■ザ・フール  06■


 学校からの帰り道、雷蔵が天啓にでも打たれたみたいに突然「マクドナルドのポテトが食べたい!」と言ったので、Lサイズのポテトをひとつ買って、公園のベンチで一緒に食べることにした。

 おれはさほど空腹でなかったので、そんなにはいらないなーという気分だったのだが、屋外で好きな人とポテトを食べる(しかも半分こして!)というシチュエーションにほくほくしていた。天気は良いし、満足そうにポテトを頬張る雷蔵は可愛いしで、芳しくなかった心の調子が少し上向きになった。

 ベンチから少し離れたところに滑り台があって、小さな子どもたちが歓声を上げながら群がっていた。おれと雷蔵はその光景を眺めながら、油っぽいポテトをむしゃむしゃ食べた。

「ああいうの、懐かしいなー」

 雷蔵は言って、指先についた塩を落とした。地面にきらきらと、小さな塩粒が落ちてゆく。おれが「滑り台?」と尋ねると雷蔵は「そう」と頷いてポテトを一本抜き取った。

「小二のときにさ、八左ヱ門が立ったまま滑ろうとして途中で落ちて、腕の骨を折ったんだよ」

「……こないだ、あいつが小さい頃にブランコから落ちて頭を縫った、って話をしてくれなかったっけ」

「そうそう。ブランコに乗りながら水鉄砲乱射した果てにね。他にもいっぱいあるよ。八左ヱ門の武勇伝。聞く?」

「良いよ、腹一杯だよ」

「そう? 木から落ちた話とかあるけど」

「……ちなみにそれは、何歳のときの話?」

「ええとね、これは中三」

「最近だな」

「あははは」

 雷蔵は背を丸めて、心底楽しそうに笑い転げた。その声が、子どもたちのはしゃぎ声と混ざり合う。笑う彼を見るのは好きだけれど、何となく面白くない気持ちになった。だから少し拗ねた口調で、こう言ってみた。

「……雷蔵はほんと、八左ヱ門のことが好きだよね」

 すると彼は顔を持ち上げておれを見た。

「妬いてる?」

「妬いてるよ」

 そう言うと雷蔵は、ふふっ、と笑ってポテトを数本まとめてつかむと、おれの手の平にそれを無造作にのっけた。

「じゃあ、ポテト多目にあげる」

「えー、好きって言ってくれないの?」

 すると雷蔵はまた、ふふっと微笑んだ。笑って誤魔化す気だ。でもおれはその表情が大好きなので、けっこう、これで有耶無耶にされてしまうことが多い。雷蔵に対してのみ、おれは単純な男なのだ。それはもう、仕方がない。

 そうやって甘い気持ちに浸っていたら、視線の先、滑り台の向こうの遊歩道に見知った顔をふたつ見つけた。

「うわっ」

 思わず、小さな声が出る。けっして、会いたくない二人組だったのだ。おれたちと同じ制服を着たそいつらは、きびきびとした動作で歩いている。公園に用事があるわけではなくただ通り抜けるだけのようだ。

「三郎?」

 雷蔵が、不思議そうな面持ちでおれの顔を覗き込む。可愛い。いや、そうではなく。このままだと、奴らに見つかってしまうかもしれない。

「いかん、雷蔵! 隠れろ!」

 おれは雷蔵に声をかけ素早くベンチの後ろに回り込んだ。

「えっ、えっ?」

 こちらに近づいてくる二人組に気付いていないのか、雷蔵は中腰の体勢でおろおろしていた。おれは彼の手を引き、半ば無理やりベンチの陰に引っ張り込んだ。

「何だよ、三郎。急に……」

「しっ」

 声に非難を含ませる雷蔵を制し、ベンチの隙間から辺りの様子を窺う。

 背筋を伸ばし、無駄に洗練された所作で歩いてくるのは立花先輩だ。そして彼の隣には、大柄でのっそりとした中在家先輩の姿もある。彼らは軽い調子で言葉をかわしながら歩を進め、おれたちの潜んでいるベンチの前を通りかかった。おれは気付かれないように身体をなるべく小さくして、息を止めた。

