■ザ・フール  02■

 花が全て散りきった桜並木の真ん中で、おれは雷蔵の話を聞いた。ぬるい風と一緒に、雷蔵の声が耳をそっと撫でる。

 彼の話は控えめに言っても現実離れしたもので、忍者だとか変装だとか、耳慣れない単語が頻繁に登場した。おれはそれを、黙って聞いた。

 おれたちが産まれる前、ずっと前、何百年も前。おれと雷蔵、それに八左ヱ門に兵助に勘右衛門は共に修行する忍者だった。鉢屋三郎は変装名人で普段は不破雷蔵の変装をしており、素顔を決して明かさなかった。

 雷蔵の話をまとめると、そういう感じだ。長い話が終わると雷蔵は深く息を吐き出し、足下に視線を落とした。

「急にこんなことを言われて、きっとびっくりする……というか、引いたと思う。実際、口に出してるぼくも前世とか忍者とか、だいぶ恥ずかしいんだけど……」

 雷蔵は小さな声で、「でも、聞いてくれて有り難う」と付け加えて顔を上げた。よっぽど恥ずかしいのか、頬が僅かに赤くなっている。おれはそんな雷蔵に胸をときめかせつつ、口を開いた。

「かっこいい」

 ぽつりと漏らすと、雷蔵は「えっ?」と目を丸くした。

「忍者とか、ちょうかっこいい」

  一言一言を噛み締めて、口に出す。雷蔵はとても戸惑ったように「そ、そう?」と微妙な笑みを浮かべた。

「しかも、きみの変装をしてたなんて、最高」

 おれは、自分の頬に触れてみた。ほかほかと暖かかった。もしかしたら、雷蔵みたく赤い顔をしているかもしれない。

 ずっと昔からおれは雷蔵と一緒にいたらしい。雷蔵と。雷蔵と、である。高校の入学式で彼と出会ったときから何か運命めいたものを感じてはいたが、此処までドラマチックな展開が待っているとは思わなかった。

  しかも、鉢屋三郎は不破雷蔵の変装をしていた。同じ姿をしていたのだ。双子だとかそういうわけではなく、自らの意志と技術で雷蔵の顔を作りあげ、身に纏っていたという。素晴らしい。最高だ。なんて凄い奴なんだ鉢屋三郎。

「そ……その反応は予想してなかったなあ」

 雷蔵はそう言うが、おれとしてはその反応こそが予想外だった。そんな話を聞いたら、どうしたってテンションが上がってしまうものなんじゃないのか。

「どうして?」

「三郎は、前世とか信じないと思ってた」

「きみが言うことなら、信じるよ」

「そ、う?」

「うん。そうだよ」

 風が少し強くなってきた。雷蔵のやわらかな前髪が持ち上がって、すべすべの額が露わになった。可愛い。地面の花びらが、石畳を舐めるようにして這ってゆく。

「それに、色々なことに説明がつくし」

 そう言っておれは、自らの顔を指さした。すると雷蔵は口元を引き締めた。

「あ……顔のこととか。それは、ぼくも思った」

「うん。この格好が妙に落ち着くのは、前世からの縁だったんだね」

 おれはずっと、鏡を見ても自分の顔を認識することが出来なかった。雷蔵に出会い、彼の真似をすることによって初めて、自分がどういう顔をしているかを知ったのだ。

 そういう奇妙な素地があったものだから、雷蔵の話はとてもスムーズに腑に落ちていった。成る程。今までのあれこれは、今日この瞬間の為の前フリだったのだ。

 おれは、この上無い爽快感を味わっていた。この世に生まれて今年で十七年、ずっと身の内できつく絡まっていた糸が今、するすると解けたのである。しかも、最高の形でだ。

「…………」

「雷蔵?」

「あの、あのね。ぼくたちの間で『前世』って単語は極力使わないようにしよう、っていうルールが出来たんだ」

「ぼくたち……って、八左ヱ門たちと?」

「そう。恥ずかしいから」

 雷蔵は、恥ずかしい、を強調して言った。おれはよく分からなかったけれど、彼がそう言うのなら気を付けようと思った。

 ふと、雷蔵がこちらをじっと見ているのに気が付いた。まともに目が合う。真剣な面持ちでおれを見詰める雷蔵の姿に、胸が高鳴った。

「な、何だい、雷蔵」

「……三郎は、本当に全然覚えていないんだね。ぼくの話を聞いても、何も感じない?」

「昔からつながりがあったのだと分かって、嬉しいよ」

 雷蔵の言いつけを守り、言葉を選んで発言した。しかし彼は首を横に振った。

「そうじゃなくて、少しでも思い出したりとか……」

 言われて初めて、気が付いた。

 そういえば、そうだ。これだけ色々な話を聞いて思わず舞い上がったけれど、おれには昔の記憶なんて一切無いのだ。それどころか、数年前のことすらいまいち覚えていない。 

 雷蔵は、昔のことを思い出した。八左ヱ門も兵助も勘右衛門も、思い出したのだという。

 ……あれっ、どうしておれだけ覚えていないのだろう?

