■ブルーブルー 前編■
入学式の日に、すごいものを見てしまった。
「なあ、雷蔵、あれ見て、見て。すごい、まじすごい」
同じ中学出身の竹谷が、ぼくの背中をばしばし叩く。彼は力の加減が苦手なので、けっこう痛い。そして言われなくても、ぼくは先程からその「まじすごい」ものから目が離せなかった。視界に入った瞬間、どうやっても目をそらすことの出来ない強烈さだった。
ぼくたちの周りにいた新入生もちらちらと、それ……いや、「それ」とか言うのは止そう……彼を見る。
彼、である。 人間だ。
ぼくたちは今からクラス分けの貼り紙を見に行くところで、同じ場所にいるということは彼も新入生なのだろうけれど、なんというか、すごかった。
具体的に言うと、青かった。何がって頭が。
肩あたりまである髪の毛が、アニメキャラも裸足で逃げ出す勢いの青さだったのだ。周りの風景に一切なじまず、まるで彼だけCGのようだった。あんな冗談みたいな髪の毛、初めて見た。
「なんというか……すごいね」
小声で、どうにかそれだけを言った。それ以外に言い様がない。すごい。とにかくすごい。
「初日からフルスロットルすぎるよな……。同じクラスでないことを祈ろうぜ」
竹谷の言葉に、ぼくは黙って頷いた。全くもって同感だった。あの青さからは、確実に触れてはいけない何かを感じる。ヤンキーかオタクか分からないけれど、属性が何であろうと入学初日でいきなり青い髪だなんて常軌を逸している。
「それにしても……コバルトヤドクガエルみてえ」
竹谷が吐息混じりに呟いた。そんな名称が、咄嗟にパッと出て来る竹谷もすごい。竹谷はほんとカエルとか好きだよね、と言おうとしたら、突然青い彼がこちらをぐるりと振り返った。ぼくと竹谷は、ヒッと息を呑んだ。
「た、竹谷、今の聞こえたんじゃない?」
「えっ、コバルトヤドクガエル? で……でも、コバルトヤドクガエルって結構可愛いんだぜ?」
「いや、そういう問題じゃなく……」
僕は途中で言葉を切った。青い彼が、風を切って大股でこちらに近付いて来たからだ。まっすぐ、ぼくたちの方に向かっている。やばい、と思った。どう考えたってこれは因縁をつけられる。しかる後にボコられる。そんな未来が容易に想像できた。ぼくは身震いした。怖いのも痛いのも大嫌いだ。
そのとき隣の竹谷が逃げ出そうとしたので、ぼくは反射的に彼のベルトをつかんだ。
「ちょ、おまえ、雷蔵、離せよ」
「嫌だよ、何ひとりだけ逃げようと……」
そこまで言って、僕は息と一緒に言葉を呑み込んだ。青い彼が、ぼくたちの前で立ち止まったのだ。間近で見ると、髪の青さが目に刺さって痛い。
彼は細身で、身長はぼくと同じくらいだった。顔は、目を合わすことが出来ないのでよく分からない。とかく得体の知れない威圧感のようなオーラのような、そんなものを感じた。こいつはきっと普通じゃない、とぼくは直感した。
「きみ、どっかで会ったことあったっけ?」
彼はぼくに向かってそう言った。竹谷に言ったのかなと思いたかったけれど、残念ながら彼は思い切りぼくを指さしていた。
「え、い……いや、無いと思う、よ」
僕は一生懸命首を横に振った。無いと思う、と言ったけれど、会ったことなんてあるはずがない。あれば絶対に覚えている。
「ほんとに?」
何故か彼は食い下がってきた。僕は再度、首を横に振る。青い彼の口調は穏やかだったが、油断は出来ない。突然殴られたり蹴られたり噛みつかれたりするかもしれない。
「ほんとに、会ったこと無いよ」
だからもう勘弁して下さい、という気持ちを込めつつぼくは言った。すると彼は「そっかあ」と間延びした声をあげた。ただの勘違いで、絡まれたわけではなかったらしい。ぼくは心底ほっとした。速やかに、そそくさとこの場を去ろうとしたら、再度青い彼に声をかけられてしまった。