「……あいつらはまだ喧嘩しているのか。本当に飽きないな」

  通り過ぎざまに、立花先輩の声が耳に入ってきた。それに対して中在家先輩が何か言ったようだったが、そちらは声が小さくて聞こえなかった。

 先輩方はベンチの後ろに隠れているおれと雷蔵に気付くことなく、そのまま歩いて行った。

「ふう、危ないところだった」

 二人の姿が完全に見えなくなってから、おれは胸をなで下ろしベンチに座り直した。

「何で隠れたの?」

 おれの隣に戻ってきた雷蔵が、目を瞬かせて尋ねてくる。おれは簡潔に答えた。

「絡まれたら面倒臭いじゃないか」

「まあ、分かるけど……」

「それに今ちょっと、立花先輩に会うの気まずいんだよね」

「何で?」

「……あの人、おれが昔のことを覚えてるって勘違いしてるから」

 答えると、雷蔵は眉間に皺を寄せて「ええー」と呟いた。

「何だよそれ。三郎嘘ついたの?」

「違うよ。向こうが勝手に勘違いしただけだって」

「でも、訂正しなかったんだろ?」

「だって、面白いじゃん」

 笑いながら言うと、雷蔵は呆れた面持ちで息を吐き出した。

「ぼく、口裏合わせたりしないからね」

「冷たい」

「当然じゃないか。自分の発言には責任を持たないと」

 とても雷蔵らしい物言いである。おれは打ちひしがれた口調をつくり、「そんなあ」なんて嘆いてみせたが、本当は彼の答えに満足していた。うんうん、雷蔵はそうでないと。

「あーあ、中在家先輩に挨拶くらいしたかったな」

 先輩たちが去った方角に視線を向けつつ、雷蔵は言った。それにおれは、少しだけむっとする。何が良いのか知らないが、雷蔵と中在家先輩は微妙に仲が良いのだ。

「……そういえば、中在家先輩って昔のことを覚えてるの?」

 ふと、頭に浮かんだことを口に出した。そしてすぐに後悔した。自分から中在家先輩の話題を提示してどうするんだ。だけど気になる。非常に気になる。自分でも馬鹿みたいだと思うが、これでもし中在家先輩が昔のことを覚えていなかったら、おれとあの人はイーブンだ。逆に相手が覚えていたら、おれは心に敗北感という名の深い傷を負うことだろう。

「ん? どうだろ。そういう話、したことなかったな」

 雷蔵は、軽い口調で言った。おれは少し拍子抜けしたが、それ以上に安堵した。雷蔵と中在家先輩は、そこまでの仲ではないのだ。やった。ざまあ見ろ。

 しかし雷蔵は、こう続けた。

「今度、中在家先輩に聞いてみようか?」

「っ、嫌だ!」

 無意識に、大きな声が出た。滑り台で遊んでいた子どもたちが、一斉にこちらを向く。辺りを包んでいた笑い声が消え失せ、風の音が大きく響いた。だけどおれは、そんなことには構っていられなかった。雷蔵と中在家先輩がふたりで昔の話をするなんて、考えただけで恐ろしくてならなかった。

「な、何だよ……急に大きい声出すなよ……! ほら、子どもが驚いちゃってるじゃん……。あの、ええと、ごめんねー、大丈夫だよー」

 雷蔵は慌てて、優しい声音で子どもたちに言葉をかけた。善意に満ちた彼の笑顔に安心したのか、子どもたちはおれたちから目をそらし、再び滑り台に熱中し始めた。

「三郎、どうしたんだよ」

「……聞かなくていい。ていうか、中在家先輩とそういう話、しないで欲しい……」

 うつむいて、おれは言葉を絞り出した。雷蔵はしばらく黙った後、気遣わしげにおれの肩に手を置いた。

「分かったよ。分かったから、そんな顔するなよ」

 制服越しに感じる雷蔵の体温がじりじりと身体の中まで染みてきて、それでおれの心は少し冷静になった。我を忘れて取り乱してしまったことに、きまりの悪さと羞恥を覚える。

「……おれ、今かっこ悪かった?」

 恐る恐る尋ねると、やわらかな笑い声が返ってきた。

「どっちだって良いよ、そんなの」

 雷蔵の言葉に、おれは女子みたいに頬を熱くした。おれと違って、雷蔵は本当にかっこいい。

「おれ、雷蔵のことが好きだな」

 実感を込めて呟くと、雷蔵は 「……そういうこと、外であんまり言わないでくれるかな」 と言って口をへの字に曲げた。照れているのだ。そういうところは、可愛いなと思う。

「じゃあ、多目にポテトをあげよう」

 おれは雷蔵の真似をして、彼の手の平にポテトをどさどさと置いた。ポテトはすっかり冷めていたけれど、雷蔵の手はあたたかかった。