■きみが涙を流すなら 21■
おれ、おんな、あかんかも。
正直に言ってしまうと、それを聞いて一番最初に浮かんだ言葉は「チャーンス!」だった。今ここで押したら、もしかして相原を落とせるんちゃうか、とすら思った。
しかし相原の青ざめた顔を見ていると、邪な気持ちを抱いている自分が恥ずかしくなって来た。
僕は何を考えているんだ。 自分のことは後だ。まずは、相原の話を聞かないと。
僕は煩悩を脇に追いやって、居住まいを正した。
「……ええと、相原。女があかんっていうのは、つまり……」
「いやもう、そのまんま。女嫌いになってもうたかも、ってこと」
「そんじゃ、片岡は断ったん?」
「うん」
その返事を聞いて、僕はこっそりと息を吐き出した。
良かった。自分勝手な考えだとは思うが、ほっとした。
相原に彼女が出来たんでなくて良かった。
相原は、ため息まじりに続ける。
「今までそんなん全然、ほんまに全く考えたことなかってんけど……。
でも今日、片岡に告白された瞬間、頭ん中に妹と兄貴がやってる映像がバッて出て来てさあ……。
めっちゃ悪寒が走って、何かもう、あかんかった。
吐き気してくるし、片岡が香織に見えてくるし……ほんまに、あかんかった……」
相原は暗い声でそう言って、視線を下に落とした。全然減っていない肉じゃがの皿に箸を突っ込み、じゃがいもを転がす。
僕は眉をしかめた。相原家の問題は、深く、とても深く相原を苛んでいる。いたたまれない気持ちになった。代われるものなら、代わってやりたい。
「だからおれ、女あかんかもって思ってさ……。
あかんかも、っていうか、多分あかんわ。
女と付き合って、セックスするとか無理っぽい。絶対、あいつらのこと思い出すし。
何かもう、気持ち悪くてしゃあない……。なあ、吉川」
相原は、顔を上げた。彼は、むちゃくちゃ不安そうな顔をしていた。
「おれ、おかしいかな……」
「おかしくないって!」
僕は勢いよく答えた。おかしくない。おかしいはずがない。
「そんな風になるの、無理ないって。誰やって、そうなると思う」
もしかしたら、うちの母親も……と言いかけたけど、僕は咳込んで誤魔化した。
今は関係ない話だ。相原のことだけを考えよう。
「ごめんって断ったとき、片岡の泣きそうな顔見たら、うわーおれって何ちゅう男なんやと思ってさあ……。
別に片岡は何も悪くないのに、妹と同列に考えるなんて最低すぎるやろ。
でもだからと言って、片岡と付き合えるかってなると……無理やねんなあ……」
あかんわ……と消えそうな声で呟いて、相原は苦しそうに顔をゆがめた。
僕はなんだかたまらなくなって、相原を抱きしめる……ことはやっぱり出来ないので、彼の肩にそっと手を乗せた。
「相原さ、そんな自分を責めんなよ。お前は何も悪くないねんしさ……」
「いや!」
急に強い口調になって、彼は顔を上げた。
「でもおれさ、兄貴と妹のことでしんどいしんどい言うてるけどさ。
この状況を変えるために、何か努力してんのかっつったら、何もしてへんねんで。
何かやることあるんちゃうんかい、って思うけど、結局何もせんと吉川ん家に逃げてばっかでさ……」
「何かやることって……例えば?」
「あいつらを別れさすとか……。
両親にバレへんように。
そんで、別れさせた後も今までどおり家族でやってけるように……」
相原の語気がどんど弱くなる。
そんな風に全てが上手く行くはずなんてないと、彼自身も分かっているのだ。
この状況をどうにかしたい。だけど、家族仲は壊したくない。
……ああ、何処かで聞いた話だ。これでもかってくらい、既視感を覚える。
僕は駄目だった。
状況はどうにもならなかったし、結局家族仲も壊れた。
相原には、そうなって欲しくない。
「……一時的なものなんちゃうかなあ」
「え?」
僕の言葉に、相原が首を傾ける。
「相原が、女あかんっていうの。
なんていうの、こんな言い方もアレやけど、一回告白されて駄目やっただけやん?
