■忍者ごっこ01■


「雷蔵、忍者ごっこをしよう」

 三郎が突然そんなことを言い出したのは、授業が終了してすぐのことだった。

「は?」

 雷蔵は教科書を手にしたまま、首をひねった。片付けを済ませた生徒たちが三々五々、教室から出て行く。目の前に立つ三郎は、にこにこしていた。

「いや、三郎。忍者ごっこって。そもそもぼくたちは忍者の……」

「これ、密書」

 三郎は雷蔵の言葉を遮って、懐から折り畳まれた紙を取り出した。それを数回振って見せて、ふたたび懐にしまい直す。

「で、おれ、敵忍者」

 やけに嬉しそうに、三郎は自分を指さす。それから今度は雷蔵を指さして、こう続けた。

「この密書を、消灯の鐘までに奪うことが出来たら、雷蔵の勝ち。逃げ切ったら、おれの勝ち」

「はあ」

 何だか分からないが、とりあえず頷いておいた。三郎は楽しそうに、歯を見せて笑っている。五年生にもなって、ごっこ遊びもないだろう、と雷蔵は少し呆れた気持ちになった。

「それで負けた方は、一週間食堂のランチを奢ること」

「え!?」

「じゃあ、始め!」

 雷蔵が動揺している間に、三郎は一方的に開始の合図を出し、素早い動作で教室から飛び出して行った。直後我に返った雷蔵が慌てて後を追うが、既に彼の姿は何処にもなく、気配も感じられなかった。

「ちょ……っ、鉢屋三郎!」

 雷蔵の叫びが、廊下に響き渡った。



「全く、勝手なんだから……」

 ぶつぶつ言いながら、雷蔵は中庭を走り抜ける。忍術学園の敷地はとてつもなく広い。闇雲に探して見つかるとも思えない。しかし三郎が一体何処に行ったのか、皆目見当もつかなかった。

 そのとき、四年生の平滝夜叉丸と綾部喜八郎が並んで歩いているのが目に入った。ふたりは手裏剣の入った籠を抱え、倉庫に向かう途中のようだった。

「滝夜叉丸、綾部!」

 声をかけると、ふたりは立ち止まる。

「不破先輩。お疲れ様です」

「どうもー」

 滝夜叉丸はぴしりと姿勢を正し、綾部は首をかしげるように会釈をした。それを見て、滝夜叉丸がむっと顔をしかめる。

「喜八郎、お前な、上級生にはもっと礼儀正しくしろといつも言っているだろう。大体お前は……」

 そのまま滝夜叉丸の説教が始まってしまいそうだったので、雷蔵は「まあまあ」と後輩たちの言葉に割って入った。滝夜叉丸は目上の者に対して非常に礼儀正しいが、如何せん話が長くてくどい。そして当の綾部は、級友の説教など何処吹く風といった様子で、中空を見つめている。相変わらず個性的な奴らだな……と、雷蔵は心の中でこっそり苦笑いをした。

「ところでふたりとも、鉢屋三郎を見なかったか?」

「鉢屋先輩……さて」

 滝夜叉丸が、記憶を探るように視線を上に向けた。

「ううん……わたしは見ていませんが……喜八郎、お前はどうだ?」

「うん、何を? タコ壺?」

 綾部はくるりと滝夜叉丸の方に顔を向け、真剣な顔で尋ねた。どうやら、全く話を聞いていなかったらしい。滝夜叉丸は何か言おうと口を開いたが、唇を尖らせて首をかしげる綾部に戦意喪失したらしく、諦観の表情で雷蔵に向き直った。

