■忍者ごっこ 04■


 ずっと書庫にいたらしい二ノ坪怪士丸(雷蔵は、彼の存在に全く気が付かなかった)に手伝ってもらい、雷蔵はどうにか書庫の整理を終えた。重い書物を大量に運搬して疲れてしまった雷蔵は、橙に染まった空を見上げて軽く絶望を覚えた。

  じきに日没だ。三郎と別れてから随分と時間が経ってしまったし、これはやばい。雷蔵の中に焦りが生まれる。あのときもっと上手くやってたら、三郎から密書を奪えたかもしれないのに……と思うと、非常に悔しかった。

「……そうだ、兵助はどうなっただろう」

 呟き、辺りを観察しながらしばらく歩いたところで、久々知の残した五色米を見付けた。色とりどりの米粒は、以下のような文章を表していた。

 標的発見。追跡を開始する。

   さすが、兵助! と、落ち込みかけた雷蔵の気持ちが上向きになった。暗号文の傍らから点々と、道しるべとなる五色米が撒かれている。雷蔵は走って、久々知の残した目印を辿った。



 石火矢演習場脇のしげみに、潜む久々知の姿を見付けた。

「兵助、お待たせ」

 小声で囁きつつ、彼と並んで雷蔵も草むらに身を隠す。

「随分と遅かったじゃないか、雷蔵」

「いや、実は委員会の仕事につかまっちゃって……。それより、三郎は?」

「あそこ。立花先輩と一緒にいる」

 そう言って、久々知は飴色に染まった演習場を指さした。恐らく石火矢の練習に使ったのであろう、壊れた的の破片を拾い集める立花仙蔵の隣に、その仙蔵の変装をした三郎がいた。

「ああやってご本人と一緒にいてくれると、分かりやすくて助かる」

 久々知の言葉に、雷蔵は「確かに」と頷いた。

「でもよく、本人の目の前で、上級生の変装をするよね……」

 ぼくには絶対無理だ、と雷蔵は首を横に振った。

「鉢屋。そろそろ、わたしの顔を使うのをやめないか」

 茂みの向こうで、呆れた風情の仙蔵が溜め息をつく。それを受け、三郎は流麗な仕草で己の黒髪を指ですくい、微笑んだ。

「そう言わないで下さいよ。美形は化け甲斐があるんです」

 誰もが仙蔵と間違えるであろう、完璧な笑顔。仙蔵は再度息を吐き、肩をすくめる。

「……で、どうする。雷蔵」

 彼らのやり取りから目を離さず、久々知が尋ねた。雷蔵は即答する。

「これはもう、奇襲しかないよね」

 今度は迷わなかった。三郎は、こちらには気付いていない様子だ。この好機を逃す手はない。一気に決めるべきだ。

「立花先輩は、どうする。どうやっても巻き込みそうだけど」

「うん、六年なんだし、適当に避けてくれるんじゃないかな?」

 雷蔵はしれっと言い、懐から手裏剣を取り出した。それを見て久々知は、笑いを噛み殺したような顔になった。

「おれ、雷蔵のそういう雑なとこ、好きだな」

「ふふ、ありがとう」

 雷蔵も笑って頷き、そして表情を引き締めた。無言で久々知と視線を交わし、頷く。三郎はまだ、石火矢の自主練習中らしき仙蔵に絡んでいた。

「立花先輩、まだやるんですか? もう陽が暮れちゃいますよ」

「何を言ってる。これからが本番だろう」

 仙蔵の言葉が終わると同時に、雷蔵と久々知は茂みから飛び出した。気配を察知した仙蔵と三郎がすぐさまこちらを振り返る。雷蔵は、三郎の足元めがけて手裏剣を投げた。三郎が機敏な動作で跳び退く。彼の地面が足から離れた瞬間に、久々知が鈎縄を投げた。しかしそこに仙蔵の白い手がにゅっと伸びてきて、鈎縄を苦無で巻き取ってしまった。

「えっ!?」

 驚き声を発する久々知の身体が縄ごと仙蔵に引っ張られ、彼は地面に引き倒された。

「ちょ……っ、立花先輩……っ!」

 違うんです、と叫ぶ久々知を無視して、仙蔵は奪った縄を使い、目にも留まらぬ速さで久々知の両手を縛り上げた。流石最上級生とでも言うべきか、全く淀みのない動きであった。

