■電信■


 自宅で夕飯(今日は牛丼だった)を食べ終えて、ダラダラとテレビを見ている時だった。宗太は、向かいに座る葵がしきりに携帯電話をいじっているのを見て、あれっこいつ携帯なんて持ってたっけ? と首をかしげた。

「……ねえ、葵」

「何だい、宗太さん」

「きみ、携帯って持ってたっけ」

「おう、今日買った」

 葵は携帯電話をパタンと閉じ、それを掲げて見せた。黒い、薄型の携帯電話だ。宗太が契約しているところと、同じ会社のものだった。

「え、きみ、身分証とか……持ってるの?」

「そりゃ持ってるよ」

 そこまで言ったところで、葵の手の中で携帯が震え出した。彼は再び携帯を開き、ボタンをカチカチやり始める。

「……ねえ、葵」

「何だい、宗太さん」

 葵は携帯電話を操作する手を一旦止めて、宗太の方を見た。

「あ、番号なら後で教えるよ」

「いや、それは別に良いんだけど……」

「お前のは、もう知ってるから」

「な、何で知ってんの」

 さらりと発せられた葵の言葉に、宗太の声は半分ひっくり返る。すると葵は、すこし芝居がかった口調でこう言った。

「僕は何でも知ってるのさ」

「……か、勝手に携帯見たなっ?」

 宗太が言うと葵は眼を細めて、宗太の頭を思いきりはたいた。葵の手が上がった時点で宗太は危険を察知し、ガードしようかと身構えたが、間に合わなかった。宗太が鈍いわけではない。とかく、葵の動きが素早いのである。

「いたっ!」

「僕をそんな、安っぽい人間だと思って欲しくねえなあ」

 全く……と呟いて、葵の視線は携帯に戻る。宗太は頭をさすりながら、葵の手元を見つめた。細い指がせわしなく動いて、ひたすら文章を打ちこんでいる、

「じゃあ何で知ってんの」

「早苗さんに聞いた。こないだ、一緒にご飯食べに行ったときに」

「何だよ……おれとは一緒に行ってくれなかったのに……」

 ごくごく小さい声で呟いたが、葵の耳には届いたらしい。彼は鋭い眼光で、宗太を睨みつけた。その目を見ていると喰われそうで、宗太はぎこちなく目をそらした。何か言われるかと思ったけれど葵は無言で、メール作成を再開させた。

「……ねえ、葵」

「何だい、宗太さん」

「さっきから、一体誰にメールしてんの」

「んー」

「もしかして、早苗ちゃん?」

「いいやー」

 葵は首を横に振って、携帯電話をテーブルの上に置いた。そして立ちあがって、冷蔵庫からアイスを取り出す。コーヒー味のパピコ。葵はそれが好きらしく、いつもパピコばかりを食べている。

 早苗ちゃんじゃないなら、誰だ?

