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2012年6月発行の同人誌 「taste of honey(みつの味)」からの補足

・同じ学校の先輩として、仙蔵と長次が登場済み(ふたりとも記憶有り)
・仙蔵は、現代五年全員と面識があります
・三郎は、仙蔵&長次とは顔を合わせたことがある程度です
・雷蔵と長次は仙蔵の仲介で知り合い、本を薦め合う仲です
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以上を踏まえてお読み下さい〜



■ザ・フール  04■


 そしてまた、特に何も起こらないまま数日が過ぎた。おれは日ごと、失望と苛立ちを募らせていった。

 何故おれは何も思い出せない。……いや、短気を起こしてはいけない。兵助と八左ヱ門は比較的すんなり思い出したみたいだが、勘右衛門と雷蔵は思い出すのに時間がかかったと言っていた。だからこれは、個人差だ。個人差に決まっている。

 おれは自分にそう言い聞かせながら、校門をくぐって学校の中に足を踏み入れた。

 周囲からは、生徒たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。新しい年度が始まったばかりで、学校全体の空気が何処か浮ついているのも腹立たしかった。 こういうとき、かつての自分なら絶対に学校になど近寄らなかったのだが、今はどんなに気が重くても、毎日休まず登校している。雷蔵に会えるからである。

 門柱の陰に隠れるようにして、生活指導の男性教師が立っていた。抜き打ちの髪型・服装チェックとのことだった。こんな死角で待ち構えているなんて、交通違反を取り締まる警察みたいだな、と思った。

 周りの生徒たちが、「ボタンを一番上まで留めろ」とか「ネクタイをきちんと結べ」とか「その髪の毛の色は何だ」とか指摘される中、おれは何の咎めも受けず悠々とその場を通り過ぎた。普段、雷蔵がきっちりと真面目な格好をしているから、彼の真似をしているおれもパッと見は校則遵守の優等生なのだ。 

 奇抜な格好ばかりしていた中学時代とは大違いだ、と笑いそうになったところで、ひとりの男子生徒がおれの横を通り過ぎて行った。すらりとした細身に、妙に優雅な身のこなし。

「あ」

 おれは小さく声をあげた。その男に、見覚えがあったからだ。おれの声が聞こえたのか、男はこちらを見た。切れ長の目と視線が合う。いかにも成績が良さそうで、もっと言うと悪知恵の働きそうな顔つきだ。

「鉢屋か」

 かるくわらって、彼は言った。そして自分の顔を指さしてこう続ける。

「覚えているか」

「立花先輩、ですよね。本屋で会いましたっけ」

 八左ヱ門に教えてもらった名前を思い出しながら、おれは答えた。

「……お前にはがっかりだ」

 立花先輩はため息をつき、首を横に振った。そういう答えが聞きたいんじゃないかった、みたいな態度である。

 お前にはがっかり。それは一体どういう意味だ。その疑問が湧くとほぼ同時に、答えが頭の中に落ちてきた。

「もしかして先輩も忍者ですか?」

 この人の言う「覚えている」は、本屋で会ったことではなく、もっともっと昔のことを指すのではないか、と思ったのだ。そういえば、初対面からやけに馴れ馴れしかった。それはおれが、大昔にこの人と何らかの繋がりがあったからではないだろうか。

「…………」

 立花先輩は、今度は少し目を丸くした。それから苦笑混じりに、こう言った。

「前置きも無しに、そんなことを言うやつがあるか」

「適当な前置きが浮かびませんでした」

「急に忍者などという単語を出しても、普通はぽかんとされるか引かれるかだ。覚えておけ」

「先輩は普通じゃないと思いまして」

「褒め言葉と受け取っておこう」

 立花先輩は楽しげに微笑んだ。が、直後にはその笑みは引っ込んでいた。そして彼は何を思ったのか、ぐいとこちらに顔を寄せてきた。整った造形の白面が視界に大写しになる。

 我々の側を通り過ぎようとしていた小柄な女子生徒が、「ひっ」と息を呑んだ。当然の反応である。朝っぱらから、校門のすぐ近くで男がふたり、異様に近い距離で会話をしているのだ。尋常でなく、おぞましい光景だ。

「……お前、本当に思い出していないのか?」

 彼はそう言って、おれの顔をまじまじと見た。その発言から、やはり立花先輩も忍者だったのだ、という確信を得た。咄嗟に、この人も昔のことを覚えているのに、どうしておれだけ……という嫌な感情が湧き上がってきたが、顔には出さないよう努めた。

