■流れ星 02■


 妖精がいなくなると、周囲は驚くほど静かになった。

  しばしの間、宗太はその場に呆然と立ち尽くした。今起こったことを、とてもじゃないが受け入れることが出来ない。

「っくしゅ!」

 隣から巫女少年の小さなくしゃみが聞こえ、宗太は我に返った。

「……きみは、帰らないの?」

 恐る恐る尋ねてみると、巫女少年はもう一度くしゃみをし、宗太を見上げた。

「だって僕は、プレゼントですから」

 しっかり頷く巫女少年に、宗太は頭を抱えた。こんな大きくて生きてる置き土産なんて、正直困る。どうしろっていうんだ。

「あの、ごめん。さっきのやりとり聞いて分かったと思うけど、おれノーマルだからさ……。プレゼントって言われても困るんだよね。だからさ、帰っていいよ。ほんとごめんね」

 一応相手も人間なので、優しい口調でお願いしてみた。しかし巫女少年は、ゆっくりと首を横に振る。

「そう言われても、僕はピコカンさんがいないと、帰れないので……」

「えっ、そんじゃどうすんの」

「宗太さんのお側に……」

 大きな、そしてうるんだ瞳に見上げられて、宗太の両腕に鳥肌が立った。

「いやごめん、ほんと勘弁して。
おれ駄目なのそういうの。普通に女の子が好きなの。きみみたいな、ナヨッとしたタイプと喋るのも苦手だし!」

 巫女少年に対する気遣いも忘れて、宗太は早口で言った。
どうにかして、彼に離れてもらわないと。そればかりを考えていた。

「……こういう性格は、嫌ですか……?」

 巫女少年は口元に手を当て、眉をひそめて困ったように言った。

「うん、無理だわ。ほんとごめん」

 必死に頷くと巫女少年は、ふうっと息を吐いた。

「そっか、攻の方がいいのか……」

「えっ、何?」

 ごくごく小さい巫女少年の呟きがいまいち聞き取れず、宗太は聞き返した。
しかし巫女少年はそれには答えず、いきなり宗太の胸倉を荒々しく掴んだ。
突然のことに、息が止まりそうになる。

「今から、おれのことはご主人様と呼べ」

 ドスのきいた声で囁かれ、宗太の全身に震えが走る。

「えっ、ええええっ?」

 巫女少年のいきなりの豹変ぶりに、宗太は目を大きく見開いた。
さっきまでしなを作ってうるうるしていた少年は、今では冷たい眼でこちらを睨みつけている。
その表情にはやけに凄味があり、清楚さのかけらも見当たらない。まるっきり別人のようだった。

「お前はおれの犬だ。いいか、それが分かるまでたっぷり調教してや」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って! な、何なのその、キャラの変わりっぷりは!」