もっと他の……いい子がおったら、その子と付き合えるって」
「……そうかなあ……」
「あんま深く考えんなよ。今はあかんかも知らんけど、お前やったらちゃんと彼女出来るって」
よくそんなことが言えるなと、自分自身に感心してしまった。
僕は頭がおかしいんじゃないのか。
まだ不安そうな相原に、僕は笑いかけた。
頭の中が半分くらい、麻痺してしまっているようだった。
今喋っているのは、僕だけど僕じゃないような……変な感じだ。
「ゆっくり考えようで。おれも一緒に考えるしさ」
そう言うと、相原はぱちぱちと瞬きをした。
彼の目には、僕はどういう風に映っているだろう。
「……そやな」
相原は頷いて、ようやく笑った。
その笑顔を見て、僕はほっとした。やっぱり、彼には笑っていて欲しい。
「あー、何かパニクってもうたわー。ごめんなほんま、毎回毎回。お前も大変やのに」
「ええってええって。ていうかおれ、何もしてへんし」
軽い口調でそう言ってから、僕はほったらかしになってた野球中継に視線をやった。
今日は阪神は攻撃も守備も全然駄目で、どっぷりと大敗への道を歩んでいた。
やっぱり終わった。僕も、野球も。
……疲れた。
相原が帰ってから、約数時間。僕はずっと、ひとり反省会を開催していた。
「ほんまおれ、死んだ方がいいわ……」
僕はベッドの上でもんどりうった。
何が、「お前やったらちゃんと彼女出来るって」だ。何を言ってるんだこの男は。
お前は一体何がしたいんだ。
ああ、先ほど言ったことを全部、リセットしてしまいたい。
あれらの発言が、相原にとって良いことなのか悪いことなのか、それは分からない。
分かっていることはただ一つ。僕は、恋のチャンスを自ら潰してしまったということだ。
もうちょっと何かこう……アプローチ出来たんじゃないのか。むしろ、あそこで踏み込まないでいつ踏み込むって言うんだ。
いやでも、相手が弱っているところにつけこむような真似は……。
しかしだからって、相原が女の子と付き合えるように、応援してどうするんだ。そんなんじゃ、一生友達のままじゃないか。折角、チャンスが訪れたのに。
だけど、あそこはああ言うしかなかった。だって他に励ましようが……。
こんな風にずっと、「もっと踏み込むべきだった派」の僕と「あれが最善だったんだよ派」の僕が頭の中で激しく揉めている。
彼らの論争は終わる気配を見せず、まだまだ続きそうだった。
「うううう……」
自然と、口から呻き声が漏れた。考えすぎて、頭がはち切れてしまいそうだ。
あんなこと言ってしまって、本当に相原に彼女が出来たらどうしよう。
やっぱり片岡と付き合うことにしましたーとか言われたらどうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
僕は、ベッドから体を起こした。ボサボサの頭を掻く。
……ここらが潮時かも。
ぽつりと、そんなことを考えた。
そうだ。潮時だ。
僕はそろそろ、今後の明確な方針を決めなくてはならない。
相原は多分僕のことを、良い友人だと思ってくれている。そう思われるように、僕が必死で立ち回っているからだ。
しかし彼と友人以上の存在になりたいのなら、今みたいに、友人のフリをしてダラダラと相原の側に居座っていてはいけないのだ。
彼の友人というポジションは、とても居心地が良い。その位置をキープしたいのなら、彼への恋心はすっぱりと諦めるべきだ。
それが嫌なら、「お前ならちゃんと彼女が出来る」なんて良い友人を演じたりせずに、告白するなりなんなりするべきだったのだ。
「ううう……」
僕はもう一度、呻きをあげた。
一生友人か、告白して玉砕か。
決めないと。決めないと駄目だ。
ああ。
ううう。
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