■愛を愛を愛を■


 私は落ち葉を踏みしめて、キャンパス内の歩道を歩く。

  つい一週間前までは常に隣を歩いてくれる人がいたのに、今は一人だということが冷たい風と共に身体にしみ込んでゆく。

  私はサークル案内用掲示板の前で立ち止まる。 写真部のポスターがはがれかけていた。

  そこに写っているのは私。撮ったのは数日前に別れた彼。

  まる二年間貼りっぱなしなので、もうボロボロだ。 思わず舌打ちが出た。直後にしまった、と思う。このがさつさが、彼に振られた要因のひとつだ。そう考えたら、また舌打ちが口を突いた。

  一際強い風に、ポスターが大きくはためいた。このポスターを支えているものは右上の角に挿された画鋲だけで、今にも吹っ飛んでしまいそうだ。

  風にあおられてマフラーがほどけそうになるのを、私は手で押しとどめる。

  風雨にさらされて色褪せてはいるが、ポスターの中で笑っている私は美人だ。自分で言うのも何だけど、本当にこの写真はいい感じだ。……でも今頃彼は、他の女の写真でも撮っているんでしょうね。 舌打ちを飲みこんだら、乾いた笑いが漏れた。

「早苗ちゃん、おはよう」

 誰かが、私の側に立った。

  自分よりも背が高い気配に、一瞬彼かと思ってしまう自分の女々しさが、たまらなく嫌だ。

  そこにいるのは勿論彼ではなくて、同じクラスの長谷川宗太くんだった。 誰とでも仲良くなれるけど、いまいち誠実さが足りない気がする長谷川くん。

「おはよう、長谷川くん」

「さっき、あっちで石田に会ったよ。何かあいつ、ドイツ語の出席ヤバイらしくてさ」

 彼はニコニコ笑って、私が一番聞きたくない男の話を始めようとした。悪気はないけど、とてつもなく間が悪い。長谷川くんには残念ながら、そういうところがあった。悪い人ではないんだけど。

「あー、出来れば石田の話はしたくないな」

「えっ、何で? もしかして喧嘩してんの」

「や、ていうか別れたんだよね」

「えっ!? マジで!」

 長谷川くんは声を大きくした。それから「はああ」と言って息をついた。

「早苗ちゃんもかあ……」

 彼の小さな呟きに、私は眉をひそめた。

「早苗ちゃんも、って何。長谷川くんとこも、別れたの」

「うん……」

「やっぱり?」

 反射的に言ってしまってから、慌てて口を閉じた。これも私の悪いところ。無神経にも程がある。

「や、やっぱりって何! ひどいよ早苗ちゃん」

「い、いや。ごめんごめん」

 長谷川くんは、泣きそうな顔をこちらに向けた。

  私は本当に申し訳ないと思ったけれど、彼と夕子が別れたのには納得だった。そもそも、二人が付き合ってること自体が不思議で不自然だったのである。夕子は何事もきっちりしていないと気が済まない性格だけど、長谷川くんは軽くて、基本的に全てが適当だ。彼の浮気で揉めていたことも、一度や二度じゃなかったはずだ。

  何で同棲までしてるんだろう。

  皆がそう言っていた。上手く行くわけないのに。

「……夕子さあ、突然出てっちゃったんだよ……」

 また、やっぱり、と言いそうになって私は口をもぞもぞさせる。

「おれ、何でふられたか、イマイチまだよく分かってないんだよね……」

「へ、へえ」

 夕子も苦労したんだろうなあ……。と、私は心の内で呟いた。長谷川くんの顔を見ていると、本当に自分がふられた原因を理解していないようだった。ある意味凄い。ふられる要因しかなかったじゃん、という言葉を懸命に飲み下す。

「……早苗ちゃんさ、今日何限まで?」

 長谷川くんは、パッと顔を上げた。もう、いつものニコニコ顔だった。わたしは突然の話題転換と表情の変わりっぷりに、やや戸惑ってしまった。

「四限まで、だけど」

「あ、おれと一緒だ。じゃあさ、学校終わったらどっかご飯食べに行かない?」

 私はちょっと考えて、長谷川くんを見上げた。彼はニコニコしている。

「えー、ご飯かあ」

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃん。失恋しちゃってかわいそうなおれを、慰めてよー」

「私も失恋して、人を慰めてる余裕とか無いんだよね」

「じゃ、お互いを慰め合おうよ」

 長谷川くんは、やっぱりニコニコ。

  彼は悪い人じゃない。悪い人じゃないんだけど。

 でも私の好みとは正反対だ。私が好きなのは、真面目でキリッとした男性なのである。それで行くと、前の彼氏は私の好みど真ん中だった。長谷川くんは、ちょっと軽すぎる。
だけど、前の男の面影を早めに断ち切るためにも、こういう全く違うタイプの男と遊んどくのも良いかもしれない。