「……まったく、思い出せないなあ……」

 自然と、声のトーンが落ちた。悔しかったし、残念だったからだ。みんな思い出したのに何故おれだけ、という戸惑いもあった。

  おれの中には、おれの知らない、雷蔵と共に過ごした記憶が眠っているのである。それは、富や名声よりも尊いものだ。手に入れたい、と思った。伝聞ではなく、自らの心でかつての思い出に触れたい。

「あ、ううん、良いんだよ、三郎。思い出せないなら、それで良いんだ」

 沈黙するおれを心配したのか、雷蔵が気遣わしげに声をかけてきた。しかしおれは力強く返す。

「いや、思い出してみせるよ!」

 おれの心は燃えていた。何がなんでも、前世のことを思い出すのだと決心した。すると雷蔵は、苦笑を浮かべつつこう言った。

「……その反応も、予想外だったなあ」









 数日後、おれと雷蔵、それにいつものメンバーはマクドナルドに集まっていた。ポテトとコーラを囲み、何をするでもなく他愛の無い会話を繰り広げた。もうすぐ春休みが終わってしまうとか、進路考えるのだるいとか、油くさいポテトをかじりながらそんな話をしていた。

 此処に来る前に、雷蔵は「昔の話を三郎に伝えたってこと、みんなにも知らせたから」と言っていた。しかし誰も、その話を振ってこない。話題は主に、進級と進学についてだ。

「修学旅行、何処になるんだろう」

「去年は沖縄っていってたっけ?」

「でもその前は京都だったらしいよ」

「あれって、どういう基準で決まるんだろうな」

 友人たちの会話に何となく耳を傾けつつ、おれはコーラを一口飲んだ。甘い。雷蔵がコーラを注文したから反射的に同じものを頼んだが、烏龍茶にしておけば良かった。

 おれは、深緑のトレイの上にカップを置いた。修学旅行トークはまだ続いていた。隣には雷蔵が座っていて、ポテトを二本一気に囓ってにこにこしている。雷蔵は今日も可愛いなあと思いながら、おれは口を開いた。

「で、どうやって思い出せば良いんだ?」

 おれはわざと前置きなしに言って、友人たちを見回した。雷蔵、八左ヱ門、兵助、勘右衛門の目が一斉にこちらを見る。

「…………」

 修学旅行の話で盛り上がっていた彼らは、口を閉じて沈黙した。そのせいで、カウンターで声を張り上げる女性店員の「いらっしゃいませーえ」がやけに大きく響いた。

 しばらく誰も何も言わなかったが、やがて兵助が手を挙げてこう切り出した。

「おれは幼少期、高熱でうなされたときに走馬燈代わりに流れてきた」

 その発言が合図だったかのように、他の三人も口々に話し始めた。

「おれは兵助に会った瞬間思い出して、今もじわじわ思い出し中」

「おれは、突然夢に出てきた」

「……ぼくは、八左ヱ門から話を聞いたのがきっかけなのかな。でも、思い出すのに物凄く時間がかかった」

「……バラバラなんだな、みんな」

 勘右衛門、八左ヱ門、雷蔵の言葉を順番に聞きおれは腕組みをした。まるで統一性が無い。困った。彼らの体験談を参考にしようと思っていたのに。

「でも、鉢屋が覚えてないって意外だよな」

 そう言って、勘右衛門は身を乗り出した。彼の隣に座っている八左ヱ門も、うんうんと同調する。

「そうそう。おれ、絶対三郎は覚えてると思ってたんだよ」

「三郎と雷蔵はおれをハブにしてる、ってずっと言ってたもんな」

 笑いながら勘右衛門が言うと、八左ヱ門はぎょっとしたように彼の肩を手のひらで叩いた。

「おい、それ言うなよ。何か感じ悪くなっちゃうだろ……!」

 八左ヱ門は何やら焦っているが、おれはそれよりも、どうしておれが覚えていないと意外なのだろう、とそちらの方が気になった。

「雷蔵から話を聞いたときに、体調に変化が起こったりは?」

 兵助の質問に、「特に無い」と答える。あれ以降夢を見ることもなかったし、高熱にうなされることもなかった。おれは、まったく変化の無い日々を過ごしていた。それがとても納得がいかない。あんな衝撃的な事実を知った後だ。もっと劇的に何かが変わっても良いんじゃないのか。

「あの、別に陰口とかじゃないからな? ほんと違うからな?」

 八左ヱ門がおろおろしながら何か言っていたが、おれの耳にはほとんど入って来なかった。どうすれば思い出せるのだろうと、おれはそればかりを考えていた。