※雷蔵の初恋を捏造していますので、駄目な方はブラウザバックで!
■恋に落ちた鉢屋三郎の五日間 三日目■
鐘が三度鳴った。加藤村より馬借便が届いたという合図である。それを聞いて忍術学園の生徒たちはぞろぞろと、中庭に集合する。自分宛の荷物や文を受け取るためだ。それでわたしも雷蔵と連れだって、中庭へと出掛けた。
「雷蔵、何が来ていた?」
二日ぶりに雷蔵の変装をしたわたしは、雷蔵に尋ねた。すると彼は、たった今受け取ったばかりの文を持ち上げた。
「ぼくは、郷里からの文が二通。三郎は?」
「おれは、取り寄せてもらっていた、新しいかもじ」
わたしは、手にした包みを軽く揺すった。前々から頼んでいて、ようやく届いた品である。これで変装の幅が広がると思うと胸が躍った。
「ぼくの変装用?」
「そう、きみの変装用」
雷蔵の問いに、深く頷く。そうすると雷蔵は、困ったように笑った。
「程々にしておいてくれよ」
その微笑みと、少し呆れたような、だけど決して怒ってはいない声の調子に、わたしの胸はときめいた。ああ、好きだ雷蔵。どうしようもないくらいに、好きだ。
「ああ、分かったよ」
わたしは、雷蔵への愛を噛み締めつつ頷いた。
ふわふわとした気持ちを抱き、部屋に戻る。更に浮き足立った心持ちで包みを開けていると、文を読んでいた雷蔵が声をあげた。
「わあ、あやめちゃんからだ」
女の名前が出て来て、わたしはどきりとした。今まで宙に浮いていた気持ちが、どすん、と地面に落ちた。
あやめちゃん。あやめちゃんなる人物から、雷蔵に文。誰だその女は。しかもその名を呼んだときの雷蔵は、何やら嬉しそうであった。誰だ。一体、何者なのだ。
「……あやめちゃん、というのは?」
わたしは、出来の悪いからくり人形のような固い動作で、振り返った。わたしの身の内が黒く燃え上がっていることなど知らない雷蔵は、文から顔を上げて朗らかに笑う。いつもはそんな笑顔を見て一層どきりとなるのだが、このときは焦燥ばかりが身を突き上げた。
「ぼくの実家の裏手に住んでいた女の子。ぼくよりもひとつ年上で、忍術学園に入る前は、よく遊んでもらっていたんだ」
「へえ……」
自分でもどうかと思うほど、暗い声が出た。雷蔵の話は続く。わたしは、耳を覆ってしまいたかった。
「目元がきりっとしていてね、しっかりとしたお姉さんだったよ。ぼくが小さいとき川で溺れそうになったところを、助けてくれたり」
今思うと男の癖に情けないよね、と照れ臭そうに雷蔵は笑う。わたしは表情を崩さないよう必死だった。そんな幼なじみがいただなんて、今まで全く知らなかった。手が震え出す。
「……それじゃあ、そのあやめちゃんは、きみの初恋の人ってわけか」
止せば良いのに、そんなことを訊いてしまった。本当に、止せば良いのに。自分で自分を追い詰めて、一体何が楽しいというのか。
「あはは、分かる?」
その明朗な返事は、わたしの脳天に深く突き刺さった。
ほらな! ほらな!! だから止せと言ったのに、何故訊いた!
まったく愚行であった。自分の掘った落とし穴に勢いよく飛び込んだようなものだ。わたしは大馬鹿野郎である。ああ本当に、何故そんなことを訊いた。
初恋の相手から、雷蔵に文が届いた。一体どんな内容なんだ。どれくらいの頻度で文のやり取りをしているのだろう。入学してからずっとだろうか。訊きたいことは山ほどあった。しかし、何処まで訊いて良いものであろうか。あまりがつがつと問い詰めて、わたしが胸に秘めているこの想いを悟られてはまずい。
わたしが悶々と考え込んでいると、雷蔵は上機嫌でこんなことを言った。
「それでね、あやめちゃん、無事に赤ちゃんが産まれたんだって」
……一瞬、頭の中が白く濁った。
「え……っ、え?」
わたしは懸命に、彼の言葉を咀嚼する。雷蔵、今きみはなんと言った? 赤ちゃんが? 産まれた? あやめちゃんの?
