※彼らが一年生のときの話です
■半回転して宙返り 前編■
一年ろ組の教室から、おなじ顔をしたふたり組がきゃあきゃあ言いながら駆け出してくる。今から運動場にでも遊びに行くのか、「早く陣地を取らなきゃ!」とか、そんなようなことを話していた。そしてそのまま、「あわてる子どもはろうかで転ぶ」と書かれた貼り紙の前を走って通り過ぎてゆく。
一年い組の久々知兵助は彼らの姿を見やり、首を傾げた。
「……うちの学校に、双子なんていたっけ?」
そうしたら、その呟きを耳にした尾浜勘右衛門が「ええっ!」と大仰な声をあげた。
「兵助、知らないの?」
「勘右衛門は、知ってるの?」
「うん、三郎と、雷蔵だろ?」
勘右衛門は、知っていて当然、というような口調で言った。しかし名前を聞いても、兵助には覚えがなかった。三郎と、雷蔵。頭の中でもう一度繰り返してみたが、やはり分からない。
「どっちが三郎でどっちが雷蔵?」
すっかり小さくなったふたつの後ろ姿を指さし、兵助は尋ねる。そうすると、勘右衛門は困り顔になった。
「え……、それは、分かんない。でも多分、あいつらのこと知らないのなんて、兵助くらいだと思うよ」
「ほんとに?」
兵助は驚いた。あのふたりがそんなに有名だなんて、全く知らなかった。
彼らが走って行った方向に目を向ける。もう、二人の姿は見えなくなっていた。
放課後、兵助は火薬委員会の先輩に呼ばれ、焔硝蔵へと向かっていた。そうしたら、虫取り網をひょんひょん振り回して歩く同級生を見かけた。知っている顔だった。一年ろ組の、竹谷八左ヱ門だ。
一年ろ組。先程廊下で見かけた二人組、三郎と雷蔵と同じ組である。三郎と雷蔵を知らないなんて兵助くらい、という勘右衛門の言葉が脳裏に蘇った。みんなが知っていることを自分だけが知らないというのは、何となく悔しい。
「なあ」
兵助は足を止めて、八左ヱ門を呼び止めた。
「何だ?」
そう言いながら、八左ヱ門も立ち止まった。しかし、虫取り網を頭上で振るのはやめない。
「あのさ、ろ組に、三郎と雷蔵っているよな」
なんとなくその網の動きを目で追いながら、兵助は言った。八左ヱ門は「三郎と雷蔵?」と復唱し、深々と頷いた。
「うん、いるよ。三郎はちょっと変で、雷蔵はすぐ泣くけど、どっちも良い奴だよ。でもな、雷蔵のこと泣き虫、って言ったら駄目なんだぜ。それ言ったら、雷蔵、すっごく怒るんだ。だからお前も、言っちゃ駄目だぞ」
八左ヱ門は、兵助が聞いていないことまで教えてくれた。白い網は、相変わらず彼の頭上で揺れている。
「そのふたりって、どっちが兄貴?」
「へ?」
八左ヱ門は、大きな目をぱちぱちとさせた。それから網を振るのをやめて腕を組み、顎を持ち上げて「ううん」と唸った。
「どっちが兄貴かなあ。三郎の方が威張ってるけど、三郎は、雷蔵の言うことは聞くからなあ」
八左ヱ門が言うのを聞いて、兵助は、んん? と眉を寄せた。何だか、話が食い違っている気がする。八左ヱ門は、「どっちが兄貴っぽいか」という観点で話をしている。しかし、兵助が聞きたいのはそういうことではないのである。
「でもなあ、雷蔵は頼りないからなあ。だからそれを考えると、三郎が兄貴になるのかなあ」
「……あのさあ」
「うん、何?」
「おれが言いたいのは、そういうことじゃなくって……」
「こらあっ、八左ヱ門! さぼるなあ!」
兵助の声をかき消す勢いで、すさまじい怒号が響いた。その恐ろしさに、兵助と八左ヱ門は、ふたり同時に身をすくめた。顔を上げると、遠くで誰かが拳を振り上げて怒っているのが分かった。一年い組の実技担当で、生物委員会顧問の木下鉄丸先生だった。
