※ご都合主義を作中で説明するのが恥ずかしいのでここに書いてしまいますが、進級してもクラス替えはナシということでひとつお願いします。




■ザ・フール  01■


 雷蔵と花見に行こうと約束していたのに、前日に降った大雨のせいで桜は全部散ってしまった。

「何も昨日、ピンポイントで降らなくても良いのにね」

 散った花弁でぎっしり埋め尽くされた石畳を歩きながら、雷蔵は息を吐き出した。道の両脇には、黒々とした木がずらりと幾本も生えている。前日の雨さえなければとても美しい桜並木で、此処は絶好の花見スポットだったのだ。

 おれとしては花があろうが無かろうが雷蔵と一緒に過ごすことが出来ればそれで良いのだが、雷蔵があまりにも残念がるのでそれにつられて少し気持ちが盛り下がった。

 皮肉にも今日は快晴で、気持ちの良い青空が広がっていた。左右を見れば花の全部落ちた木が、下を見ればぐちゃぐちゃに踏み固められた桃色の花びらが目に飛び込んできて何とも切ないので、おれたちは空を見ながら歩いた。

「……明後日から、新学期だね。ていうか、二年になっちゃうね」

 雷蔵はこちらを見てにこりとした。それだけで、単純なおれの心はときめいた。雷蔵の笑顔は偉大だ。

「ほんとだね」

 おれも微笑みを返す。一歩踏み出すごとに足下から伝わってくる湿った花弁の感触はなかなかに不快だったが、幸せだった。

 雷蔵と何でもない言葉を交わすことの出来る幸福に浸っていたら、雷蔵はこんなことを言った。

「そうだ。二年になる前に、三郎に話したいことがあるんだ」

「へえ、何だい?」

「……あのね、ちょっと真面目な話になるんだけど」

「…………」

 真面目な話、という響きにおれは口を閉じた。真面目な話。彼がそんな前置きを用いることなんて、そうそう無い。雷蔵の笑顔を見たときとはまた別な意味で、胸がどきどきしてきた。一体、何を言われるのだろう。

 雷蔵は神妙な顔をしている。それがまた、恐ろしかった。雷蔵の横を、スウェット姿の中年夫婦が駆け足で通り過ぎて行った。二人とも陸上経験者なのか、整ったフォームで走ってゆく。

 ……いや、そんなことは良い。雷蔵の、真面目な話を訊かなくてはいけないのである。否が応でも緊張してしまう。そして少しずつ、腹の底から嫌な予感が湧き上がってくる。

 雷蔵が話そうとしていることって、まさか……。いや、そんな……。嫌だ。嘘だろう、雷蔵。

「…………」

「……三郎?」

 黙り込むおれを不審に思ったのか、雷蔵はこちらの顔をのぞき込んできた。おれは喉を震わせた。

「……おれは……」

「うん?」

「おれは……っ、別れないからっ……」

 涙をこらえながら言うと、雷蔵は「は?」と声を大きくした。

「いや、ぼくも別れないけど……。え、何の話?」

 雷蔵の言葉に、おれはぱっと顔を上げた。嫌な想像をして冷え切っていた指先が、ほんの少しだけ熱を取り戻す。

「……別れ話じゃないの?」

「違うよ!」

 雷蔵は即答してくれた。それでようやく安心出来た。別れ話を切り出されるんじゃないかと本気で心配してしまったが、それはおれの早とちりだったみたいだ。……良かった。本当に、良かった。

「急に泣きそうな顔になるからどうしたのかと思ったら、そんな勘違いをしてたのか」

 こちらの気も知らずに、雷蔵は軽い調子で笑っている。笑いごとでは無いというのに。

「だって、きみが変にかしこまるから」

「ごめんごめん。ちょっと口に出すのが恥ずかしい話題でさ……」

「恥ずかしい?」

「そう。あのさ、ぼく、ずっと何かを忘れている気がする、って話をしてただろう」

 そっちだったか! と思った。

  確かに雷蔵はしばらくの間、何かを思い出せなくて苦しんでいるようだった。その期間はおれたちの中でも色々なことがあってそれなりに大変だったのだが……結局、雷蔵はその件に関しては「三郎がいれば良い」という結論に達したと言っていた。

 三郎がいれば良い。これ以上に嬉しい言葉があるだろうか。今思い返しても、テンションが上がる。

「あれね、結局思い出したんだよ」

「あ、そうなんだ?」

 何だ、思い出したのか。三郎がいれば思い出さなくても良い、と言っていたのに。雷蔵の悩みが解消したのはとても喜ばしいけれど、「三郎がいれば良い」が無効になってしまう気がして、おれは少しだけがっかりした。

「そう。思い出したんだ。三郎のおかげで」

 雷蔵はそう言って目を細めた。三郎のおかげ、という言葉は落ち込み掛けたおれの心を再び浮上させた。先程から、上がったり下がったり忙しい。

「で、思い出したことを三郎に聞いて欲しいんだけど……聞いてくれるかい」

「勿論、聞くとも」

 おれはしっかりと頷いた。雷蔵に合わせて真面目な顔をつくったが、内心では、聞いても良いんだ! 話してくれるんだ! と、これ以上無いくらい浮かれていた。

「先に言っておきたいんだけど、笑い飛ばしたり、馬鹿にするのは無しにして欲しいんだ」

 雷蔵は、やけに力のこもった口調で言った。おれは目を瞬かせながら 「そんなことしないよ」と答えた。雷蔵は更に続ける。

「あと、引くのも無しね。……いや、引くのは仕方無いと思うんだけど、出来ればそこは、胸にしまっておいて欲しいというか……」

「あの……一体、どんな話が始まるんですか」

「あ、ごめんごめん。実はね……」

 散りきった桜並木の真ん中で、雷蔵は話し始めた。いつものあの、やわらかな声で。おれはいつの間にか立ち止まって、彼の話に聞き入っていた。