■フロウハロウ 04■


 池の端は日当たり抜群だ。背中にぽかぽかと暖かな日射しを感じる。なんという麗らかな昼下がり。しかしおれの内側は熱くなったり寒くなったりと、混迷を極めていた。

「……雷蔵と三郎は、忍者のことなんて、何も知らねえよ」

 さっさとこの話を打ち切りたくて、おれは早口で言った。勘右衛門は「えっ」と声を上げ、目をまんまるにした。その発言に、心から驚いたみたいだった。

「……嘘だあ」

 勘右衛門が声をあげると同時に、一瞬だけ水面が揺れた。おれは憮然として「本当だって」と答えた。しかし彼は食い下がってくる。

「え、だって、鉢屋、雷蔵と同じ格好してるじゃん。何、そんじゃ、あれはたまたまふたりの格好がかぶってんの? そんなわけないよな?」

「……三郎が、意図的に真似してんだよ」

「ほら見ろ」

 勘右衛門は胸をそらした。勝ち誇ったように言われても困る。おれだって、あいつらの行動には、常々不可解なものを感じているのだ。雷蔵の真似をする三郎。それを許す雷蔵。まるきり、夢のまんまだ。変装名人鉢屋三郎と、相棒の不破雷蔵。

「三郎に、何で雷蔵の真似すんのって聞いてみたら、自分でも分からん、って言ってたけど」

 池に目を向けたまま、おれは言った。隣で勘右衛門が息を吐き出す。そして、「嘘だあ……」と、先程とまったく同じことを呟いた。そんなこと、おれに言われたってどうしようもない。

「おれも嘘だと思ったけど、三郎たちに何回カマかけても引っ掛からねえんだもん」

「昔のこと何も覚えてないのに、雷蔵の真似すんの? それって変じゃね?」

 勘右衛門はしつこかった。どれだけこの話題を終わらせようとしても、しぶとく蒸し返してくる。

「知らねえよ。三郎はいつも変だよ」

 いい加減面倒になってので、至極雑に吐き捨てた。すると、彼は妙に納得したように、深く頷いた。

「まあ確かに、鉢屋は変わってたけど。伝子さんの変装とか、思い出すと今でも笑える」

 伝子さん。あれか。おれは思い切り噴き出してしまった。あの真っ赤な唇とか、隠しようのない髭のそり跡とか、色んな意味で凄かった。

「やめろよ、おれも思い出すだろ……!」

 おれは、頭に浮かんだ姿を打ち消すべく、頭を強く振った。しかし、あの強烈なイメージはなかなか脳内から立ち去ってくれなかった。本当に、色んな意味で凄かった。

 伝子さんの記憶から逃れようともがいていたら、勘右衛門がこんなことを言い出した。

「実は、鉢屋も雷蔵も昔のことを知ってるんじゃねえの? お前に言わねえだけで」

「え……何それ、おれはひとりハブられてるってこと?」

  おれは頬を引きつらせた。その可能性には前々から気付いていたが、あまり考えないようにしていたのだった。だって、そんな寂しい話があるか。三郎だけならまだしも、雷蔵までおれのことをのけ者にしようなどと。

「いや、その辺は分かんないけど」

  おれがよっぽど焦った顔をしていたのか、勘右衛門は若干気まずそうな面持ちになった。

「ただ、あのふたりが出会っておきながら、昔のことを思い出さないのは変だな、って思うだけ」

「…………」

  返事が出来なかった。

 彼らは本当に、何も知らないのだろうか。いや、どれだけカマをかけても全く乗ってこないのだから、知らないはずだ。そう思っていた。しかし、こうやって第三者の口から改めて「鉢屋と雷蔵も、忍者だった過去を覚えているんじゃないか?」と言われると、そういう気になってくる。

 三郎と雷蔵がおれに隠れてこっそりと、忍者だったときの話をしちゃってたらどうしよう。何だよそれ、おれも仲間に入れろよ。……あれ、そういう問題ではないか?

 いやだけど、以前、忍者の夢を見たとおれが言ったときの、ふたりの反応。腹の底が見えない三郎はともかく、雷蔵のきょとんとした表情は演技には見えなかった。……演技には見えない? 優しいふりをして雷蔵は、そういうのが得意ではなかったっけ?

「……あーだから違うそれは夢の話であってー……」

  おれは頭を掻き毟った。何だか無性に、生命力に満ちあふれまくったあの鯉たちの姿が見たくなってきた。何でも良いから、食い物を持ってくれば良かった。ああでも、学園長先生以外が餌をやるのは禁止なのだっけ。そんなようなことを兵助が言っていた。違うそれも夢……あれ、これは現実だっけ?

