※子細な描写は避けておりますが、流血と臓物を含みます。
■フロウハロウ 05■
「……臓物が凄い」
「安直な発言を有難うよ、竹谷くん。良いから手を動かせよ」
「いや、鉢屋くん。だってこれ臓物が凄いよ。きっついよ」
「この死体を処理するまで、帰れないんだぞ」
「えええ、何でおれらなの? おかしくない? さっき、食満先輩と七松先輩がいたじゃん。あの人らがやっても良いじゃん」
「汚れ仕事は下に回ってくるんだよ。ぐだぐだ言わずに穴掘り手伝えって」
「喜八郎にやらせようぜ、だったら。汚れ仕事は下に回していいんだろ?」
「四年は北の橋を補修してるって」
「じゃあ三年」
「三年はそもそも、来てない」
「何だよもおお。触りたくねえよおお」
「五月蠅い。無駄口叩かずに作業しろよ」
「くっせえしさああ……」
「次喋ったら、委員長権限で減点するからな」
「なっ、おまっ」
「減点一」
「ひっで……お前、雷蔵と別の班になったからって、機嫌悪すぎ……」
「減点二」
「…………」
おれは目を覚ますなり、ダッシュでトイレへと駆け込んだ。凄まじい吐き気に襲われる。おれを便器に顔を伏せたが、吐瀉物が喉元に上がってくる気配はなかった。胃がごろごろいっている。気持ちが悪い。だけど吐けない。一番嫌なパターンだ。
ああ、ああ!
なんというグロい夢だ!
ちくしょう最悪だ。本当に最悪だ。スプラッタなんて大嫌いだ。臓物丸出しの死体なんてもっての他だ。漫画なんかで見るのすら苦手なのに、総天然色のリアル画像だった。しかもアップでご登場である。あちらさんと、目までしっかり合ってしまった。終わっている。もうこれで、当分ミンチとモツは食えない。ああもう、最悪だ。最悪だ!
ここまで血なまぐさい、ていうかモロすぎる夢を見るのは初めてだった。まさかあんなえぐいものが出て来ようとは。ああもう嫌だ。最低だ。頭まで痛くなってきた。
……しかしよく考えたら、忍者なのである。ああいったことも、日常茶飯事だったのかもしれない。
ということは、何だ。また、あんな夢を見るかもしれないってことか?
「…………っ」
おれはえづいた。しかし何も出て来ない。せめて吐くことが出来たら、少しは胸も楽になるかもしれないのに。
無理だ、と思った。こんなのは無理だ。あんなグロい夢はもう御免だ。ああ、そんなことを考えていたら、また思い出してしまった。道端にうち捨てられた、生々しい死体。夢の中のおれは、結局あの死体を処理したんだろうか。したんだろうな。だって嫌がってはいたけれど、何処か、「しょうがないなあ」みたいなそんな雰囲気だった。信じられない。しょうがなくねえだろ、どう考えても。
……ということは、触った? あれに? おれが? この手で?
