■ライ・クア・バード 02■


 ぼくの友人、鉢屋三郎は少し変わっている。

  とにかく、色々な面で変わっている。

 まず、初めて会ったときは、青かった。何がって髪が。本当に物凄い勢いで青だった。

  だけど今、何をするでもなくぼくの顔を見てにこにこしている彼は、青くない。至ってふつうの髪型だ。もっと言うと、ぼくとお揃いみたいな。どうしてかは分からないけれど、入学式の翌日にはこうなっていたのだ。

 クラスメイトいわく「不破と鉢屋は双子みたい」だそうだ。ぼくとしては、そこまでそっくりだとは思わないのだけど。

「三郎は、何をしているの?」

 三郎からの視線が落ち着かなくて、ぼくは読んでいた文庫本から顔を上げた。今日のお供は、東野圭吾「赤い指」。この昼休み中に最後まで読めるかなと思ったけれど、三郎のことが気になってちっとも進まない。

「雷蔵を見ているんだよ」

 彼は見たまんまのことを言って、とても幸福そうに微笑んだ。

「見て、どうするの」

「ただ、見ているだけだよ」

「退屈にならない?」

「ならない」

 彼は断言した。いやに真面目な表情だった。ぼくは呆れて息を吐き出した。人の顔(しかも、男の)をまじまじ眺めて退屈しないなんて、どうかしている。

「……三郎は……」

「何だい、雷蔵」

「変な奴だねえ」

 そう言うと、三郎は先程よりもっともっと幸せそうに笑うのだ。本当に、変なやつ。

「雷蔵は、本を読むのが好き?」

 不意にそんなことを尋ねてくるので、ぼくは「うん、好きだよ」と頷いた。

 本はずっと好きだった。暇さえあれば活字を目で追っている。小さい頃から絵本さえ与えておけば静かになるから手が掛からなくて楽だった、と両親にも言われた。

 ……というようなことを三郎に言うと、彼は目を細めて「そうなんだ」と言った。

「三郎は?」

 三郎は何となく読書家っぽいな、と思いつつぼくは言った。もし彼が本好きなら、あれこれ小説の話が出来る。そういう期待も込めた質問だった。しかし三郎からの返事は、予想とは違うものだった。

「おれはあんまり、読まないなあ」

「そう……」

 少し残念になりつつ、ぼくは相槌を打った。読まないのか。読みそうなのに。読めばいいのに。

 ぼくは本が好きだけど、その楽しさを分かち合う相手がいなかった。小学校からずっと仲の良い竹谷八左ヱ門は、漫画は読むけれど小説は全く読まない。勿論、八左ヱ門と小説以外の話をするのもとてもとても楽しくて大事な時間なのだけれど、誰とも趣味の話が出来ないのは、やっぱり少し寂しい。

 しかし続けて、三郎はこう言ったのだった。

「でも、これからはおれも読もうかな」

「ほんと?」

 ぼくは声を大きくした。目の前で三郎が笑っている。

「じゃあ、おすすめを持ってくるよ」

 勢い込んで、ぼくは言った。すると三郎は、「きみの?」と目をまるくする。そんなことを言われるとは思っていなかった、という顔だった。ぼくはしっかりと頷いた。

「うん、ぼくの」

「楽しみだなあ」

 そう言って、三郎は笑った。今日見た中で、一番良い笑顔だった。ぼくだって物凄く楽しみだ。ぼくは嬉しくて、胸の中がほわほわと温かくなった。










 寝る前に、三郎に貸す本を選ぶことにした。

  とりあえず、持ち運びに便利な文庫本にしよう。と、スムーズに決まったのはそこまでだった。そこから先は、本棚の前で何時間も悩みに悩んだ。ぼくの家は家族全員が本読みだから、やたら沢山本がある。この中から、三郎に貸す一冊を選ぶ。試練のときである。

 ぼくはこういう、「沢山の中からひとつを選ぶ」というのがとても苦手だ。試しに一冊を手に取ったら、その隣の方が良いような気がしてくるし、それを手に取ったら、もうひとつ隣のがより素晴らしく見えるのだ。かと思えば、やっぱり一番最初の本が良いんじゃないか、なんて気分になったりする。

 しかも、ぼくがここでどの本を選ぶかによって、三郎が小説を好きになってくれるかどうかが決まるかもしれないのだ。責任重大である。そう思うと、ますます決められなくなった。

 一番最初は、読みやすいのが良いかな。星新一とか?

 ……でも三郎だったら、いきなり純文学を貸してもスルッと読んでくれそうな気もする。というか、三郎に文学って何だかとても似合っている。近代文学を読む鉢屋三郎。想像するとかっこいい。さまになっている。

 それじゃあ夏目漱石とか……。いやいや、「あんまり読まない」と言っていたから、少しは読むのかもしれない。それだったら、漱石くらいは読んでいるかも? じゃあどの辺? だけどぼくも文学はあまり沢山は読んでいないから、おすすめ出来る範囲が限られてくる。

  三国志とか水滸伝とか、ぼくは物凄く好きなのだけど、三郎は読んでくれるかな。いや、いきなり長すぎるだろうか。でも北方謙三のなら読みやすいし……いやいややっぱり短い方が良い……いやでも、だけど、

「駄目だ!」

 考え過ぎて訳が分からなくなったぼくは、おもむろに携帯をつかんでメール作成画面を開いた。こういう場合は、本人に訊くのが一番手っ取り早い。

『読むならどういうジャンルが良い?』

 送信。そうしたら、一分もしない内に三郎から返事が返ってきた。彼の返信はいつも異様に早い。

『読んだことないから、ミステリがいいな』

 文末にはハートの絵文字。しかも三つ連続で。メールの文面がいやに可愛いのも、彼の特徴である。

 ともあれ、ミステリ。ミステリか! お陰で、だいぶ候補が絞られた。「了解」と一言だけ返信をして、再び本棚と向かい合った。ジャンルが決まれば、後は楽ちんだ。読みやすくて、トリックが面白くて、それでいて犯人に意外性のある……。










 ぼくは、はっと目を覚ました。

 窓から、白い光が差し込んでくる。

  気が付けば、朝になっていた。ぼくの前には本棚。そして、周囲には積み上げられた文庫本。

 ……そうだ、あれからも三郎へのおすすめが決められず、本を出したりしまったり、うっかり読み返したりしている内に眠ってしまったのだ。やってしまった。ぼくは心の底から後悔した。

 おかしい。ジャンルさえ決まれば、楽勝のはずだったのに。

 時計を見る。もうあまり時間がない。やばい。ぼくは適当に手を伸ばし、一番近くにあった文庫本を引っ掴んだ。

 筒井康隆「ロートレック荘事件」

 ……文句なしに名作だし、トリックは面白いし犯人にも意外性はあるけれど、初心者向けかと言われると、首を捻らざるを得ない。だけど、早くしないと遅刻してしまう。それに、面白いのは間違い無いのだし、良いや。

 ということでぼくは「ロートレック荘事件」を自分の部屋まで持って上がり、通学用の鞄に入れた。三郎は喜んでくれるかなあ……なんて、どきどきしながら。