「そういうフリをしているだけじゃないのか」

 既視感を覚える台詞だった。似たようなことを、八左ヱ門も言っていた。端からすれば、おれは全てを思い出したように見えるのか。不思議な話だ。実際は、ひとつも覚えていないのに。

「フリですか?」

 おれはゆっくりと、首を傾げた。否定も肯定もしない。そう言ってみたらどうなるのだろう、と興味が湧いてきたのだ。ほんの少し、胸がどきどきした。先輩は「そうだ」と頷く。

  おれは頭の中で雷蔵の笑顔をイメージしつつ、にっこりと笑った。

「先輩に対して、そんなことをする訳がないじゃないですか」

「…………」

 立花先輩は無言で、やっと顔を離してくれた。あの隙のない顔でまじまじと見られるのは大分鬱陶しかったので、おれはほっとした。

「……なるほどな。思い出したのなら、素直にそう言え」

  立花先輩は、呆れた調子でそう言った。おれは口の端がむずむずするのを、必死で我慢した。

  彼は、おれが昔のことを思い出しているのだと、勝手に思い込んでくれたのだ。

 途端におれは気分が良くなった。見るからに一筋縄ではいきそうにない上級生を、欺いてやった。どうだ、ざまあみろ。

「おれはいつだって、素直じゃないですか」

 おれはにやにやしながら言った。立花先輩はわざとらしく大きなため息をついた。

「まったく、可愛げの無い」

「酷い言い草だなあ」

「先輩をからかおうとしても無駄だ。お前の性質はよく知っている」

「ははは」

  おれが上機嫌な笑い声をあげたところで、とんとんと肩を叩かれた。振り返ると、そこにはおれの最愛の人、雷蔵がいた。彼の姿を見た瞬間、おれの胸はきゅんとなった。まさかこんなタイミングで、雷蔵に会えるなんて! 嬉しいことが立て続けに起こって、おれは久々に幸せな気持ちになった。

「三郎、こんなとこで突っ立って何してんの? 八左ヱ門が、早くジャンプ回せって怒っ……」

 雷蔵はそこまで言って、言葉を切った。おれの向かいに立っている、立花先輩の姿に気が付いたのだ。

「たっ、立花先輩……! おはようございます」

 彼は慌てて姿勢を正し、頭を下げた。立花先輩は表情を変えずに 「ああ、おはよう」と返し、今度は雷蔵の顔をじろじろと見やった。

「あ、あの……何でしょうか……」

 立花先輩の凝視に、雷蔵は戸惑いの表情で後ずさる。あまりにも無遠慮に見詰めるので、おれはむっとして立花先輩を止めようと手を挙げかけた。するとそれよりも早く、立花先輩は雷蔵から離れた。

「……それでは雷蔵も思い出したのか?」

「えっ?」

 雷蔵は目をぱちぱちさせて、おれの顔を見た。おれは小声で「忍者あれこれについて」と囁いた。雷蔵は「あ……ああ」と頷いて、立花先輩の方に向き直った。

「えーと……ええと、あの……ええと……ええと……あっ、そうか、立花先輩も思い出しておられるのですね。あの、はい、思い出しました」

「相変わらず、答えが遅いな」

「す、すみません」

「謝らなくて良い。……しかし、こうしてまたお前たちふたりを並べて見ると……ふふっ」

 立花先輩は口元に手を当て、可笑しくてたまらない、という笑い声をあげた。それから目を細めて嬉しそうに、こんなことを言った。

「本当に、お前たちは気持ちが悪いな」

「褒め言葉と受け取っておきますね」

  おれは笑顔でそう返した。雷蔵はおれたちの話について来られないようで、おれと立花先輩の顔をきょろきょろと交互に見て居た。そんな仕草も可愛い、と思った。

「今のが褒め言葉に聞こえたのなら、お前は相当頭がおかしいのだな」

 立花先輩は軽い口調で言って、踵を返した。そのまま、すたすたとおれたちから離れていく。先輩はすぐに、生徒たちの波に紛れて見えなくなった。

 最後まで、立花先輩はおれのことを疑わなかった。彼を騙してどうなるというわけでもないが、おれはガッツポーズをしたくなった。