった。雷蔵だって八左ヱ門の言い分の方が普通だと思うが、首を縦に振って良いものか迷ってしまう。

「え、ええと」

 どうとも答えられずにもじもじしていると、教室の扉が勢いよく開かれた。入り口に黒い装束を着た先生らしき男性が立っている。

「こら、鐘はもう鳴ってるぞ! 早く席につけ!」

 先生はよく通る声で言い、席を離れていた八左ヱ門はぴゃっと自分の席に戻った。雷蔵は、ほっと息を吐いた。良かった、答えずに済んだ。安心していると、隣から視線を感じた。みると、鬼の顔がじっとこちらを見ている。

「な、何だよ」

 相変わらずの威圧感に若干怯みながら言うと、三郎は低い声で、

「正直に言えば良いのに」

 と囁いた。その言葉は雷蔵の胸に深く突き刺さり、彼は三郎から目をそらして膝の上で拳を握り締めた。