| ■きみが涙を流すなら 02■
 
 そんなわけで僕と相原は、ファーストフード店に入った。
 僕の目の前には、アイスコーヒーが置かれている。相原が奢ってくれたものだ。
 
 「どうもすんません。いただきます……」
 
 僕はぺこりと頭を下げた。
 相原は、「ええよええよ」と言って笑う。
 
 相原誠は明るくて、同性にも異性にも親しまれるタイプだ。まとめて言うと、気さくで爽やか。
 僕はあまり話をしたことがなかったが、いい奴なんだろうなあとは思っていた。
 
 それにしても、まさかあんなタイミングで相原に会うとは思わなかった。
 みっともないところを見られてしまった。恥ずかしいしバツが悪い。
 だけど、声をかけてもらったことは、本当に嬉しかった。
 
 ……そして、困ったことがひとつ。
 先ほどコースアウトして、暴走を始めた脳みそと感情が元に戻らない。
 心臓が盛大に鳴り響いていて、なんとなく息苦しい。
 顔も熱くなってきた気がする。
 
 相原とはそんなに親しい訳ではないが、彼が何処からどう見てもノーマルな男であることは分かる。
 そんな彼に、ドキドキしちゃってどうする。
 しかも、失恋して一時間と経っていないというのに。どれだけ節操がないんだ。
 
 「で、どうしたん? って……聞いてもいいんか分からんけど」
 相原がシェークをかき混ぜながら、気遣わしげに僕の方を見た。
 
 「……ああ、うん。ちょっと……失恋を、いたしまして」
 
 カップで手を冷やしながら、言い淀みつつも正直に言った。
 
 「えええっ! マジで!?」
 「うん……。て、何でそんな驚いてんの」
 「いやあ、吉川みたいな男前でも、そういうことあるんやなあって」
 「はは、何言っとんねん」
 
 僕は力なく笑った。十中八九お世辞だろうけれど、男前と言ってもらって嬉しかった。
 
 「その……相手は、どんな人やったん?」
 「ええと、年は二十七歳で」
 「うお、十も年上やん。お姉さまか。すっげえな、お前。さすが吉川、かっこええ」
 
 お姉さま、か。普通はそう思うよな。 心の中で苦笑するが、敢えて否定しない。
 僕は自分の性癖を、周囲にカミングアウトする勇気はなかった。そんな恐ろしいこと、とんでもないと思う。
 いつボロが出るか分からないので、学校では絶対に恋話なんてしないようにしている。
 だけど、今日ばかりはしゃべりたかった。誰かに聞いてもらいたかった。
 
 「でも、その人は結婚してて子どももおってな」
 「人妻かい! な、何か大人やな吉川……!」
 「二人目の子どもが出来たから、別れようって言われてん。あ、もちろん、おれの子ちゃうで」
 「はああ……」
 
 相原は妙に目をキラキラさせて、僕の顔を見ていた。
 その無垢な顔を見ていると、何だか笑えてくる。
 
 「えっ何、吉川。何で笑ってんの」
 「いやだって、ふられたー言うてんのに、何でそんなキラキラした顔でこっち見とんねん、と思って」
 「や、あの、ちゃうって。ちゃうねんって!
 吉川ってもてるのに、全然そういう話って聞かへんなあーと思っててんけど、色々大変やねんなあーと……いやほんま」
 「もててへんっちゅうねん」
 
 僕は笑いながら、アイスコーヒーをすすった。水っぽい。けど、相原が奢ってくれたと思えば、美味く感じる。
 いい奴やなあ、こいつ。と、しみじみ思った。
 
 「相原は、付き合ってる子とかいんの?」
 
 口に出してから、自分の言葉にひどく戸惑った。
 僕は何を探っているんだろう。それを聞いて、どうする気だ。
 
 「おらへんよ。おるわけないやんか」
 
 間髪入れずに、笑い飛ばされた。嘘をついている感じではなかった。安心した。そして、安心した自分に幻滅した。
 本気か? 本気なんか、おれ?
 ほんまのほんまに、失恋直後に優しくしてもらったからって、惚れてしまったんか?
 
 戸惑いはいつの間にか恐怖に変わっていて、僕の内側をじりじりと侵した。
 体内を氷水が流れているような、そんな感覚に襲われる。
 痛い目を見ると分かっているのに、どうして僕という奴は、危険な方へとばかり歩いて行こうとするのだろう。
 
 「ええーでも相原、もてるやろ」
 「おれみたいなサルが、もてるわけないやん」
 
 相原は声をあげて笑い、手を振った。
 そんなはずはない。こんなに良い奴なんだから、絶対にもてるはずだ。
 
 「そうや。吉川、携帯番号教えてや」
 「えっ、うん」
 
 予想だにしていなかった展開に、僕はドキッとした。
 
 いやいや、落ち着け。携帯番号教えて、は単なる社交辞令だ。連絡先を交換したからって、どうなるものでも……。
 自分で自分にそう言い聞かせ、鞄の中から携帯電話を取り出した。
 手が震えるのを止められない。こんなことくらいで、なんて情けない。
 
 「おれのも教えたるわ。愚痴とか言いたくなったら、いつでもかけてきていいでー」
 「相原……」
 
 僕は、感極まっていた。本当に、なんという良い奴。
 もうおれ、ほんまにお前と結婚するわ……。
 そう言いたかったが、やめた。本気にされることはないだろうけれど、笑い飛ばされても悲しい。
 
 それから僕たちは、しばらくの間とりとめのない話をした。
 学校の話とかよく聞く音楽の話とか、肉が食いたいとか車の免許を早く取りたいとか、そんな話を。
 相原はよく喋り、よく笑った。
 だけどうるさいわけではなく、なんというかキラキラしていて華やかな奴だと思った。
 そして相原と話している間、僕は確実に失恋のことを忘れられた。
 
 二十三時を過ぎた辺りで、僕たちは外に出た。
 相変わらず外は暑かったが、相原としゃべって気が晴れたせいか、そんなに不快に感じなかった。
 
 「そんじゃな、元気出せよ」
 
 別れ際、相原はそう言って僕の背中を叩いた。
 
 「……こんな遅い時間までごめんな。コーヒーごちそうさん」
 「ええよええよ、また何か奢って。そんじゃまた明日、学校でな」
 
 相原は屈託なく笑って、手を振った。
 また明日、という響きに、何故か泣きそうになった。
 
 
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