おれはふたたび、顔を伏せた。やっぱり何も出て来ない。唾液だけがぽたぽたと落ちる、胸と喉が熱い。腹は冷たい。頭は……よく分からない。目が回る。死にそうだ。ああ駄目だ。死にそう、なんて、また思い出してしまう。あああ。あああああ。
いつもならがっつり食う朝食も、まったく喉を通らなかった。五年ぶりくらいに、家族に心配された。丈夫なだけが取り柄なのに、と。それは、おれ自身もそう思う。もっと打たれ強いタチだと思っていたのに。いやしかし、あれは駄目だ。あんなの反則である。
ああ、また気分が悪くなって来た。今日は学校を休もうかと思った。しかし、部屋にひとりでいたら、あのグロい夢の残像が浮かんできそうだった。それは絶対に嫌だ。なので仕方なく、登校することにした。
ふらつく足で、自分のクラスではなく、まず一組に向かった。昔の出来事を全てを知っているという久々知兵助にも、やっぱり、ああいうえげつない記憶があるのだろうか。きっと、あるのだろう。そうならば、おれの苦しみをどうにかしてはくれないものだろうか。
「兵助? 今日も休みだよ」
……また、これである。勘右衛門のにこにこ顔に、おれはがっくりと肩を落とした。何となく、予想出来た結果ではあった。何だよ、おれはこれだけしんどいのに学校に来ているのだから、お前も来いよ、などと無茶苦茶なことを心の中で叫ぶ。
そして、勘右衛門はどうだろう……と思った。この朗らかな彼と、この気持ちを共有することは可能だろうか。
ちらりと勘右衛門を見る。その顔はつやっつやであった。血色が良い。元気に朝飯をたっぷり食ってきた顔だ。駄目だ。こんな健やかな顔つきをしている奴に、おれの今の気持ちが分かるとは思えない。
「……八左ヱ門、どうしたの。顔が灰色だけど」
勘右衛門はおれの顔の前で手を振った。おれは黙って、その場を立ち去った。口を開く気力もなかった。
おれは何も考えず、とりあえず右足を前に出した。次に左足。また右足。そうやって何処とも知らない場所へ向かって歩いてゆく。体調は、目覚めた瞬間よりはいくらかましになったように思う。しかし、やっぱり苦しい。きつい。しんどい。何で学校になんて来たんだろう、と後悔する。やっぱり、おとなしく家で寝ているべきだった。
「八左ヱ門?」
肩をぽんと叩かれた。雷蔵だった。彼はおれの顔を見るやいなや「うわっ」と目を丸くした。
「どうしたの、顔色悪いよ」
勘右衛門と同じようなことを言う。おれはどうにか、「おう……」とだけ言った。雷蔵は眉を寄せ、おれの横に並ぶ。
「保健室行こう。ぼく、ついてくよ」
「良い……」
力無く返答した。保健室で横になったって、きっとどうにもならない。
「……それじゃあ、もう帰る?」
その言葉にも、首を横に振る。そんなおれに、雷蔵はとても心配そうだった。
「八左ヱ門、何処行くの……」
「……鯉……」
口から、そんな言葉がこぼれた。そこで初めて、自分はあの池に行こうとしているだと分かった。鯉にあげる、食い物は持っていたっけ。
「鯉?」
雷蔵が不思議そうに声をあげる。それから、なんとも言えない表情になった。死人みたいな顔をして鯉を見に行くという友人に、どうコメントしようか迷っているようだった。普段だったら、おれももう少し取り繕うとするのだけれど、今日は流石に余裕がなかった。
校舎を出て、池に向かう。雷蔵も一緒である。
……何だか最近、毎日のようにこの池に来ている気がする。おれはそんなに、鯉が好きだっけ?
おれは池の縁石に足をかけ、水面を覗き込んだ。そうしたら何となく気分がマシにならないかな……などと根拠のないことを考えたが、池の匂いでまた気持ちが悪くなった。おれは馬鹿だろうか。
雷蔵もおれに倣って、おずおずと池に視線をやる。それから、困ったような顔でこちらを見た。
「……八左ヱ門、最近、変だよ」
それは、物凄く言葉を選びました、という感じの口調だった。しかし言っている内容は、ぐうの音も出ないくらいに直球である。変。変か。やっぱり、ばれてしまっていた。
「何か、あった? ……あの、ええと、ぼくで良かったら聞くけど、あっでも、話しにくかったら……いや、でも、話してスッキリすることだったら何でも……ええと……」
雷蔵は、胸の前で指をもぞもぞと動かしながら、言った。迷いすぎて、結局何が言いたいのかよく分からない。しかし、彼の好意はじゅうぶんに伝わった。
何かあったか、だなんて。
ぼくで良かったら聞くけど、だなんて!