「鉢屋で誘導、残りふたりで奇襲……。演習か、それとも試験か? 残念ながら、詰めが甘かったな」

 動けない久々知を見下ろし、仙蔵はふっと笑った。久々知はもがきながら、必死で叫ぶ。

「ち、違います! おれたちが追ってるのは鉢屋三郎で……!」

「何?」

 仙蔵は眉を寄せた。その脇を、変装を解いた三郎が走り抜ける。

「三郎、待て!」

 雷蔵は慌てて後を追った。しかし、走力では三郎にかなわない。足止めしなければ、と雷蔵は懐を探った。

 と、そこに何処からか、三郎めがけて棒手裏剣が飛んで来た。

「うっわ!」

 意表を突かれたらしい三郎が、身体を捻ってどうにか棒手裏剣を避けた。そしてそのまま足をもつれさせ、地面に手をつく。

「生物委員の使命を終え、竹谷八左ヱ門、華麗に見参!」

 高らかな声とともに、木の上から竹谷が飛び降りて来た。三郎が、げっ、という顔をする。

「ハチ!」

 雷蔵と久々知が、同時に声をあげる。竹谷は顔の前で手を合わせ、 「わっり! 遅くなった!」 と、済まなそうに謝った。

「じゅんこちゃん、見つかったの?」

「ああ。なんとあいつ、自分で帰って来たんだよ! 孫兵の愛情が、じゅんこに伝わったんだよなあ」

 そう言って竹谷は、目を潤ませた。そこに、どうにか縄から抜けられた久々知が並ぶ。

「何を呑気に話してるんだ! 三郎が逃げる!」

「しまった、そうだった!」

 竹谷が声をあげたときにはもう、三郎は体勢を立て直して地面を蹴っていた。ここで振り切られたら、再び追いつくのは難しい。雷蔵は彼の動きを止めようと、地面に滑り込んで足を狙った。しかし、それを読んでいた三郎はひらりと跳んで回避する。その際、三郎がこちらを見て笑った、ような気がした。

「鉢屋あああっ!!」

 突然野太い叫びがあがり、凄まじい気迫と共に何者かが場に飛び込んできた。その人物が地面に着地すると同時に、土が跳ね上がる。随分と荒々しい登場だった。

「うわっ、潮江先輩!」

 三郎は、心底面倒くさそうに顔をしかめた。闖入者は、会計員委員長、潮江文次郎であった。突然のことに雷蔵たちが一瞬呆気に取られていると、潮江は三郎に噛みつかん勢いでがなり立てた。

「てっめえ、やっぱり良からぬ予算を立ててやがったな! 団蔵の字を利用するとは、卑怯千万!」

 潮江の目は、怒りに燃えている。ああやっぱり、三郎ってば予算に何か細工してたんだ……と、雷蔵は若干なまぬるい気持ちになった。そして、今度は間違えられなくて良かった、とも思った。

「ちょ……いやその通りなんですけど、何も今、気付かなくても!」

 三郎が、珍しく焦っている。雷蔵たちにしてみれば、今こそ彼から密書を奪う絶好の機であるはずだが、何となく手出しが出来ない雰囲気であった。

「今度こそ許さん! 覚悟しろ!」

 潮江は足を振り上げた。三郎は俊敏な動きで、蹴りから逃れる。そこから潮江の懐に飛び込もうとする三郎の前に、仙蔵が立ちはだかった。

「何だか分からんが……文次郎、助太刀しよう」

 仙蔵は面白がっている様子だった。三郎は、ぎょっとして目を見開く。

「えええっ、ちょ!」

 三郎は武術大会で優勝したこともある手練れであるが、最上級生ふたりが相手では、流石に分が悪い。三郎は逃げようとするが、すぐに潮江に回り込まれる。そこに仙蔵の手刀が飛んでくる。どうにか避けたら、今度は潮江の正拳突きが眼前に迫る。咄嗟に腕で防御したが、受け止めた部分に痺れが走った。