 宗太が必死に叫ぶと、巫女少年は手の力を少し緩めて目を瞬かせた。

「だって、宗太さんが可愛い系は嫌っていうから、鬼畜ドS系がいいのかなって」

「何でそんな両極端なの! 怖いよ!」

「じゃあ……淫乱誘い受?」

「いや、きみの素で良いから……!」

「だったら、さっきの鬼畜モードが素だけど、良いの?」

「ええええっ」

 宗太は後ずさった。すると、巫女少年は手を振って笑った。

「大丈夫だよ、いきなり取って食ったりはしないよ。そんなことよりさ……」

  巫女少年は荒々しく頭を掻いて、また腕を組んだ。
第一印象だった「女っぽい少年」の面影は最早何処にもない。

「宗太さん、帰ろうよ。この格好は流石に寒いわ」

「帰るってまさか……おれん家に?」

「当たり前じゃん。どこに帰るって言うの。なあ、家どっち?」

 勝手に歩き出そうとする巫女少年を、宗太はあわてて止めた。

「こ、困るよ。おれ、彼女と一緒に住んでんだよ」

「あっそ」

「あっそ、じゃないよ。いきなりこんなの連れて帰って、彼女になんて説明するんだよ」

「……じゃあ何だ、お前は僕に死ねって言うのか? こんな真冬に巫女装束で一夜を過ごしたら、確実に死ぬぞ」

 そう言って、巫女少年は宗太に向って指を突きつけた。その細い人さし指が、小刻みに震えている。

 宗太はぐっと詰まった。確かにジャケットを着込んでいても寒いのだから、そんな薄着では凍えてしまうだろう。

「で……でも、困るんだって」

「彼女がいるから? それは人命より大事なことかい?」

 そこまで言われたら、宗太はもう何も反論できない。肩を落として、

「分かったよ……」

  と答える他なかった。
  それを見て巫女少年は、ニッと笑った。悪そうな笑いだった。

 喧嘩して飛びだした彼氏が、巫女姿の少年を連れて帰って来た。

 ……なんて、夕子はどう思うだろう。また引っ掻かれるかも。
そう思うと、頭がずっしりと重くなった。

  しかし、仕方がない。ここまで来た以上、彼を外に放置するわけには行かない。
懐に余裕があれば、いくらか渡してホテルにでも泊まって貰うのだが、残念ながら彼は貧乏だった。

  事情を説明して、分かってもらえるだろうか。

  流れ星だと思った光は実は酔っ払った妖精で、この子を置いて帰っちゃったんだ。
……駄目だ。自分でも、頭がおかしくなったとしか思えない説明だ。

 とりあえず、とぼとぼと歩き出すと、巫女少年が宗太のジャケットを掴んだ。

「……何、この手は」

「宗太さん、ジャケット貸してよ」

「嫌だよ! これ脱いだら、おれだって死んじゃ……」

「巫女をリクエストしたのは宗太さんなんだから、お前が責任取るべきだろうが」

 むちゃくちゃな言い分だと思ったが、彼に口で勝つことは不可能そうなので、宗太は渋々巫女少年にジャケットを貸した。

  脱いだ瞬間、痛いほどの風が身を刺した。立っていられない程の冷気だ。
彼は意気揚揚と僕の命綱だった防寒具を羽織り、「おお、ぬくいぬくい」なんて喜んでいる。

 宗太はほとんど小走りになりながら、自宅に向かった。
巫女少年は

「宗太さん、早いよ」

  と文句を言っていたが、それでもしっかりとついて来た。

「ていうか宗太さん、僕の名前くらい聞きなよ」

「……名前なんていうの」

 ガチガチに震えながら、宗太は早口で尋ねた。
後ろから、嬉しそうな声が返ってくる。

「葵。宗太さん家に嫁入りするから、長谷川葵だな」

「やめて、マジで!」

「ま、腹を決めなよ」

「何でよ! おれ、彼女いるって言ってんじゃん!」

「近い内に振られるんじゃない?」

「縁起でもないこと言うなよ!」

 喧嘩の後だけに、巫女少年……葵の言葉は胸にざっくりと深く刺さった。

  早く帰って、夕子に謝ろう。宗太は、歩調を速めた。



「夕子、ただい……」

 玄関の扉を開けた瞬間、顔面を強い衝撃が襲った。目の前に火花が散った。何が起こったかはすぐ分かった。鉄拳で顔を殴られたのだ。

「ゆ、夕子……」

 フラフラになりながら目を開けると、腕組みをした夕子の顔が見えた。
彼女の眼を見た瞬間、彼は反射的に目をそらした。怒っている。めちゃくちゃ、怒っている。どう声をかけよう。

  そう思っていると、彼女が静かに口を開いた。

「いいとこに帰って来た。私、出てくからね」

「へ?」

 何を言われているのかが、いまいち理解出来なかった。
背後で、葵が小さく

「うわ、ほんとに振られやがった」

  と呟くのが耳に入る。

  よく見たら、夕子はコートを着込んでいた。足元には、トランクと旅行鞄が置かれている。

「え……え? 出てくって……」

「別れる、って言ってんの」

 宗太は息を吸い込んだ。言われていることの意味が、やっと分かった。
頭の中に洪水が起こる。

  確かに、彼は夕子と喧嘩をした。喧嘩はしたけれども。

「べ、便座ごときで!?」

 やっとの思いで吐きだした言葉は、それだった。

  夕子が、チッと聞こえよがしに舌打ちをする。
その舌打ちがとてもとてもウザそうで、宗太は大層傷ついた。
今までどんなに喧嘩しても、そこまで邪険な態度を取られたことはなかったのに。