「きみは、きちんと締める派?」
「え?」
ぼくは、反転しかけていた身体を元に戻した。彼は、ぼくの胸元を指さしていた。
「ネクタイ」
彼の一言に、ぼくは自分のネクタイに視線を落とした。真新しい、紺のネクタイだ。それから前に向き直ると、青い彼はネクタイを締めていなかった。全体的に、制服を着崩している。やっぱりヤンキーだろうか。今まで、そういう部類の人たちとあまり関わったことがないので、どうすれば良いのかよく分からない。
「いちおう……入学式だし」
ぼくの声はどんどん小さくなった。視線も少しずつ下向きになってゆく。
「じゃあ、おれも締めた方が良い?」
「た、多分そう……かな?」
「そっかあ」
彼は先程と同じのんびりとした調子で頷き、ズボンのポケットから紺のネクタイを取り出した。そしてそれを首にひっかけて、「あ」と短く声をあげる。
「そういえばおれ、ネクタイの締め方知らないや」
「……そうなんだ」
「ということで、よろしく」
そう言って彼は、白い歯を見せて笑った。素晴らしい歯並びだった。未だ怖くて彼と視線が合わせられないので、そんなところばかりが目についた。
「よろしくって、ぼくがやるの?」
ぼくは瞬きをした。こんなに長く彼との会話が続くと思っていなかったから、正直泣きそうだった。そして何時の間にか、隣に立っていた竹谷の姿が消えていることに気が付く。逃げられた。友情って何だろう。
「うん」
彼は頷いた。ぼくは断ることが出来なかった。だって髪の毛があんなにも青いから。ぼくは一歩前に出て、彼の首に掛かっているネクタイの端を手に取った。
「あんまり、ネクタイ結ぶの得意じゃないんだけど……」
「良いよ、何でも」
仕方ないから、もうさっさと結んでしまおう。そう思って無造作にネクタイを交差させたところで、僕は動きを止めた。普段の手順を頭で思い浮かべ、首を傾げる。
「……あの、後ろに回って良いかな」
彼の背後を指で示してそう言うと、「何で?」と、彼も青い頭を傾けた。
「向かい合わせだと、いつもと視点が違ってやりにくいから……」
ぼくは控えめに告げた。いつもは自分の胸元を見下ろしながら結ぶから、向かい合わせだと何だか変な感じがするのだった。よく考えたら、人のネクタイを結ぶなんてやったことがない。
「ああ、成程ね。良いよ」
彼はそう言って、また歯を見せて笑った。細密できれいな歯だ。そんなとこばかり見ているぼくもどうなんだろうと思う。
「じゃあ……失礼します」
ぼくは何故か敬語になりつつ、彼の背後に回った。途端に、視界のど真ん中に飛び込んできた青さにウッとなる。コバルト……何ガエルだと竹谷は言っていたっけ。毒っぽい名前だった気がする。確かに、毒がありそうな色だ。うっかり触れたら、手が溶けてしまいそうな。本当にこれは自前だろうか。カツラとかじゃないんだろうか。
そんなことが気になりつつも、ぼくは彼の肩越しにネクタイを覗き込んだ。そして、ハッとあることに気が付いた。
周囲の人がみんな、ぼくたちを見ている。
そりゃそうだよな、こんだけ青かったら見るよな、と納得しつつも僕は物凄く恥ずかしかったしいたたまれなかった。もっと言うと、本気で泣きそうだ。
両手を伸ばして、ぼくは彼のネクタイを持ち上げた。背後から手を回しているので、彼に抱きつくような格好になってしまう。
夢と希望あふれる入学式の日に、桜の花びらが舞う中で、青い頭の変な奴に後ろから抱きつきつつ、そいつのネクタイを結ぶ男、不破雷蔵。
端から見たら、物凄くシュールな光景だと思う。ぼくは一体、何をしているんだろう!
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