■青あおとした青 14■


 家に帰ってから、高野には、

『大丈夫です。ご心配おかけしました。今日は話聞いてくれてありがとうな』

  とメールを送った。ほどなくして、

『それなら良かった。今日は、泉の本音が聞けて嬉しかったよ。何かあったら、いつでも言ってね。じゃあ、また明日!』

 という返事が返って来る。彼女の快活な声が聞こえるような文章だった。なんて良い奴。思わず、溜め息が出てしまう。

  高野がこんなに優しいのは、もしかして本当に俺のことが好きだから……? なんて一瞬考えてしまって、大慌てでそれを打ち消した。まさか。そんなことがあるわけがない。高野がこんな、チビで関西弁のしょうもない男に、惚れるわけがない。どう考えたって、高野が好きなのは大和だ。大和に決まっている。

 ……で、俺はその大和と、何をした?

 どうしても思考がそっち方面に転がってしまって、俺はベッドの上で悶えた。思い出すまいと思っていても、どうしても思い出してしまう。その度に、信じられない気持ちになる。何でこんなことになったんだ。どうなってるんだ。現実に起きた出来事なのか。 俺はそんなことを悶々と考えながら、一夜を過ごした。ほとんど眠れなかった。




 翌日、だるい身体と頭を抱えてフラフラと登校していると、学校のすぐ近くで大和と会った。

「いっちゃん、おはようー」

「おーす……」

 俺は力なく挨拶をした。大和の顔は血色がよく、つやつやしていた。何でお前はそんな健康そうやねん、と少し腹が立った。  大和は俺の顔を見て、「うふふふ」と、またあの気持ち悪い笑い声を出した。

「いやあ、良い朝だよね!」

「うっぜえ……」

 俺は舌打ちしつつ、言った。大和はそれに気付いているのかいないのか、「やだなあ、いっちゃん元気ないよ!」なんて言いながら、嬉しそうに俺の背中を叩く。

「教室行って高野が来たら、勝負な」

 大和は言って、拳を握りしめた。そう、今日は勝負の日だ。高野が好きなのは、俺なのか大和なのか。

「……俺、よう聞かんから、お前聞いてな」

「うわ何それ。ちょっと卑怯くさくない?」

「何でやねん。お前の方が付き合い長いねんから、お前が聞くのが順当やろ」

 そんなことを話している内に、学校に着いた。

  大和が教室の扉を開けると、扉のすぐ近くに高野がいるのが見えた。彼女は「あっ」と声をあげると、手に持っていたデジカメを構えた。

「大和、泉、笑って!」

 えっ? と戸惑っていると、大和が俺の腰に抱きついて顔をぎゅっと密着させてきた。直後、フラッシュが焚かれ、白い光が眼球を突く。

「な、にさらしとんじゃボケ!」

 人前でいちゃつくな、言うてるやろうがあ! ……と心で叫びつつ大和の頭を拳骨でどつき、背中を蹴飛ばした。

「痛い! いっちゃん痛い! こわい!」

 高野は俺たちのドタバタに全く気を留める様子もなく、デジカメの画面を確認して、「はーい、ありがとう」と笑った。

「いや、高野も! 何撮ってんの! それどうすんねんな!」

 俺はやたらとテンパってしまって、舌を噛みそうになった。そんな俺を見て、高野はきれいな歯を見せて笑う。

「アメリカに送るの。うちの彼氏が、日本の友達が見たいって言うから」

「彼氏?」

 俺と大和の声が重なった。

  え、彼氏? 今この人、彼氏っておっしゃった?

「お前、彼氏いんのっ?」

 再び、大和とほぼ同時に同じことを言う。あまりのシンクロっぷりに、周囲から笑いが起こった。当の高野は、ムッとしたように目を細める。

「何よその反応。あたしに彼氏がいちゃおかしいか」

「い、いや、そういうわけちゃうくて……」

 詰め寄ってくる高野に、俺は怯みつつ後退する。大和は、ぽかんとした顔で立ち尽くしていた。

「真奈ちんの彼氏、可愛いよねー」

 近くにいた女子が、楽しそうに言った。別の女子も「よねー」と声をあげて頷く。女子たちにとっては周知の事実のようだったが、男子たちは小さい声で、

「え、マジで?」

「高野、彼氏いんの?」

「しかもアメリカ人」

 なんて囁き合っている。

「何、みんなは見たことあるの?」

 大和が女子たちに尋ねると、彼女らは顔を見合わせてくすくす笑う。

「えー、あるよー?」

「ねー」

「そういえば真奈ちんの彼氏って、大和とオオサカくんを足して二で割った感じじゃない?」

 ひとりがそう言うと、他の女子たちは「そうかも!」「確かにー!」と、楽しそうに同意する。

「ちょっと、やめてよ。ジョシュアの方が断然カッコ良いって!」

 高野は、ムッとしたように口を尖らせる。ジョシュアというのが、その彼氏の名前らしい。おお、めっちゃアメリカ人な名前や、などと的外れな感心をしてしまう。

「真奈ちん、大和とオオサカくんにも写真見せてあげたら?」

 女子の言葉に、高野は目を細めた。

「えー、どうしよっかなあー」

 そんなことを言いながらも、高野は若干嬉しそうにデジカメを操作して、一枚の写真を見せてくれた。

 公園らしき場所で、高野と白人の男が並んで笑っている。男の方は高野と同じくらいの身長なので、アメリカ人水準ではかなりのチビなんじゃないだろうか。だけど愛嬌のある顔をしていて、女子の言うとおり、可愛い感じのイケメンだ。それと、何だかムカつくくらいにお洒落だった。

