■彼らの愛は夜開く■


 呑み処「ぴくしい」

 この世ともあの世とも知れぬ空間に、その店はひっそりと建っている。店主がひとりで切り盛りしている、木造の、カウンター席しかないごく小さな居酒屋だ。

 客は皆、この世のものともあの世のものとも知れぬ存在、妖精たちである。妖精だってときには呑みたいのである。くだを巻きたいのである。この店は、妖精たちの憩いと癒し、そして情報交換の場として古くから愛されているのだった。

 今宵もまた、疲れ切った妖精が、羽を休めるため「ぴくしい」の暖簾をくぐる……。

「どうもー……」

 寝不足の身体を引きずって、ピコカンは死にそうな顔で戸を開けた。すると銀色の髪をした色白の店主が、微笑みかけてくる。彼もやはり、妖精である。店主の前には仕切りのされた鍋が置かれ、中でおでんの具が美味そうに煮えていた。

「やあ、久し振り。疲れてるねー。バレンタイン進行?」

「ついさいっきまで、当日のタイムテーブル調整をしてました」

 呟きつつ、ピコカンは入り口に一番近い席に座った。そこが彼の指定席であった。

「ああーそれ、いちばん大変だよね。おれも現役のときは、そこが一番きつかったわ。あ、いつもので良い?」

「っす」

 頷く。店主は慣れた手付きで大根、牛すじ、ねじり白滝、はんぺんを器に盛り、金色のつゆをたっぷりかける。それから背後の棚より日本酒「男自慢」の瓶を取り、グラスになみなみと注いだ。

「みんなも同様に疲れてるよー」

 笑いながら、おでんと酒をピコカンの前に置いた。ピコカンは、そう広くない店内を見回してみる。あまりに疲れていて気が付かなかったが、数人の同業者が、土気色の顔をして座っているのが視界に入った。カウンターに突っ伏しているもの、屍蝋のような表情で酒をすするものなど、皆一様に疲労困憊の様相を呈している。ピコカンの担当するBL世界のみならず、どの世界もバレンタイン前は通常業務に加え、イベント準備も同時進行でこなさなければならないためデス・マーチなのである。

「……よう、ピコカン」

 隣に座っていた妖精が声をかけてきた。どぎついピンクの髪の毛と、金色の瞳が眩しい。彼はロマンス世界……通称ハーレ○イン世界を担当している妖精である。

「よう、久し振り」

 ピコカンはそう言って、日本酒のグラスを持ち上げた。熱燗で飲んでいたらしいロマンス妖精は、猪口を軽く掲げる。

「……ピコカンのとこのバレンタインはどうなん。最近の傾向としては」

「奇抜な設定よりも、ごく普通の日常ものが多いかな。一気にセッティング出来るから楽でいいけど、ブッキングしないよう調整するのに死ねる」

 ピコカンはそう言って、大根を箸で半分に割った。中心までつゆが染みていて、うつくしいきつね色であった。ロマンス妖精は、カウンターに肘をついてうんうんと頷いた。

「あー確かに最近、ファンタジーとか減ったよなー」

「あと、擬人化ブームが地味にきつい」

「そゆもん? 景気良さそうだから、みんなで羨ましがってたんだけど」

 意外そうに目を瞬かせるロマンス妖精に、ピコカンは軽く手を振った。

「人数要るだろ、あれ。都道府県擬人化なんて、一気に四十七人だぜ。それぞれの個性や属性を比較してナンボな世界だから、ある程度の人数がいないと始まらねえ。だから人員確保がきついんだわ」

「なるほど、そんな落とし穴が。おれが、社長の頭数を揃えるのに毎回苦労してるようなもんか」

「ああ、『ボスに恋して』系な。そっちも大変だよな。シークは?」

「下火傾向だな。たまーに別ジャンルでシークが必要なときの、レンタルが主になってる」

「そうかあ、お前んとこの、シーク独占市場もそろそろ終焉かあ」

「まあ、シークもボスもあんまり変わらないんだけどな」

 そこまで話したところで、店の戸ががらりと勢いよく開いた。雪崩れ込むようにして、誰かが入って来る。鮮やかな緑の髪の毛をした妖精であった。彼は、ネオロマンス世界……通称逆ハーレム世界を担当している妖精だ。ぜえぜえと大きく息を吐き、何やら随分と切羽詰まっている様子だった。

「だ……っ、誰か……!」

 縋るように呟き、ネオロマ妖精は顔を上げた。頬はこけ、角度によって色が変わって見えるうつくしい瞳も、今ではすっかり濁ってしまっている。

「誰か……っ、誰か、執事と理系教師余ってない……!?」

 全員が、さっと目をそらした。どうやら、ネオロマ世界でトラブルがあったらしい。関わらないのが吉である。しかしネオロマ妖精は、まっすぐにピコカンの方に向かってきたのであった。

