■忍者ごっこ 03■
二手に分かれて探そう。連絡は五色米で。
……ということで、雷蔵は久々知と別れて再びひとりになった。空を見上げてると、陽が傾きつつあった。闇に紛れられると面倒なので、早めに勝負をつけたいところだ。
誰かとすれ違う度に、それが三郎の変装ではないかと、まじまじ見つめて確認した。
談笑する山田先生と利吉さん、白。入門票を持って走る小松田さん、白。何かを必死で探している様子の次屋三之助、富松作兵衛、白。いつものごとくギラついている潮江文次郎先輩、白。
……しかし、じっと見つめすぎたのがいけなかったのか、
「何だ。何か用か」
と、潮江に声をかけられた。雷蔵は気まずくなって、肩を縮める。
「い、いえ、すみません。何でもないんです」
「お前また、良からぬ予算を立てようと考えてんじゃねえだろうなあ」
会計委員長は闘志を漲らせつつ大股でこちらに歩み寄り、威嚇するように雷蔵を睨んだ。雷蔵は慌てて首を横に振った。とんだ誤解だ。
「いや、違います先輩! それは鉢屋三郎の方で……」
そう言うと、潮江は「あ?」と眉をしかめ、顔を近づけて雷蔵を凝視した。視界のど真ん中に、隈で落ち込んだ潮江の目がどどんと現われる。圧巻、としか言いようのない光景だった。思わず雷蔵は、ごくりと唾液を呑み込んだ。
潮江はしばらく、何も言わず雷蔵を見つめていた。雷蔵は正直、勘弁してくれと思っていた。忍術学園一忍者している男の視線は、平時であっても何処か殺気立っていて、皮膚に突き刺さるように痛い。
やがて潮江は顔を離し、腕を組んで「何だ」と目を瞬かせた。
「お前、鉢屋じゃない方か」
「は、鉢屋じゃない方?」
雷蔵は驚いて復唱した。三郎が鉢屋で、ぼくは、鉢屋じゃない方? あんまりな言い様だ。もしかして、六年生の間では、そういう呼び名で通っているのだろうか。だとしたら、ちょっと傷付く。
「そうかそうか、人違いだったか。悪い悪い。それじゃ鉢屋に、今度の予算会議は覚悟しとけ、って言っておけ」
潮江は笑って一方的にそうまくし立てると、さっさと雷蔵から離れて行った。
「あ、はーい……」
雷蔵はなんとなく納得のいかない思いを抱えながら、とりあえず頷いた。そして、言うだけ言っときます……と、心の中で付け加える。雷蔵が何を言っても先輩が圧力をかけても、三郎は予算いじりを辞めないだろう。そういう男だ。
「……あれ、不破先輩だ」
今度は、手前から歩いて来ていたきり丸に声をかけられた。いつものように、乱太郎、しんべヱと一緒だ。あとのふたりも雷蔵の顔を見て、「不破先輩だあ」「雷蔵先輩、こんにちはー」と、無邪気な声をあげた。いつ見ても、この三人は和むなあ……と、雷蔵も自然と笑顔になる。
「先輩、もう終わったんですか?」
不思議そうな表情できり丸が言うので、雷蔵は首をかしげた。
「終わったって、何が?」
「書庫の整理っすよ。ほらさっき、中在家先輩に頼まれてたじゃないですか」
きり丸は、図書室のある方角を指さした。
三郎だ! と、雷蔵は叫び声をあげそうになった。その代わりに、きり丸の手を両手でぎゅっと握る。
「きり丸、ありがとう!」
「えっ、何すか、分かんないけど、おれお手柄っすか! ご褒美くれるんすか!」
幼い瞳をきらきらさせるきり丸を、「きりちゃん、よしなよ……」と乱太郎が横からたしなめた。
「ああ、ごめん。今は何も、ご褒美になるものは持ってないなあ……」
律儀に懐を探る雷蔵に、乱太郎が慌てて手を振る。
「あ、いえ、いいんです雷蔵先輩! きり丸の言うことは気にしないで下さい! ……ほら、きり丸行くよ」
乱太郎はきり丸の背中を押して、半ば無理矢理歩き出した。
「ちぇー、何だよー」
きり丸が不服そうに口を尖らせ、しんべヱは無邪気に「不破先輩、さよーならー」と笑顔で手を振った。雷蔵も手を振り返して彼らを見送る。それからひとつ息を吐き出して駆け足で図書室に向かった。
雷蔵は、図書室の障子をそっと開けた。図書室を利用している生徒はおらず、手続き机で二年生の能勢久作が、肘をついて居眠りしていた。雷蔵は静かにその側を通り過ぎ、忍び足で書庫へ歩き出した。
