■カウントダウン  02■

「妥協案がこれかあ」

 勘右衛門はため息をついてテーブルを見下ろした。そこには、様々なメーカーのチョコレートがずらりと並んでいる。明治、森永、ロッテ、グリコ、不二家、カバヤ、ブルボン。コンビニや百円ショップを回って買い揃えたものである。

 場所はぼくん家の居間。そこに、ぼくと三郎、八左ヱ門に勘右衛門、そして兵助といういつものメンバーが集合していた。

「各種メーカーのチョコを食べ比べ。結構良いセンの妥協案だと思うけど」

 兵助はそう言って、森永と明治のチョコレートの箱を手に取って、裏のカロリー表示なんかをしげしげと眺め始めた。

「そうそう。甘いものが食べたいっていう、お前のリクエストにちゃんと応えてるだろ」

  三郎は、「朝つめるだけ弁当」という料理の本をぱらぱらめくりながら言った。ちなみにこの本は、うちの母が買うだけ買ってほとんど使わず放置していたものである。

「……で、結局全員、箸休めに買っといたポテチが一番進んでるっていうね」

 八左ヱ門が笑って、チョコ群の隣に置かれたポテトチップスうすしお味を口に入れる。確かに、こちらの方が明らかに減りが早い。沢山のチョコをテーブルに広げた時点で少し、ぼくたちは胸がいっぱいになってしまったのだ。

「違うんだよー。俺の中では既に、国内メーカーでは不二家最強って結論が出てんだよー。だから、どうせやるなら海外メーカーでやるとかさあ」

 勘右衛門はテーブルの上に突っ伏した。そこに兵助が「海外のチョコ高いじゃん」と声を掛ける。

「ああ、あのスライムみたいな形のチョコとか?」

 八左ヱ門は相変わらずポテトチップスを齧っている。勘右衛門が 「ハーシーズ?」と問うと、彼は「名前までは知らねえ」と首を横に振った。

「ハーシーズは美味しいよね」

 ぼくもお菓子はそんなに詳しくないけれど、ハーシーズはギリギリ分かるのでそう言ってみたら、勘右衛門がぱっと笑顔になって 「ねー」とまるで女の子みたいな仕草で首を傾けた。ぼくは勘右衛門に向かって続ける。

「で、国内では不二家が最強?」

「そうそう。まろやかで美味いんだよ」

 それを聞いて、ぼくは不二家のハートチョコをひとつつまんた。口の中に放り込む。確かに美味い。勘右衛門の言う通り、まろやかな甘さだ。ぼくはそれを飲み込んでから、隣にあったカバヤのチョコレートを食べてみた。これも、うん、美味い。

「雷蔵、違い分かる?」

 三郎が尋ねてくる。ぼくは正直よく分からなかったので、 「うーん……」と曖昧に笑っておいた。

「で、ポテチが空いちゃったし。チョコも食えよ、お前ら」

 勘右衛門はそう言って、空になった袋を持ち上げた。

「ポテチまだいる? 烏龍茶もなくなったからコンビニ行くけど、買ってくる?」

 ぼくは腰を上げながら、みんなに尋ねた。すぐに八左ヱ門から 「じゃあ、コンソメパンチ買って来て」と声が掛かる。彼は完全に、会の趣旨であるチョコレートよりもポテトチップスにはまっている。

「雷蔵、おれも行くよ」

 三郎が読んでいた本を置いて立ち上がった。そんなわけでぼくと三郎は、ふたりでコンビニまで買い出しに出掛けることになった。

 玄関の扉を開けると真っ先に、濃い灰色の空が目に飛び込んできた。

「うわ、雨降りそうだね」

 ぼくは顔をしかめた。後ろから三郎も顔を出してきて、「本当だ。朝は晴れてたのに」と言った。

「傘持ってく? いやでも邪魔になるかな……」

「大丈夫じゃない? すぐそこだし」

 迷いかけたぼくに、三郎は軽く笑った。ぼくはすぐに「そっか」と納得した。それもそうだ。こんな小さなことにも迷ってしまうのが、ぼくの悪い癖だ。

「夜、雨が降ってたら雷蔵の家に泊めてもらおう」

 並んで歩き出してすぐ、三郎がそんなことを言い出した。彼がこちらを見ていることに気付いていたけれど、ぼくは敢えて空に視線を向けた。雲が重く垂れ下がっていて、本当に、今にも雨が降り出しそうだ。