「そうだなあ、そんじゃ」

 良いよー何処行こうか、と言おうとした瞬間、長谷川くんが

「うお!」

  と叫んで身体を折り曲げ、ゆっくりと膝を突いた。私は驚いて、僅かに後ずさってしまった。

  何事かと辺りを見回した私は、自分の目を疑った。

 長谷川くんの背後に、巫女さんが立っていた。頭に赤い花を飾った、ショートカットの可愛らしい巫女さんだ。何故か手には、おもちゃのバットが握られている。

 長谷川くんは呻きながら、腰を押さえていた。どうやら バットで、背後から襲撃されたらしい。

「そーうーたーさーん」

 巫女さんは、怒りに燃える眼で長谷川くんを睨んだ。私はその声にも驚いた。高めではあったけど、どう聞いても、男の声だったからだ。

「僕さあ、浮気されんのが一番ムカつくんだよね……」

 巫女さんは、バットを両手で握りなおした。

「あ、あ……葵、何でこんなとこに……!」

「僕には宗太さんセンサーってのがついててね、宗太さんがいらんことしたら、即座に駆けつけるように出来てんだよ」

 そう言う巫女さんの足元には、可愛らしいお弁当の包みが置かれていた。彼は長谷川くんにお弁当を届けに来たんだ、と私は理解した。 だけど長谷川くんはそんなことには全く気付かないようで、「ま、まじで?」と青い顔をした。

「て……ていうか、何でわざわざそんな格好なの! 今朝まで、普通にTシャツとか着てたじゃん!」

「それは勿論」

 巫女さんは言葉を切って、バットを長谷川くんの眉間に突きつけた。

  膝をつく男に、バットを構えた巫女さん(男)。

 何が何だか分からないが、とても壮絶な構図だ。

「長谷川宗太は、こんな巫女装束なんか着ちゃってるショタ顔の男と関係してるから、関わらない方がいいよ、ってお前の周りの女性たちに伝える為だよ」

 巫女さんはニヤリと笑って、私の方を見た。

 私の頭は完全に混乱していて、あ、この子マジで可愛い、なんてことを考えていた。すっぴんっぽいのに肌はすべすべで、目もぱっちりだ。良いなあ、こんな顔になりたい。

「さ、最悪だ! 何でそんなことすんの!」

「分っかんないかなあ」

 ふうっとため息をついて、巫女さんはゆっくりと首を振った。瞬きをした拍子に見える睫毛が尋常でなく長くて、それに対しても私は羨ましくなってしまう。

「宗太さんのことを愛してるからさ」

 巫女さんがちょっとカッコイイ口調でそう言った瞬間、長谷川くんは「わあああ!」と大声をあげた。

「ちょ、やめてってば! さっ、早苗ちゃん、違うよ! マジで違うから! そういうんじゃないから!」

 長谷川くんは私に向かって、必死で首を横に振る。混乱していた私も流石に、この二人が普通の関係じゃないということには気付き始めていた。

「……長谷川くんて、そっちの人だったの?」

「違うってば!」

 長谷川くんの声は、ほとんど悲鳴だ。尚も何かを叫ぼうとする長谷川くんを制して、巫女さんがおもむろに彼の胸倉を掴んだ。

「まあ、その話は後にして、僕の話を聞けや。お前は今、何をしてた?」

「ちょ、葵、痛い……。何でそんな力強いの……」

「鬼畜攻だからに決まってんだろ。鬼畜攻が弱かったら、話にならねえだろうが」

「意味分かんな……い、いたたた」

「で、宗太さん。お前さっき、そこの女性に何て言った? 答えないと歯ァ折るぞ」

「いちいち怖いんだよ、きみは……」

「制限時間は三秒だ。さーん、にーい」

「しょ、食事誘っただけじゃん!」

 私は彼らのやりとりを、息を呑みつつ見守っていた。

  男同士の痴話喧嘩なんて初めて見る。正直、ホモだのなんだのって苦手分野だ。 だけどこの巫女さんはちょっと怖いものの、何だか不思議で面白い。

  大体、何でこんなに可愛いの? でもって、何で巫女さん? ほんとにこの二人、付き合ってるの?

  私の頭は疑問符で埋め尽くされ、余計に彼らから目が離せなくなってしまう。

「それは浮気だよね?」

「な、何でだよ! ていうか別に、きみと付き合ってるわけでもな……ぐっええ」

 一層力を込めて締め上げられたようで、長谷川くんの喉からカエルのような痛々しい声が漏れた。

「そこなお嬢さん」

 巫女さんは長谷川くんの胸元を掴んだまま、私をまっすぐに見た。真正面から見たらますます美少年で、私は息を呑んだ。なんて非現実な造形をしているんだろう。

 私は咄嗟に返事が出来なかった。もう一度、巫女さんが

「お嬢さんってば」

  と私を呼び、そこでようやく口を開くことに成功した。

「は……はい。何でしょう」

「嫁がいる身で、下心を持って女性と二人きりで食事したら、それは浮気ですよねえ」

「それは……浮気、ですねえ」

 頷きながら、私の頭の中で「嫁?」という疑問が跳ね回った。彼は今、嫁と言ったか。ということは、この巫女さんは長谷川くんのお嫁さん? 男なのに?