「やっべ、木下先生だ!」
八左ヱ門は焦った様子で、虫取り網を握り直した。
「生物委員会で飼育してる虫が逃げちゃってさ、今、委員会総出で探してるところなんだ。お前も、変な虫見付けたら触らずに、先輩か先生を呼ぶんだぜ。毒持ってるからな!」
「あ……おい」
「じゃあな!」
八左ヱ門はふたたび虫取り網をひょんひょん振り、走って行ってしまった。
参考になったんだか、なってないんだか。それでも収穫はあった。三郎は変な奴で、雷蔵は泣き虫。
「……変って、どういう風に変なんだろう」
また、新たな疑問が湧き出て来た。こうなったら、兵助はあの二人組と、話をしてみたくなった。それと、先程はついつい聞き流してしまったけれど、生物委員会の毒虫が逃げてしまったって、一大事なんじゃあ……ということに気が付いた。
兵助はぶるりと身体を震わせ、大急ぎで焔硝蔵へと走った。
その翌日、兵助は廊下で、三郎か雷蔵のどちらかとすれ違った。今日は、ふたり連れではなかった。思わず「あっ!」と声が出た。そうしたら、三郎か雷蔵かは立ち止まってこちらを向き、「何?」と怪訝そうな顔になった。
「ええと、お前は、三郎と雷蔵、どっち?」
「ぼく? 不破雷蔵だよ」
間髪入れずに、返事が返ってきた。八左ヱ門の話を思い出し、泣き虫の方か、と頭の中で確認した。それと同時に、彼に泣き虫だと言ったらめちゃくちゃ怒られる、という八左ヱ門の言葉が蘇り、首を振った。今目の前にいる少年はとても温厚そうに見えるけれど、言葉には気をつけよう。
「同じ組の三郎とは、双子なの?」
そう言うと、雷蔵は目をぱちぱちさせた。それから、歯を見せて笑う。
「うん、そうだよ」
「どっちが兄貴?」
「三郎だよ」
「そうなんだ」
兵助は頷いた。そして、それならそうと、八左ヱ門も早く教えてくれたら良かったのにと思う。
「ねえ、きみ、名前なんて言うの?」
雷蔵の言葉で、兵助は自己紹介をしていないことに気が付いた。初めて会った人には、自分から名乗るのが礼儀だって、作法の時間に教わったのに。
「あ、久々知兵助。い組の」
慌てて名前と組を告げる。すると、雷蔵は突然こちらに顔を寄せて来た。急に迫ってくるので、どきりとしてしまった。何故か雷蔵は、真面目な顔つきで兵助の顔をじいっと見つめていた。
「え……あ……何……?」
彼の意図が掴めずに戸惑っていると、雷蔵はまた笑顔に戻り、兵助からぱっと離れた。
「じゃ、またね!」
雷蔵は手を振り、そのままさっさと何処かへ行ってしまった。兵助は訳が分からず、ぼんやりと廊下に突っ立ったまま動けなかった。思わず、自分の顔を両手で触る。一体何をそんなに見ていたのだろう。三郎は変な奴で、雷蔵は泣き虫。そう聞いていたけれど、雷蔵もじゅうぶん変な奴だと思った。
雷蔵が去った方を見ていたら、背後から誰かから声をかけられた。
「ねえ、三郎を見なかった?」
「三郎?」
聞き返しながら振り向き、兵助は「わっ!」と声をあげた。目に飛び込んできたのは、先程まで一緒に話をしていた相手とまったく同じ顔だった。双子だと分かっていても、立て続けに見るとびっくりするな、と思いつつ胸に手を当てた。ほんの少しだけ、どきどき鳴っていた。
あれ、だけど、何かがおかしい。
兵助は首をひねった。今、彼は、「三郎を見なかった?」と言った。三郎を捜しているのならば、彼は雷蔵だということになる。だけど、ついさっき兵助と会話していた人物は、自分を雷蔵だと言っていた。話が矛盾してしまう。これはどういうことだろう。
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