「混乱してんなあ」

 勘右衛門は、にっと白い歯を見せた。おれは、両手で髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。そんなことしたって、頭の中はちっとも澄み渡らなかった。目の前に広がる池みたいに、どんよりと重く濁っている。

「……人が真剣に悩んでるっていうのに、気楽に笑いやがって……」

「悩んじゃ駄目じゃん、八左ヱ門。ほら、あれだろ? 思案を過ごすべからず!」

「いやもう三病とか良いからほんと。嬉しそうに言わなくて良いから」

「何だかんだ、おれも結構覚えてるよね」

「だから、そういうのは良いっつうの」

「あ、もうすぐ休み時間終わるんじゃない?」

 勘右衛門はおれの言葉を聞いているのかいないのか、ポケットから携帯電話を取り出して、時刻を確認する。たいぶ旧式の携帯から手裏剣のストラップがぶら下がっているのが一瞬見えて、心がとても寒くなった。ありていに言うとドン引きである。

「そろそろ戻ろうぜ、八左ヱ門」

 勘右衛門は、携帯電話をふたたびズボンのポケットにしまい込んだ。手裏剣がはみ出している。おれは、それに対しては何もツッコまなかった。










 教室に帰ったら、三郎がおれの机に腰をかけて、雷蔵と何か喋っていた。ふたりとも笑顔だ。同じような顔と表情で笑っている。胸がかゆくなった。

 おれは自分の席に近付き、机の脚を軽く蹴飛ばした。

「おい変装名人、そこおれの机なんだけど」

 軽い口調で言ったけれど、内心はドッキドキだった。こういう呼び掛けをしよう、と考えて声をかけていたわけではない。直前で思い付いて、何も考えずに実行してしまった。勘右衛門と話したせいで、おれも色々とおかしくなってしまっている。なんというか、いつもなら「守り」の方に振れている針が、あいつの影響で一気に「攻め」に振れてしまったような。

「…………」

 三郎と雷蔵は、だいたい同じリズムで瞬きをしながら、おれを見た。そんなところまでタイミングが合っているなんて、いっそ気持ちが悪い。

 おれは極限までに緊張しながら、三郎の出方を窺った。変装名人という呼称をスルーするか、それとも何か、反応を示すか。

  三郎が、ゆっくりと口を開く。

「おれの名は、ルパァーンさーんせーい」

 それは見事な、栗田寛一の声色だった。

 まさかの切り返しであった。流石にそれは予想していなかった。最大限「攻め」の目盛りを指していた針が、真っ二つに折れる。

  おれが何か言うよりも早く、雷蔵の明るい笑い声が弾けた。

「あっははは! すごいすごい、三郎似てる! すごい!」

「だろ、だろっ? 上手いだろ?」

 雷蔵に褒められたので、三郎のテンションが分かりやすく上がった。その頬が心なしか赤い。

「他は? 他は?」

 無邪気に雷蔵がねだる。唐突に物真似を披露してくれた級友は、かっこつけた仕草で咳払いをした。

「ルゥパァーン、までぇーい!」

 今度は、おなじみ警部のガラガラ声だった。こちらも素晴らしい完成度だった。

 いや、でも、おれが言いたいのはそういうことじゃなかったんだけれど……。

「とっつぁんだ!」

 やっぱり、雷蔵は嬉しそうである。そして三郎は得意げだ。

「すごいねえ、三郎!」

「今、峰不二子を練習中なんだよ」

「ええっ、不二子ちゃんは流石に無理だよ!」

「いいや、マスターしてみせるね」

「ほんとに? ねえ八左ヱ門、いくらなんでも不二子ちゃんの真似なんて出来るわけないよねえ?」

 朗らかに、雷蔵がおれに話を振ってくる。しかしおれの口は一ミリも動かなかった。それだけでなく、手も足も瞼も、かっちりと固まってしまったようだった。テンションが一気に下がった。腹の中がぎゅうぎゅう言っている。空腹なような、そうでないような。

「……八左ヱ門?」

 硬直するおれに、雷蔵が心配そうな表情になる。

「何だよ、お前が振ったんだろ。乗ってこいよ」

 三郎は眉を寄せ、おれの額を手のひらで軽く叩いた。それでもおれは、返事をすることが出来なかった。

 ……なんというか、とても、やるせなかった。