「うわあ、良かったなあ。心配してたんだ。身籠もってから、高熱を出したとか言ってたから」
「ら、雷蔵」
まるで自分のことのように喜ぶ雷蔵を、わたしは一旦遮った。雷蔵は目をぱちぱちさせて「うん?」と可愛らしく聞き返す。
「その、あやめちゃんというのは、もう……」
情けないくらい震えた声で尋ねると、雷蔵は笑って手を振った。
「ああ、そこを説明してなかったね。ごめんごめん。あやめちゃんは去年、同じ村の与七さんて人のところに嫁いでさ、先日無事に男の子を出産したんだって」
それを聞いてわたしはかちどきを上げたくなった。何だそうだったのか。そうだったのか! 邪魔者は既に片付いた後であったか。更に子どもまで産まれて、雷蔵はそれを心から祝福しているようだ。何だ。そうか。そういうことか。良かった。良かった。本当に良かった。今もその初恋が続行中だったら、わたしの命は今ここで絶えていた。危ないところであった。
「そうなんだ。それはめでたいね」
ようやく余裕を取り戻したわたしは、笑顔でそう述べることが出来た。雷蔵もにこにこして、続ける。
「それでね、面白いんだよ。その子の名前が、『へいすけ』っていうんだって。平に助けるで平助。字は違うけれど、何処かで聞いたことがあるよね」
「それは、豆腐好きになりそうな名前だな」
わたしたちは、声を合わせて笑った。こうやって、何でも無いような会話で彼と笑い合えることが、わたしにとって何よりの幸せであった。
「今度帰って来たら、平助を抱きに来て下さいって。ふふ、楽しみだなあ」
「そうかい」
頷きながら、わたしは同時に一抹の寂しさも感じていた。わたしと雷蔵はずっと一緒である。しかしそれはこの学園に居る間のみの話であって、長期の休みになれば離ればなれになってしまう。一年の大半は共に過ごせるのだから何を贅沢な、という話だが、それでもやはり切なかった。
しかも雷蔵は次の休みには、初恋の相手が産んだ赤子を抱きにゆくのである。初恋といってもとっくに終わっているようなので、わたしがやきもきすることはないのだろう。それでも、かつて雷蔵が好きだった相手と彼が顔を合わせる、なんて場面を想像すると胸が窮屈になる。常に一緒にいられない歯がゆさを感じずにはいられなかった。
わたしは顔を伏せて、かもじの包みに向き直った。落ち込んでいることを雷蔵に気取られてはならない。さあ、なんと言ってこの感情を誤魔化そう。そう考えたときであった。
「三郎も来るかい?」
雷蔵が、思わぬことを口にした。何処までも軽い口調であった。
「えっ」
わたしは思わず背筋を伸ばし、雷蔵の方を向いた。彼は、いつもどおりの表情で笑っていた。
「ぼくの村まで、平助ちゃんを抱きに。お前、子ども好きだろう」
「…………」
すぐには言葉が出て来なかった。ただ雷蔵を見つめることしか出来ない。胸の奥が大きく震えた。すっかり冷えていた全身が、たちまち温かくなってゆく。
「あ、勿論、他に用事があるのなら」
雷蔵がそんなことを言うので、わたしは慌てて雷蔵の手をがっしと掴み、言った。
「行くとも!」
行く。そんなの行くに決まっている。雷蔵の郷里である。行かない理由が何処にもない。正直、あやめちゃんとやらのことはどうでも良いが、赤子のふゆふゆとした頬をつつくのは大好きなので、思う存分つつかせてもらおうと思う。
「そ、そうかい?」
雷蔵は、わたしの勢いに若干戸惑ったようだった。わたしは、首がちぎれんばかり頷く。そのまま、雷蔵のことを抱きしめたくなった。
やさしい雷蔵。可愛い雷蔵。
ああ、わたしはやっぱり、何があってもきみのことが好きだ!
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