「別にそれだけが原因じゃないわよ。……ていうか宗太。後ろの巫女さん、誰?」

 夕子は眉をひそめて、宗太の肩越しに葵を見る。
宗太は彼女からの言葉と態度がショックで、咄嗟に説明が出来なかった。

  固まる宗太の前に、葵が歩み出た。

「どうも初めまして。僕、葵って言います。さっき、宗太さんの恋人になりました」

「恋人?」

「そう、恋人」

 無責任な葵の発言に、宗太は「ち、違う……」と主張した。
しかしその声はあまりにも弱々しくて、彼女の耳には入っていないようだった。

「……何で、そんな格好なの?」

「ああ、これは宗太さんのリクエストで」

 違う。それは間違ってないけど、断じて違う。
満足に声が出ないので、宗太は必死で首を横に振った。

「へえー」

 夕子は目を細めて、宗太の顔をちらりと見た。
彼はひたすら首を横に振ったが、彼女は「そっかあ」と何度も頷いた。

「そんじゃ、丁度良かったね。きみ、ここ住むの?」

「うん、そのつもりです」

「それなら、早めに私の荷物出さなきゃだね。前の女の荷物が残ってる部屋なんて嫌かもだけど、ちょっとだけ我慢してくれる?」

「や、そんなの全然いいっすよー。荷物出すとき、僕もお手伝いするし」

「うっそマジ? やだ、ありがとうー」

「その代わり、後になってやっぱ宗太さんとヨリ戻す、とか言わないで下さいね」

「ああ、大丈夫大丈夫。それだけは、ぜったい、ないから」

 ぜったい、を強調して言う夕子に、宗太は泣きそうになった。

「ゆ、ゆうこ……」

 ボロボロになりながらも、やっと喋れるようになった宗太に、夕子は「何よ」と冷たすぎる返事をする。

「な、何だよそんな急に、別れるなんて……! そんなの認めないからな!」

「何言ってんの? 宗太が認めるも何も、わたしが『別れる』って言ってんのよ。あんたに拒否権はないの」

 ……それで終了だった。
夕子は一度も振り向くことなく、さっさと立ち去ってしまったのだった……。



「ま、彼女が出て行って僕が来て……プラマイゼロだと思えばいいんじゃない?」

 そんな無茶苦茶なことを言いながら、葵は宗太の額に冷却シートを貼った。
薄着で外を歩いたのと失恋のショックとで、宗太は熱を出してしまったのだった。

「何処がプラマイゼロだよ……」

 宗太は鼻声で、もごもごと呟いた。

「でも宗太さん。僕がいなかったから、失恋して一人で寝込むことになってたんだよ。だったら、誰か側にいた方がいいんじゃない?」

「それはまあ……確かに……」

 これで一人だったら、寂しさと孤独感で瞬く間に死んでしまう。それを思うと、たとえ存在自体が明らかにキナ臭くても、葵がいてくれて良かった……ような気もしないでもないような気がする。

 あとから考えれば、何も看病してくれるのは葵だけでなく、近所に住んでいる姉とか友人とか、探せばいくらでもいたのだが、弱っていた宗太はそのことに思い至ることが出来なかった。

 彼は、葵の存在は悪いことばかりじゃない、とチラリとでも思ってしまった。
 それは大きな間違いであると、宗太はすぐ思い知ることになる。

「ちゃんと看病してあげるからさ」

「うん……」

「後で、お粥作ってあげる」

「うん……ありがとう……」

「それに熱が下がったら、ちゃんと調教もするし」

「うん……って、えっ?」

 勢いで返事してしまってから、物騒な言葉に耳を疑った。

「ちょ、調教ってなんの話よ。看病と調教って、ギャップありすぎでしょ……!」

「だって僕、鬼畜ドS系の攻だもん。そう言ったじゃん」

「ええええ」

「大丈夫大丈夫。宗太さん初心者だし、肛門拡張から始めようね」

「ええええええええ」

 反射的に、宗太は己の尻を押さえた。曇りひとつない、葵の爽やかな笑顔が恐ろしさに肝が冷えた。

「最初は細いのから始めてー、段々太いのを入れてってー」

「や、やめて! エグい! 怖い! 聞きたくない!」

 流れ星さん流れ星さん。
 頼むから、この物騒なプレゼントをさっさと引き取ってくれ!

 宗太は、心の中で何度も唱えた。


   ……その頃流れ星ことピコカンは、酔いつぶれて夢の中にいた。
前後不覚になるまで酔っ払った不良妖精は、宗太に贈ったプレゼントのことなんて、全くこれっぽっちも覚えていないのだった……。


おわり!

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友人とのバッティング勝負に負けたときの、罰ゲームお題。
スピッツ「流れ星」をモチーフに小説を書く、でした。


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