「少なくともわたしたちは、不破先輩の顔をした三郎先輩は、見ていません」

不破先輩の顔をした、という部分を強調して滝夜叉丸は言った。変装した三郎となら会っているかもしれないが、気付かなかった、ということだ。

「そうか……ありがとう。時間を取らせて悪かったね」

 雷蔵はそう言って、息を吐いた。

「それでは、わたしたちはこれで失礼します」

 そう言って、滝夜叉丸が礼をする。綾部は相変わらず何処かを見つめていたが、滝夜叉丸に肘で小突かれて、ふにゃりと頭を下げた。

「……ちょっと待ってくれ」

 去ろうとする二つの背中に雷蔵が声をかけると、滝夜叉丸と綾部がほぼ同時に足を止めた。

「あの、まだ何か?」

 怪訝そうな表情で、滝夜叉丸が振り返る。雷蔵は笑顔で首を横に振った。

「いや、すまない。滝夜叉丸は良いんだ。用があるのは……」

 言いながら、素早い動作で一歩踏み出す。視界の端に、「えっ?」と口を開ける滝夜叉丸の顔が見えた。

「綾部……いや、三郎っ!」

 手を伸ばして綾部の肩をつかもうとするが、彼はするりと身をかわして後ろに飛びずさった。彼の抱えていた籠が地面に落ち、辺りに手裏剣が散らばる。

「あはは、よく見破ったな、雷蔵」

 そう言って笑う声は、間違いなく鉢屋三郎のものだった。彼は瞬く間に綾部喜八郎の変装を解き、いつもの姿……すなわち不破雷蔵の顔になった。

「な……! 喜八……え……ええええっ?」

 滝夜叉丸が、顎が抜け落ちそうな勢いで驚いている。彼も、隣を歩いていた級友が、三郎の変装だとは知らなかったらしい。同級生をも欺くとは、見事としか言いようがない。

「分かるよ! 体型は三郎のままなんだから」

 それでも三郎の変装は素晴らしい完成度で、気付くのに時間がかかったのだけれど。

「わ、わたしは全く気が付かなかった……」

 背後で滝夜叉丸が、呆然としたように呟く。

「三郎、忍者ごっこがしたいなら気が済むまで付き合うけど、後輩を巻き込むのはやめろよ」

「何を言ってるんだ。遊びでも何でも、全力で取り組まないと」

 忍者に手加減などないのだよ、と三郎はしたり顔で付け加えた。それから紫の装束の中に手を入れ、密書を取り出した。そしてそれを、見せつけるようにひらひらさせる。

「密書はここだよ。ここまでおいで!」

 そう言って、三郎は地面を蹴って走り出した。

「あっ、待て!」

 雷蔵も急いで後を追う。三郎が倉庫の角をひょいと曲がったのでそれに倣うと、角に立っていたらしい人物に思い切りぶつかってしまった。

「わっ!」

「いって!」

 雷蔵と、ぶつかった相手の声が交錯する。

「すみませ……って、何だハチか」

 角に立っていたのは、同級生の竹谷八左ヱ門だった。彼は眉をひそめて、雷蔵と衝突した肩をさする。

「おいおい、何だってことはないだろ」

「雷蔵、そんなに急いでどうしたんだ?」

 不服そうな竹谷の陰から、久々知がひょいと顔を出した。

「兵助も……いや、もしかしてどっちかが三郎?」

 雷蔵は言って、ふたりに飛びかかった。

「わ!」

「おい、何すんだ!」

顔を触られ髪の毛を引っ張られ、竹谷と久々知が悲鳴じみた声を上げる。

「……本物の兵助とハチだ」

 思うさま同級生ふたりの顔と髪の毛をまさぐった雷蔵は、そう結論づけた。ああ、また逃げられた! 地団駄を踏みたくなる。 そして、最初は馬鹿馬鹿しいと思っていたこの遊びに、案外熱中している自分に気付く。

「何だよ。何言ってるんだ」

 頭巾が半分脱げ、何時にも増して髪の毛がぼさぼさになった竹谷が言った。

「ご、ごめんごめん。ふたりとも、三郎見なかった? なんとしても、三郎をつかまえなきゃいけないんだ」

 あははと気まずい笑いを浮かべながら尋ねると、久々知が大きな目を瞬かせた。

「どうしたんだ、喧嘩でもしたのか?」

「いや、そうじゃないんだ。実は……」

 雷蔵は、ことの次第を説明した。話が進むにつれ、竹谷と久々知の表情が輝いていく。

「面白そうじゃん! おれも混ぜてよ!」

 真っ先に、竹谷が声をあげた。久々知も笑って、「おれもおれも」と呼応する。

「わ、ほんとに? 手伝ってくれる?」

 雷蔵は彼らの参入を喜んだ。ひとりで三郎を捕まえる自信がなかったからだ。

 かくして彼らは三人で、鉢屋三郎から密書を奪うこととなったのだった。