「そのときは、傘を貸してあげるよ。いっぱいあるし」

「雷蔵ってば冷たい」

「それに、お前が帰らないって言ったらみんな帰らないよ」

「……あいつらほんと、うざいわあ」

「またそんな、心にも無いことを言って」

 お前だって、彼らのことが大好きな癖に……とぼくは含み笑いを漏らした。三郎はそれには答えずに、全然関係の無いことを言ってくる。

「雷蔵、来週はデートしようよ」

「ふたりで?」

「デートはふたりでするものだろう?」

「そっか」

「雷蔵はたまに、そういうところが抜けてるよね」

「ごめんごめん。……来週だね、良いよ」

「八左ヱ門とかに誘われても、断ってよ」

「分かってるって」

「何処か行きたい所、ある?」

「……でもさ、ダブルデートって言葉もあるよね? あれはふたりじゃないよね?」

「えっ、その話、生きてたの?」

「あれ、終わった?」

「とっくに終わってたよ……おれ、きみと何処に行こうか、わくわくしてるとこだったよ」

「ごめんごめん」

「で、行きたい所とか、ある?」

「……ぼくに訊くなよ。迷っちゃうじゃないか」

「迷わせたくて」

「悪趣味だなあ」

 何となく、そこで会話が途切れた。コンビニまであと少しだ。ぼくは無意識に、耳を澄ませていた。車道を走る車の音に、 向かいの道を通る自転車のチェーンが回る音、クリーニング屋の自動ドアが開く音。

「……三郎は足音があんまりしないね」

 ぼくはぽつりと言った。これだけ近くにいるのに、三郎の足音がほとんど聞こえなかったのだ。たまに捉えたと思っても、すぐに周囲の音に紛れて分からなくなってしまう。

  三郎は「足音?」と聞き返して自分の足下を見た。そして右足、左足と順番に足を踏み出してゆく。意識しているようには見えないのに、ほぼ無音に近い。

「そう。凄く静かだ」

 ぼくは頷いた。三郎は、そんなこと言われるとは思わなかった、みたいな顔をして目を瞬かせている。

「そうかな……。外だからそう思うだけじゃない?」

「ううん。無造作に歩いてる感じなのに、全然音がしないなって……」

 そこまで言って、ぼくは自分がひどく真面目な顔をしていることに気が付いて、ハッとなった。しまった。ぼくは何を、三郎の足音について真剣に語っているんだ。

「……ご、ごめん。気持ち悪いこと言って」

 ぼくは必死になって手を振った。恥ずかしい。きっと三郎も変だと思ったはずだ。

「え、そんなことないよ! 雷蔵がそんなにおれのこと見てくれてるなんて思ってなかったから、嬉しい」

 予想に反して三郎は嬉しそうに顔を輝かせた。もう一度「ごめん」と謝ろうとしていたぼくは何だか勢いが削がれて、「え、あ、そ、そう?」とつっかえながら言った。

「うん、嬉しいよ」

 三郎は本当に嬉しそうに笑っていた。それを見ていたら、先程とは別な意味で恥ずかしくなってきた。そうか、三郎はこういうのが嬉しいのか。良かった……と言い切って良いのかどうかは分からないけれど、とにかく軽蔑されなかったのでほっとした。

「おれももっと、雷蔵のことを観察しよう」

「いやあ、それは……」

 お前はもう、充分すぎるくらいぼくのことを観察しているんじゃないかな……と心の中で呟いた。ぼくの考えを知ってか知らずか、三郎は弾むような足取りでコンビニの中に入っていった。そのときもやっぱり、彼の足音は聞こえないのだった。