書庫を覗くと、棚に向かう三郎の後ろ姿が見えた。よし、と雷蔵は小さく拳を握りしめた。さて、ここからどうしよう。思案を巡らせる雷蔵だったが、
「雷蔵、そこにいるんだろう」
と、当の本人にあっさりと見抜かれてしまった。
「……バレるの早いなあ」
雷蔵は溜め息をつき、書庫の中に足を踏み入れた。三郎は肩越しに、不敵な笑いを見せる。
「雷蔵の気配には敏感なんだ、おれは」
そう言ってから彼はこちらに向き直り、手に持っていた本を軽く掲げた。
「ていうかこれ、雷蔵の仕事だろう。何をどうして良いか、全く分からないんだけど」
「僕の顔で、ウロウロしてるからだよ。……貸して、これはこっちだ」
三郎の手から本を抜き取り、雷蔵はそれを所定の位置に戻した。横目で三郎の姿を見る。どうやら、逃げる気はなさそうだった。
「中在家先輩に、自分は鉢屋だと言わなかったの?」
尋ねてみると、何故か三郎は得意満面でこう答えた。
「ああ。中在家先輩が、おれと雷蔵を間違えたんだと思ったら気分が良くなったから、言わなかった」
「何だい、それ」
雷蔵は軽く笑った。それから素早く手を伸ばして、三郎の襟元を掴もうとする。が、直前で三郎の手に阻まれてしまった。
「雷蔵くん、手癖が悪いよ」
「いやいや、三郎くんに言われたくはないよ」
ふたりはしばし見合い、互いの動きを牽制する。張り詰めた空気が、場に流れた。
そのとき、ひゅっと、目の前を黒い何かが横切った。次いで、横手から木の割れる音が聞こえる。雷蔵と三郎は、ほぼ同時に視線を横に向けた。壁に、縄標がめり込んでいる。あっこれは、と雷蔵が思うと同時に、すぐ近くに三郎以外の気配を感じた。
「私語は、慎むように……」
思ったとおり、先程のは図書委員長の縄標であった。何処から現われたのか、中在家長次は二人のすぐ側で囁いた。相変わらず、ほとんど聞き取れないほど声が小さい。しかし彼には特殊な威圧感があり、雷蔵は背筋を伸ばした。
「す、すみません」
二人が謝ると、中在家は軽く頷いて縄を手繰り寄せ、懐に縄標をしまい込んだ。そしてそのまま無言で、書庫から出て行った。
雷蔵は何も言わず、おまえのせいで中在家先輩に怒られたじゃないか、という気持ちを込めて三郎を睨んだ。三郎から、何でおれのせいなんだよ、とでも言いたげな視線が返って来る。
雷蔵は再び三郎の襟を取ろうと、中在家に気付かれないよう静かに、かつ素早く手を伸ばした。今度は彼の胸元を掴むことができた。そのまま足を引っかけてゆっくり床に倒そうとするが、彼は巧みに重心を移動させてそれをさせない。
ふたりはそのまましばらく無言で、かつ小さな動きで小競り合いを繰り広げていたが、続けているとどうしても白熱してしまう。少しずつ彼らの動きは大きくなり、やがて三郎の足払いをかわした雷蔵の背が、書棚にぶつかって、どんと音を立てた。
しまった、と思う暇すらなかった。
再び、何処からともなく現われた中在家が、雷蔵と三郎の背後から、彼らの肩を両の手でがっしと掴んだ。
「いっ」
「わっ」
上級生の大きな手の重みに、ふたりの口から声が漏れる。
「……鉢屋は退場だ」
低い声でそう告げ、中在家は三郎の襟首を掴んだ。
「え、えっ?」
戸惑う三郎を、彼は問答無用で引っ張って行く。
「あ、あ」
雷蔵はそれを追おうとしたが、中在家に目で止められた。
「……不破は、そのまま書庫の整理を」
えええっ、と不満の声をあげてしまいそうになるのをどうにか堪え、雷蔵は「は、はい」と頷いた。本当は三郎を追いかけたいところだが、この状況では流石にそうもいかない。雷蔵は、遠ざかっていく三郎と中在家を、見守るしかなかった。
「……って中在家先輩、おれと雷蔵を見分けられるんですか」
引きずられながら、三郎は中在家を見上げた。寡黙な図書委員長は、沈黙したまま頷いた。三郎の「何だよそれ……!」と悔しそうに吐き出した言葉を最後に、彼らの姿は見えなくなった。
そして雷蔵は、雑然とした書庫の中にひとり残されたのだった。
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