■半回転して宙返り 後編■
「……お前が、三郎を捜してるの?」
確認のために、再度尋ねる。すると、彼は深く頷いた。
「そう、鉢屋三郎を」
「鉢屋?」
兵助は声を大きくした。だんだん頭の中がこんがらがってくる。先程、雷蔵だと名乗る人物は自分を「不破雷蔵」と言っていた。双子なのに、姓が違うのだろうか。
「うん、ええと、ぼくと同じ顔をした奴だよ」
彼はもどかしそうに、自分の顔を指さした。兵助は、ますますわけが分からなくなる。
「おれは今の今まで、雷蔵と喋ってたんだけど」
「え? 雷蔵は、ぼくだよ」
「だって今さっきの奴も、自分は雷蔵だって……」
「それが三郎だよ!」
彼は拳を握り、訴えるような口調で言った。その勢いに圧され、兵助は「そ、そうなのか?」と小さな声で言った。
「三郎はいっつもそうやって、人をからかうんだ」
彼は心底、本当に困っている風だった。嘘や演技には見えなかった。となると、彼こそが、本物の雷蔵なのだ。先程の自称雷蔵は、何だか雰囲気が妙だった。あの変な奴こそが、三郎だったのだろう。
「そっか……おれ、騙されたみたいだ」
兵助は頭を掻いた。本当にそっくりだから、ああいう嘘をつかれたらどうしようもないなあ、とのんびり考える。そうしたら、何故か雷蔵が「ごめん」と謝った。
「ぼくの変装をしても構わないとは言ったけど、悪戯に使って良い、とは言ってないのに……」
「変装っ?」
「うん、そうなんだ。三郎は、変装の名人なんだよ」
今まで沈んでいた雷蔵の表情が、ぱっと明るくなった。三郎のことを誇らしく思っているようだった。
兵助は、ぽかんとしてしまった。あれが、変装。全く分からなかった。変姿の術なんてまだ習っていないのに、あんなに完璧に化けることが出来るだなんて。すごい。すごいなんてもんじゃない。ほとんど反則だ。
「それじゃあ、お前たち、双子じゃないの?」
半ば呆然としつつ、兵助は言った。雷蔵は軽く笑って「違うよ」と首を横に振った。
「あいつ……三郎が、三郎と雷蔵は双子だって言うから、そうなんだと思った」
「三郎、そんなこと言ったの?」
雷蔵の目がまんまるになった。兵助は、頷いた。
「うん。それで、三郎が兄貴なんだって」
「ちが……っ」
雷蔵は声を詰まらせた。おなかの辺りで手を握りしめ、唇を震わせる。
「三郎、いっつも、嘘ばっかり……!」
「えっ」
雷蔵の声が波打っていることに驚き、兵助は声を引っ繰り返した。雷蔵の瞳に涙の膜が張り、それがぷわぷわと揺れている。
え、泣く? 泣くの? 何で?
突然泣きそうになる雷蔵に、兵助は困惑してしまった。自分が何か悪いことでも言ったのだろうか、と不安になる。何か声をかけようにも、どうしてこんなことになっているのかが呑み込めないので、どうすることも出来ない。
「もう嘘、つかな……っ、言った……のに……っ」
雷蔵は全身に力を込め、泣くのを我慢しているように見えた。しかし、彼の眼に溜まる涙は今にも溢れてしまいそうだ。
「お、おい……」
兵助は、おろおろしながら雷蔵の肩に手を置いた。
「なのに、いっつも……っ、ぼくの言う、こと……っ、聞かな……うっ、うぅっ、えっ」
語尾が完全に嗚咽と化している。やばい、と兵助は思った。これは絶対に、泣く。
次の瞬間、案の定というかなんというか、雷蔵の涙がぱちんと弾け、透明な筋になって頬に流れていった。
「な、何だよ。泣くなよ……っ」
「えっ、ぇっ、うう、うあ、あ、あああああっ!」
雷蔵はとうとう、声をあげて泣き始めてしまった。
「ええええっ」
兵助はおろおろと、意味もなく両手を動かした。どうしよう。こういうときって、どうしたら良いんだろう。何となく、彼の泣いている理由は分かった。雷蔵は、三郎の嘘を悲しんでいるのである。それは理解出来たけれど、彼を泣き止ませるには、どうするべきなのだろうか。
打開策を見出せず困り果てていると、何処からか、ぴゃっと飛び出して来た影があった。
雷蔵と同じ顔の同級生。鉢屋三郎だった。
あっ三郎だ、と兵助が認識すると同時に、彼はこう言った。
「雷蔵を泣かせたな!」
そして三郎は拳をかため、兵助の頭をぼかりと打ったのだった。脳天に鈍い痛みが走る。
「いたっ!」
兵助は、両手で頭を押さえた。痛い。ものすごく、痛い。耳の奥がわんわんした。何故自分が殴られるのだろう。しかも、雷蔵を泣かせたな、と言った。泣かせたのは自分じゃない。雷蔵は、三郎のことで泣いているというのに。
兵助はこの上なく理不尽なものを感じた。しかし咄嗟に反論が出来ない。
「雷蔵を苛めたら承知しない!」
三郎は雷蔵の前に立ち、噛みつくように言った。ここでようやく、兵助の頭に怒りという感情が到達した。おれは雷蔵を苛めてなんかない! ……と、反論しようとしたそのときだった。
「三郎のばか!」
涙声で雷蔵が叫び、三郎の頭を後ろから思い切り打った。三郎の頭が一瞬がくりと前に垂れ、「うわっ!」という声が聞こえた。
「えっ、何でおれが叩かれるの?」
三郎は顔を上げ、意味が分からない、という面持ちで雷蔵を振り返った。雷蔵は涙でべしゃべしゃになった顔で三郎を睨んだ。それから両手をめちゃくちゃに振り回して、三郎をどかどかと叩く。
「三郎のばか! ばか!」
「いたい、いたい!」
なんとなく怒る機会を外してしまった兵助は、半ば呆然として同じ顔をしたふたりを眺めていた。そうしたら、三郎がこちらを向き、鋭い視線を投げかけてきた。
「お前、雷蔵に謝れよ!」
「なん……っ」
かちんと来て、兵助は眉を寄せた。雷蔵を泣かせているのは、お前じゃないか。今度こそ言い返してやる、と兵助が決意すると同時に、雷蔵が三郎に体当たりをした。
「あやま……っ、三郎がっ、あやわっ、うっ、ぅうっ、三郎がっ、あやわえよっ!」
雷蔵の声は涙でぶれていて、兵助にはほとんど聞き取れなかった。しかし三郎にはきちんと聞こえたらしく、「何でおれが謝るの!」と抗議の声をあげた。
「ばか! 三郎の、ばか!」
「いってえ!」
兵助は、またも爆発する機を逸してしまった。むしろ、あんまりにも雷蔵が三郎をばしばしと叩くので、そこまでしなくても……とすら思った。しかし、止めようにも、手を出せない雰囲気であった。この場を立ち去るわけにも行かず、兵助は彼らの言い争いというかなんというか……を見つめるしかなかった。
「……ほんとに、変な奴と、泣き虫だ」
しぜん、呟きが漏れた。そして、彼らが学年で有名なふたり組、というのを心から理解した。こんな奴ら、一度見たら忘れない。
「こらあっ、何やっとるかあ!」
向こうから、先生の声が聞こえてきた。それと同時に、雷蔵の泣き声が廊下に響く。まだまだ、騒ぎは収まりそうになかった。
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