「ピコちゃん! ピコちゃん頼むよ! 執事と理系教師!」

「何でおれ名指し!? 余ってねえよ!」

 しがみついてくるネオロマ妖精を引きはがそうとするが、凄まじい力でかじりついてくるので、びくとも動かない。ネオロマ妖精は目に涙を浮かべ、こう言った。

「だってBLもネオロマも、属性的には大して変わんないじゃん! 頼むよーA型インフルで、急遽ふたり欠員が出ちゃったんだよ!」

 インフルエンザの場合、周囲に感染の恐れがあるため「風邪プレイ」ネタにすら使えない。治るまでは隔離しなければならないわけである。確かにそれは災難だ。しかしそこを管理するのが担当者の仕事であるし、それ以上にBL世界からキャストを貸し出し出来る余裕はない。無い袖は振れないのである。

「バレンタインまで、あと何時間だと思ってんだよ! 今更、進行表を変えられるわけがねえだろ!」

「そこをなんとか!」

「無理!」

 ピコカンとネオロマ妖精が争っていると、店の一番奥で静かに飲んでいた黒髪の妖精が、すっと手を挙げた。

「あっ、ぼくのところ余ってるよ。ちょっとカニバリズムだけど」

「特殊性癖世界担当は黙ってろ!!」

 ピコカンとネオロマ妖精の声が重なった。特殊性癖世界担当の妖精は、赤い眼を細めてうふふと笑った。

「とにかく、おれんとこからは貸せな……」

 そこまで言ったところで、再び店の戸ががらりと開いた。今度は、小麦色の肌をした妖精であった。百合世界の妖精である。ピコカンは何だかとても嫌な予感がした。

「勝ち気な女子……勝ち気な女子は余ってへんか……」

 またも全員が、さっと目をそらした。しかし百合妖精もまた、迷わずピコカンに駆け寄るのだった。

「ピコカン!」

「だから何でおれなんすか!」

「知ってんねんぞ! BLに出て来る女は大抵勝ち気やろ! 男勝りやろ!」

 百合妖精の目は血走っていた。あまりの迫力に、ピコカンはウッとなって顔をそらす。

「それが何なんすか! 無理っすよ!」

「何でやねん! BL世界のバレンタインなんて、女の出番なんか無いやろ! おれんとこは女しかおらんねん!」

 その叫びに、周りの妖精たちは「あー確かに」などと言いつつ頷いている。かちんときた。それは全くの偏見である。

「ありますよ! バレンタインデート中に、攻の元カノと遭遇して修羅場とか! なんっぼでも出番はあります!」

「何やねんなあああ! 余らせろやあ!!」

 百合妖精はうずくまり、拳で床をどんどんと叩いた。あまりの騒がしさに、店主が苦い顔になる。

「つうか、うちの女性陣は男性から見た萌え要素は皆無なんで、派遣しても無駄だと思いますよ」

「とりあえず頭数が揃えばええねん! ちょ、ほんま頼むって! ひとり結核でダウンしてもうてんて!」

 こちらは結核らしい。それもまた隔離コースである。気の毒だし、この先輩にはよく飲みに連れて行ってもらったりしていて世話になっているので何とかしてやりたいところだが、余った女性キャストは既に他の世界に貸し出してしまって余裕がない。

 ……いや、本当のことを言うとひとりくらいは都合出来なくもないのだが、それをすると全てのタイムテーブルをずらさねばならないのである。いくら先輩の為とはいえ、既に何日も徹夜している身体でそんな重労働は御免であった。なので、ピコカンは黙っていることにした。

 するとまた、特殊性癖世界担当が口を開いた。

「ぼくのところ、余ってますよう。乳房の数は六つで良いですかあ?」

「だから、てめえは黙ってろよ!」

「誰がいつ多乳萌えの話をしてん!」

 ピコカンと百合妖精の声が重なった。カウンターの中で店主が、ひとごとのように笑う。

 開け放された戸の向こうでは、ちらほらと雪が舞い始めていた。ホワイトバレンタインである。

 こうして今年もまた、人間にとっても妖精にとっても、色んな意味で特別な一日が始まるのだった。






※1
シークとは、石油国の王族のことらしいです。

※2
どうでもいい、妖精たちのキープボトル
ピコカンのボトル→「男自慢」「美少年」
○ーレクイン妖精のボトル→「愛美人」「黄金」
ネオロマンス妖精のボトル→「紅一点」「大輪」
百合妖精のボトル→「乙女」「初花」
特殊性癖妖精のボトル→「秘蔵子」「最高峰」


そういうわけで、ハッピーバレンタイン!


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