■恋に落ちた鉢屋三郎の五日間  四日目(前編)■


 わたしがその会話を耳にしたのは、まったくの偶然であった。

  放課後に、我が五年ろ組の面々でバレーボールに興じていたところ、とある阿呆がよりにもよって、くのいち教室の敷地にボールを飛ばしてしまったのだ。もう一度言おう。よりにもよって、くのいち教室に、である。それはこの学園内で、六年長屋の次に禍々しい場所だ。

 何でそんな所に打ち込むんだと、そいつは皆から責め立てられた。そして気が付けば、わたしがボールを取りに行くことになっていた。意味不明である。学級委員長だからだそうだが、その理屈は絶対におかしい。しかし下手人が涙ながらに懇願するので、食券三枚で手を打ってやることにした。いやはやまったく、わたしも人が好い。

 ……で、くのいち教室である。正門に回って事情を説明すればボールくらい取らせてくれるが、面倒臭いし嫌味を言われることは目に見えているので、忍者らしくこっそりと忍び込むことにする。

  幸い、塀の向こうは誰もいなかった。注意深く、周囲に視線を巡らす。探し物はすぐに見つかった。生け垣のど真ん中に雄々しくめり込んでいた。これは見つかるとまずい。わたしは素早くボールを拾い上げた。それとほぼ同時に人の気配を感じたので、急いで生け垣の陰に隠れる。くのいちたちの、かしましい話し声が近付いてくる。わたしは気配を殺しつつ、念の為山本シナ先生の顔を作っておく。万が一見付かりそうになったら、シナ先生のふりをしてやり過ごそう。

「……だから、わたしたちはあの子がきちんと告白出来るように、後押ししましょ」

「そうね。そのためには、ふたりきりにさせないと」

  くのいちはふたり連れであった。どうやら、誰かが想い人に愛の告白をするらしく、やけに熱のこもった口調で言葉を交わしている。

 ほうほうなるほど、とわたしは耳をすませた。これは、くのいちの弱みを握る好機である。あやつらは抜け目なくて狡猾だ。何かあったときの為に、使えそうな材料は掴んでおいて損はない。よし、しっかりと聞いておこう。一体誰が、誰に想いを寄せているというのか。

「ふたりきり……それが一番難しいわね。不破先輩と鉢屋先輩、いつも一緒にいるのだもの」

 思いもよらぬ名前が出て来て、一瞬息が止まった。

 なんだ、と!

 口から声が出そうになった。雷蔵。雷蔵だと。こやつらのことだから見目の麗しい立花先輩に挑むか、懐柔しやすそうな伊作先輩辺りをたぶらかすのかと思いきや、よりにもよって雷蔵だと。この×××(自主規制)どもめ、雷蔵に目を付けたか。良い趣味しやがって。畜生、そんなことを許してなるものか。

「あの子、ちゃんと想いを伝えられるかしら」

 心配そうな声が、生け垣の前を通ってゆく。あの子ってどいつだ、雷蔵をたぶらかそうとする××××(自主規制)は一体誰なんだ……と、わたしはやきもきしていた。

「大丈夫よ。散々予行演習をしたじゃない」

「決行は?」

「もうすぐ。夕食までに手を打ちましょう」

 甲高い声は段々遠くなってゆく。彼女らの気配が完全に消えてから、わたしは生け垣の陰から抜け出した。

  ああ、雷蔵! 雷蔵がくのいちどもの毒牙にかかってしまう。それだけは避けなくては。

  彼は優秀だから女の色などに惑わされるようなことは無いはずだが、如何せん相手はくのいちである。しかも先程の会話を鑑みるに、徒党を組んで謀略を巡らせているようではないか。何をされるか分からない。 阻止しなくては。断固、阻止しなくては!











 わたしは急ぎ、男子教室の敷地に戻った。級友たちが待っていたので、バレーボールがくのいち教室の生け垣を破壊していたことを告げ、証拠隠滅のために全員この場から速やかに立ち去るよう指示した。

「だけど三郎、ちゃんとバレーボールを回収出来て良かったね」

 急いで部屋に戻る道中、雷蔵は笑顔で言った。わたしは胸がきゅっとなった。それと共に、何があっても女などに、特にくのいちなどに雷蔵はやれぬと改めて決意を固めるのである。

 あの×××(自主規制)たちは、本日、夕食までに仕掛けると言っていた。もう時間がない。とかく雷蔵とくのいちを引き合わせないよう、わたしは手を打つことにした。

「雷蔵、雷蔵」

 部屋について少ししてから、わたしは雷蔵に声をかけた。頭巾を解こうとしていた彼が、こちらを向く。

「何だい、三郎」

「ちょっと、これを見てくれるかい」

 そう言ってわたしは、行李から着物を二枚引っ張り出し、雷蔵の前に広げて見せた。一枚は紺地に白の波模様が入っていて、もう一枚は山吹色の無地である。突然差し出された着物に、雷蔵は首を傾げる。

「次の校外実習で着る着物、きみはどちらが良いと思う?」

「えっ」

 尋ねると、雷蔵はびくりと肩を反応させた。

「ど、どうして、そんなことをぼくに訊くんだ。お前が好きな方を着れば良いじゃないか」

 選ぶ、ということが極端に苦手な雷蔵は、困ったように言った。その表情がたまらない。ああ、今すぐこの手で抱きしめてしまいたい。

「おれだって、迷うことくらいあるよ。だからきみに選んでもらおうと思って」

「ええ……っ。そ、そうだなあ……」

 雷蔵の視線は、二着の着物の間を忙しなく行ったり来たりする。案の定、迷っているのである。ああ、なんて可愛いのだろう。出来ればずっとその姿を眺めていたいけれど、そういうわけにはいかない。名残惜しさを抱えつつも、わたしは立ち上がった。

「ちょっと外しているから、おれが戻ってくるまでに考えておいておくれね」

「わ、分かった。頑張るよ」

 雷蔵は腕を組んで真剣な顔で頷いた。わたしが着る物を選ぶのに、こんなに迷ってくれるだなんて。また惚れ直してしまうではないか。

  そんな胸の疼きと共に、部屋を出る。さて、後はひとりでうろうろして、くのいちを釣り上げるのみである。