 宗太は首をひねった。

「宗太さんも食う?」

「あ、うん。食べる」

 宗太が頷くと同時に、葵の携帯電話が震えた。

「わー、夕子さん返信はやーい」

 葵はパピコを二つに割りながら、感心したように言った。そして、「宗太さん、パース」とパピコの片割れを投げてよこす。

「えっ何、夕子っ?」

 驚きのあまり、宗太はパピコをキャッチすることが出来なかった。手をすり抜けたパピコが、宗太の胸元に当たって膝の上に落ちた。その冷たさに、飛び上がりそうになる。

「え……な、何で葵と夕子がメールを」

「だって僕と夕子さん、メル友だもん」

「ええええ」

 突拍子もない返事に、宗太は口を開けた。葵は何故か、勝ち誇ったように笑う。

「僕たち、仲良いんだぜ」

「い、一体いつの間に、アドレス交換なんかしたんだよ」

「今日。携帯買いに行くの付き合ってもらったから、その時に」

「えっ、えっ、ええっ?」

「宗太さんがいない時に、夕子さん自分の荷物取りに来たりしてたからさ。それのお手伝いしてる内に、仲良くなったんだよね」

 パピコの口をがりがりとかじりながら、葵は言う。その間も、メール、メール、メールだ。

「……一体、どんなこと書いてんの?」

「お、気になるか」

 葵はパピコから口を離し、どす黒い笑みを浮かべた。顔の造型は女の子らしいはずなのに、どうして彼はこう、ひとつひとつの仕草が怖いのだろう。

「そりゃ気になるよ。な、何かおれのこと書いてたりとか……」

「ええとね、今夕子さんから来たメールのタイトルは、『宗太の浮気シグナル三カ条』だよ」

 その言葉に、宗太は口にくわえていたパピコを落としてしまった。足に冷たい塊が落下し、また飛び上がりそうになる。

「な、何をやり取りしてんの、君ら!」

「いやあ、これは勉強になるよ。あーなるほど、宗太さんは浮気すると、こういう風に顔に出るわけね」

「え、な、ちょ、見せてよ」

「アホか。見せたら意味ないだろうがよ」

 宗太が手を伸ばすよりも早く、葵は携帯電話を高く掲げて逃げる。

「今、夕子さんに色々教えてもらってるとこだから。浮気したって一発でバレんだからな。覚悟しとけよ、お前」

 宗太は、終わった、と思った。青春が終わった。まだまだ遊びたい盛りなのに。

  短い付き合いながら、葵の恐ろしさは宗太自身よく分かっている。この間も、飲み会のノリで女の子とキスしたことを早苗ちゃんにチクられて、気が遠くなるまで殴られた。それが、これからもっと厳しくなるということだろうか。 異邦の地からやってきた少年に青春を奪われるなんて、なんという理不尽だろう。

 宗太は反射的に、自分の携帯を手に取った。ダガガガとキーを打ち、夕子に「余計なこと言うな!」とメールを送る。

 いくらもしない内に、宗太の携帯電話が震え出した。素早い動きで、画面を開く。


>送信メールエラー  アドレスが見つかりません。


「な……!」

 宗太が声を上げると同時に、葵がぷっと吹き出した。

「……何笑ってんの、葵」

「いや、宗太さんが絶望する様に萌えただけ。夕子さんにメール送って、返って来たんだろ。新しいアドレス、教えてもらえてないんでやんの」

 葵は、意地の悪い口調で言う。宗太は返事をしなかった。葵から目をそむけて、パピコをちびちびと吸う。

 何だ、この疎外感。 ていうか、夕子、別れて速攻でメールアドレス変えるなんてそんな。非道すぎる。そんなに、おれと連絡取るのが嫌なのか。まさか、番号も変わってないだろうな……。

 アドレス帳を開き、夕子の番号に発信……しようとして、やめた。繋がる気がしない。番号が変わっていたらへこむが、着信拒否なんかにされていたらもっとへこむ。

 重い気持ちでパピコをすすっていると、葵が宗太の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。宗太は顔を上げる。葵は携帯電話から手を離して、嬉しそうに笑っていた。

「何だよもー。宗太さんてば、拗ねんなって」

「……別に、拗ねてないよ」

「拗ねてんじゃん。でもま、アレだな。お前は黙ってる方が可愛いな」

「ああそう」

 宗太はぞんざいな口調で言って、つけっぱなしで全く見ていなかったテレビに視線を戻した。最近売れ出した芸人が、早口で何かをしゃべっている。その芸人のトークの隙間を縫って、

「……猿ぐつわかな……」

 と呟く葵の声が聞こえて、宗太はビクッと身体を反応させた。

「えっ何。何、何か今、怖いこと言わなかった?」

「言ってないよ、一言も」

「嘘つけ! 猿ぐつわがどうとか、言ってたじゃん!」

「猿ぐつわの何処が怖いんだよ」

「そのケロッとした表情が怖いよ!」

 その叫びとほぼ同時に、宗太の携帯電話が震え出した。メールだ。

 開いてみると同じ学部の男友達からで、合コンの誘いだった。相手は違う学部の同い年女子らしい。やった、と心を躍らせた瞬間、物凄い勢いで葵に頭をはたかれた。

「はい、宗太さんの浮気シグナルその1が出たよー」

「えっ、ええっ? 何処、何処にっ?」

 宗太は慌てて、自分の顔に手を当てる。葵が一体何処を見て判断したのか、さっぱり見当がつかなかった。動揺する宗太の眼を、葵はじっと見つめた。探るようなその視線から、宗太は逃げ出したくなった。

「女からか?」

「ち、違うよ」

「じゃ、合コンの誘いだな」

「な」

 言い終わらない内に、もう一発はたかれた。そして葵は、呆れたように腕を組む。

「わっかりやすいなあ、お前」

「いちいち痛いよ、葵……」

「良いから断りの電話入れな。メールじゃなくて電話。僕の目の前で断れよ。ほら、早く」

「え、ええー。何でそんなこと……」

「三秒以内にかけなかったら、僕は通販で猿ぐつわを購入する」

「……っ!」

 宗太は光の速さで携帯電話を手に取った。

 何でこの世に携帯電話なんてものがあるんだ。
 通信の利便性なんか、くそくらえだ。

 ……などと心の中で悪態をつきながら、葵が見張る前で、合コンの誘いを電話で断った。相手は、大層びっくりしていた。

『ええー、何でっ? お前、女の子と遊びたいって言ってたじゃん。だからこっちも、お前の好きそうな女の子揃えたのに』

 宗太は青くなった。葵が受話器に耳をぴったりとつけて、通話を聞いていたからだ。宗太は恐ろしくて、振り向くことが出来なかった。側でぼそりと、

「猿ぐつわ……と、極太ディルド追加かな……」

 と呟く葵の声が聞こえて、 宗太は涙目になった。