何だか、たまらない気持ちになった。良いのか。言っても良いのか。言えば、はぐらかさずにちゃんと答えてくれるのだろうか。この、なんとも表現しにくいえぐい心持ちを、彼は理解してくれるのだろうか。
雷蔵とは、小学校からずっと一緒だ。親に内緒で犬を拾ったときも好きな子が出来たときも、雷蔵には全部打ち明けてきた。全部。そう、全部である。こんな風に、彼に隠しごとをするのは初めてだ。
言いたい。ああ、言いたい。言って良いのだろうか。打ち明けても大丈夫なのだろうか。彼は知っているのだろうか。知っている。きっと知っているはずだ。そうだろう。そうなんだろう、雷蔵。
「……雷蔵……っ」
おれは我慢が出来なくなって、雷蔵の胸元に縋り付いた。ぎゅ、と彼のシャツを握り締める。彼は小さく「わっ」と戸惑いの声を漏らした。
「なあ、お前、ほんとは知ってるんだよな?」
咳き込みそうになりながら、早口で言う。鼻の奥が熱くなってきた。それから、眼球の裏側も。
「え? 何? 何が?」
「昔のことだよ!」
ついつい、責めるような口調になった。雷蔵は、目をせわしなく瞬かせる。
「むかし……?」
「ずーっと昔のこと! ほんとは分かってるんだろ? 三郎のこととか!」
おれは、雷蔵のからだを揺さぶった。彼は怪訝そうに眉をひそめている。まだとぼけるのかと、もどかしさと苛立ちを感じた。おれは、衝動のままに続けた。ひとこと言ってしまったら、もう止まらなかった。
「鉢屋三郎は変装名人で、ずっとお前の変装をしていた。誰もあいつの素顔を知らないんだ。あいつはおれたちのクラスの学級委員長で、お前は図書委員、おれが生物委員」
「……図書……? 委員会、て、なん、の」
「忍者の学校の! 言わなくても分かってんだろ! おれたちは六年間、ろ組で同じクラスだった! 忍者になるために、一緒に修行してたじゃんか!」
「…………」
「お前は昔っから優柔不断で、それは忍者として致命的な欠点だから直せ、っていっつも先生に注意されてた。思案を過ごすべからず。習ったろう。三郎がお前の真似をするのを今でも許しているってことは、昔のこともちゃんと覚えてるんだろう? なあ、なんでおれには言ってくれないんだよ。おれ、ひとりでずっと、しんどかったのに。何回カマかけても、全然反応してくれないし。何でだよ。何でそんな、おれだけのけ者にしようとすんの!」
「…………」
「雷蔵、何か言えよ!」
顔を上げて雷蔵を見る。そこで初めて、彼の様子がおかしいことに気が付いた。
「……雷、蔵……?」
雷蔵はおれの呼び掛けに反応しない。視線が変なところに飛んでいる。おれを見ているような、いないような。いや、見ていない。何処を見ているのか分からない。それに、シャツ越しに、雷蔵の心臓が物凄い早さで脈打っているのが感じられる。異様なスピードだった。顔が白い。色が全部なくなってしまったみたいな。
「……あ……」
雷蔵の唇が、小さく震えた。それから、左目から涙がひとすじ、すうっと流れた。
そのまま彼は、こちらに向かってゆっくり倒れ込んで来たのだった。
「雷蔵!」
おれは慌てて、彼に手を伸ばした。雷蔵を抱きかかえるようにしたら、そのまま彼と一緒に池に落ちそうになった。
「うわ、わ!」
精一杯の力を足の裏に込め、どうにかバランスを保って池への落下を防ぐ。雷蔵の体重が、両腕にかかる。とても支えきれない。おれは身体をひねった。膝が崩れ、地面にしりもちをついてしまった。
「ら、雷蔵!」
雷蔵はおれの腕の中で完全に脱力してしまっている。おれの肩に顔を伏せ、両腕はだらりと垂れている。そしてその身体は、やけに冷たかった。
それを見て、おれの身体もひやりとなった。
えぐい夢を見て落ち込む気持ちなんて、何処かに吹っ飛んだ。
……おれはもしかして、とんでもないことをしてしまったのではないだろうか。
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