「ええと、これは……俺のチビさと大和のチャラさを足して二で割った感じ、てこと?」

 俺が尋ねると、女子たちは声をあげて笑った。そういうことらしい。

「失礼ね。ジョシュアは泉ほど小さくないし、大和ほど軽くもないわよ」  

  心外だというように、高野は言った。お前が一番失礼やないかと思ったが、何も言わなかった。写真の中の高野が、あまりにも幸せそうだったからだ。

  画面の中で微笑む高野は、普段とは全然違う顔をしていた。写真の彼女には、姉貴と呼びたくなるような威厳や風格はなく、フワフワと柔らかな雰囲気を身に纏っていた。そうか、好きな男の前では彼女も女の子なんだな、と思った。

 しばらく俺と大和は顔を寄せ合って写真を見ていたが、やがて周りから石橋をはじめとする他の男子が、

「俺も見せて!」

「俺も俺も」

  と寄ってきて、あっという間に俺たちは輪の外に弾かれてしまった。

 俺は大和を見た。彼も、こちらを見た。俺たちは何も言わず、並んで教室を出た。そのまま無言で廊下を歩いて階段を上り、屋上へと続く扉を開いた。

「全ッ然違うやんけ!」

 屋上に出るやいなや、大和の頭をはたこうとしたが、彼は身体を捻ってそれをかわした。

「いっちゃんこそ! 全然間違ってんじゃん!」

「彼氏おるらしいやんけ、何やそれ!」

「知らねえよ! ひとっことも聞いてねえもん、俺」

「幼なじみであんだけ仲良くて知らんって……え、なんなん自分、実は結構軽視されてんの?」

「だから、そう言ってんじゃん! なのにいっちゃん、人の話全然聞かねえでさあ」

「ちゃうもん俺悪くねえもん、最初にお前らラブラブって言ったん、石橋やもん」

「うわ何その責任転嫁。高野は絶対大和のことが好きや、とかなんとか自信たっぷりに言い切ってたじゃんかよ!」

「あーもう、好きや、のイントネーションが違うっちゅうねん! ていうか、何なん、このいたたまれなさ。何で俺、こんな恥ずかしいのん」

 もしかして高野は俺のこと好きなのかも……などという勘違いを、一秒でもしてしまった自分を殴り飛ばしたい。自意識過剰による勘違いほど、恥ずかしいものはない。

「俺もめちゃくちゃ恥ずかしいよ! ……いやでもさあ、タイミングよくあいつの彼氏の話題が出て良かったよね。知らずに、高野に『高野は俺といっちゃんどっちが好きなの』とか聞いちゃってたらと思うと……」

「いや! やめて! そんなん想像するだけでも耐えられへん!」

 俺はキャーと叫びながら、耳を塞いだ。恥ずかし過ぎて、頭のてっぺんが熱い。

 というかまさか、高野にアメリカ人の彼氏がいるなんて! なんという意外性。いやしかし、高野に彼氏がいると分かった今、高野の大和に対する態度を思い返してみると、そこまでラブラブでもなかったのかも……などと思ってしまう。人間って、なんて単純な生き物だろう。

「あ、いっちゃん、大変!」

 急に大和が深刻そうな声をあげたので、俺は「えっ、何なにっ?」と、慌てて顔を上げた。すると大和は俺の頬を両手でわしづかみにして、物凄い勢いでキスしてきた。頭の中が一瞬で真っ白になった。

「……あー、いっちゃんが可愛すぎて、大変だった」

 唇を離してから、大和は深く息を吐いてそう言った。俺は考えるよりも先に、大和に頭突きを喰らわしていた。

「いったあ! いっちゃん、それ痛いからやだ!」

「やかましわ! お前は何をさらしとんねん!」

「だって、人前じゃなかったら良いって言ったじゃん」

「人前で馴れ馴れしくしたら殺す、とは言ったけど、二人やったら何しても良いとは言うてへんっちゅうねん!」

「ええー、何それ、俺たち付き合ってんでしょ?」

 妙に切実な目で訴えてくるので、俺は言葉に詰まった。 返事が出来なくて視線を彷徨わせていたら、大和が抱きついてきた。

「くっそー、可愛いなこいつ!」

「だから、何でそうなんねん!」

 俺は大和から逃れようともがいた。しかしこいつはこういうときだけ本当に馬鹿力で、全く振りほどくことが出来なかった。

 ……俺は大和と高野が付き合うんだと思っていたし、大和は俺と高野が付き合うんだと思っていた。だけど実際は高野にはアメリカ人の彼氏がいて、俺と大和が付き合うのか。

 何やそれ。俺、どう考えてもアホやんけ。

 そう思うと急速におかしくなってきて、俺は少し笑った。

「泉、大好き。めっちゃ愛してる」

 大和は幸せそうに、歌うような口調で言った。

「……めっちゃ、のイントネーションがおかしい、っちゅうねん」

 大和に抱きしめられたまま、俺は呟いた。

 遠くから蝉の声が聞こえてきた。もう、あまり不快には感じなかった。ただ、ああ夏なんだな、とだけ思った。



おしまい!

09.02.02