「ほら、そっちのお嬢さんも浮気だって言ってるぜ、宗太さん」

 巫女さんは長谷川くんに凄んでみせてから、私を見てにっこりと笑った。白い歯がこぼれる。なんて完璧な笑顔。

「ご紹介が遅れました。僕、長谷川葵って言います。さっきも言ったように宗太さんの嫁なんで、よろしくお願いします」

「違うよ!! 勝手に居座ってるだけだって!」

「宗太さんは黙ってな」

 巫女さん……葵くんの一睨みで、長谷川くんはおとなしく口を閉じた。力関係がはっきりしていて面白い。確かに、旦那を尻に敷くお嫁さん、という感じだ。

 ホモなんて気持ち悪い、と思ってたけど、実際見てみるとそうでもないんだな。

 私はそう思った。葵くんは可愛いし、長谷川くんも顔だけはまあそこそこいいし、視覚的にもあんまり不快感はない。

「お嬢さんは? 宗太さんの友達?」

「あ、私は長谷川くんと同じクラスの……池畑早苗って言います」

「早苗さんね。知ってると思うけど、宗太さんってめちゃくちゃ軽いんだよね」

「うん、それは知ってる。みんな知ってる」

「な、何それ……。早苗ちゃんまで、ひどいよ……!」

「宗太さんは黙ってな」

 そう言われたら、長谷川くんは即座に黙る。犬みたいだ。ちょっとだけ、長谷川くんが可愛くなってきた。

「だから、気を付けてね。宗太さんって、早苗さんみたいな強気な女性が好きなんだ。ドMだから」

「え、ドM? ……ああ、まあ、確かに」

 私は納得してしまって、うんうんと頷いた。

「早苗ちゃん! 違うってば!」

「宗太さん」

「……」

 私はたまらずに、とうとう噴き出してしまった。何なのこいつら。面白すぎる。

「OK、分かった。ご飯くらいなら行ってもいいかなーって思ってたんだけど、やめとくね」

「ご協力、感謝します」

「浮気は駄目だもんね」

 私はクスクス笑った。葵くんも笑う。長谷川くんだけが、愕然としたように目を見開いていた。葵くんは、そんな長谷川くんに向き直る。

  そしてとっても真面目な口調で、こんなことを言った。

「いいかい、宗太さん。僕はお前を愛してる。自分でもちょっとびっくりしてるんだけど、愛しいものはもうしょうがない。だからお前に、何だってあげるよ。美味しいご飯も快楽も、僕の現在過去未来も全部。お前が欲しいって言うなら、心臓だってやるぜ。僕はなんせ余所者だから、何一つ失くすものなんかないしね」

 物凄い殺し文句だ。私は無意識に、

「すっごい……」

  と、声に出して呟いていた。

  なんて熱烈な愛の言葉。私は、少なからず感動してしまった。こんなに愛される宗太さんって凄い。葵くんも凄い。

  私も、ホモが気持ち悪いとか言ってる場合じゃない。男同士だろうが何だろうが、愛は偉大だ。

「だからお前は、僕を裏切っちゃいけない。別に難しいことなんか、ひとっつも言ってないはずだぜ。僕の言ってること、分かるよな?」

 だけど長谷川くんは、葵くんに呑まれてしまっているのか何なのか、ぽかんとした顔をしていた。何一つ理解出来ていない表情だ。

  それを見た葵くんが、すっと目を細める。私は葵くんの気持ちが、手に取るように分かった。

「やっぱお前は、身体に覚えさせないと分かんないようだなあ……」

「こ、こわっ! この人こわっ! 早苗ちゃん助け……っ」

 葵くんは長谷川くんの首ねっこを掴んで、ズルズルと引きずった。長谷川くんはもがきながら私に何か言っていたけど、いまいち耳に入って来なかった。私は、巫女装束に包まれた小さな背中だけを見ていた。

……かわいそうな葵くん。きっと彼は、この先も沢山苦労をするのだろう。



  じきに彼らの姿は見えなくなり、私ひとりがその場に残された。

「……欲しいものは何でもあげる。現在過去未来も、心臓も」

 私は、先ほど葵くんが言った言葉を反芻した。あれは鮮烈だった。そして衝撃だった。

  私は前の彼氏に、同じことが言えるだろうか?

 ……言えないな。

 深く考えるまでもなく、あっさりと答えは出た。

  言えない。

  私はそこまで、彼に愛を捧げることが出来ない。

「そんなもんか」

 サークル用掲示板に向き直って、風にはためく写真部のポスターを手で押さえた。

  色褪せてしまっているけれど、青い海を背にして微笑む私。本物よりきれいな私。

「そんなもんだな」

 私はポスターを剥ぎ取ろうとして、やめた。そんなことしなくても、雨でも降れば勝手に朽ちていくだろう。

 それでいいや。どうせ、そんなもんだし。

 私は軽い足取りで歩き出した。 急にお腹が空いて来る。

 よし、今日はお昼にデザートをつけよう。チーズケーキにしようかな、それともアイスにしようかな!


  いっそ両方でも良いや!!




おしまい

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友人とのバッティング勝負に負けたときの、罰ゲームお題。
GARNET CROW「picture of world」をモチーフに小説を書く、でした。

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