■サクサク衣のクリスマス■
毎年、クリスマスが近付くと心を躍らせていたものだが、今年は全くそんな気分になれなかった。
誘えば、クリスマスに会ってくれる女の子くらいいるけれども、宗太は誰にも連絡していない。本当は早苗ちゃんを誘いたかったけれど、彼女は葵と通じているから駄目だ。逆に、仲の良い女の子に誘われたりもしたけれど、それらも全て断った。
「だって、怖いもん……」
宗太の呟きは、白い息と共に冷たい冬の空に消えていった。
「宗太さん、何か言った?」
隣を歩く葵がこちらを見上げてくるので、「いや、何でもない」と慌てて首を横に振る。
例年、クリスマスイブといえば常に女の子と一緒で、ディズニーランドに行ったりホテルのディナーを食べたりだったのに、今、宗太は何の因果か男とふたりで並んで歩いている。それも、行き先はスーパーだ。それなら近所のスーパーを使えば良いのに、安売りしているからと葵が言い張ったので、隣町まで遠征する羽目になった。
何故イブに、自分は葵の買い出しなんかに付き合っているのだろう。理由は単純。怖いからだ。葵は怖い。昨日だって、葵に「炊飯器のスイッチ入れといて」と言われていたのをすっかり忘れてしまって、思い切り頬を張られた。葵はとかく暴力的だ。
「宗太さん、コロッケいくつくらい食べる?」
唐突に、葵がそんなことを尋ねてきた。宗太はわけが分からず、首をひねった。
「何で、コロッケの話が出て来るの」
「帰ったら、コロッケを揚げるからだよ」
葵は、至って真面目な顔をしていた。宗太は、ますます意味が分からない。
「何で? これからチキンを買いに行くんでしょ?」
だって今日、イブだよ? と付け加えると、葵は嫌そうな顔をした。それから、吐き捨てるようにこう言う。
「これだから嫌だね、金持ちは。僕ん家では、クリスマスといえばコロッケだったんだよ」
「ええー!」
宗太は抗議の声をあげた。コロッケでクリスマスなんて、聞いたことがない。クリスマスといえば、チキン、ケーキ、シャンパンのはずだ。
「チキン食べようよチキン!」
「オムライスも作るから、中に鶏肉入るよ」
「そんなんじゃなくてさあ! もっと塊を食べようよ! 断腸の思いで女の子と過ごすの諦めたんだから、せめてチキンがないとやってらんないって!」
「あ?」
葵が足を止めて、こちらを睨む。宗太はぎくりと押し黙った。これ以上の反論は危険だと、直感が告げる。
「ご、ごめん」
素直に謝ると、葵は満足そうに微笑んで再び歩き出した。宗太は彼の後を追い、こっそりを溜め息をついた。
いつもこうだ。いつだって、宗太の言論は彼のひと睨みで封殺される。理不尽なことこの上ない。だけど宗太は逆らえない。悲しいかな、いつの間にかそれが習性として頭と身体に染みついてしまった。
そのとき、宗太の携帯電話が鳴った。女の子からだったらいいな、と思いつつ相手を確かめると、女性は女性でも家族だった。既に結婚して家を出ている、姉の玲奈(れいな)だ。
宗太は若干がっかりしながら、電話を取った。
「もしもし、お姉ちゃんどうしたの?」
『あ、宗太くん? 宗太くん、彼女にふられたんだって?』
いきなりの先制攻撃が、宗太の心にクリーンヒットした。宗太は胸を押さえた。痛い。尋常じゃなく、心臓が痛い。
「そ、そんなこと、誰に聞いたの、お姉ちゃん」
『えー、誰からだっけなあ。まあ良いや。それでね、宗太くん』
「よ、良くないよお姉ちゃん。そこがすっごく気になるよ」
玲奈はあまり物事にこだわらない女性であった。しかも忘れっぽい。すぐに話を変えようとする彼女を、宗太は必死で引き止める。しかし彼女はこちらの話を全く聞かず、話を進めた。
『宗太くん、今日どうするの?』
「どうするも何も……。なんもないよ」
『だったら、うち来る? お父さんたちとパーティーするはずだったんだけど、お父さんとおじいちゃんが仕事で来られなくなっちゃって、料理が余りそうなのよね』
「えっ」
宗太は言葉に詰まった。姉の家で家族とパーティー。宗太の下宿と姉の家はさほど離れていないので、行くこと自体は苦にならない。もう子どもじゃないので、家族とのパーティーが嬉しいわけではないけれど、家族仲は悪くないので、別段嫌でもない。何より、そちらに行けば確実にご馳走が用意されている。チキン、ケーキ、シャンパンの三種の神器だって、きっちり完備されているに違いない。
葵とふたりでコロッケクリスマスか、家族と一緒にチキンを囲んでクリスマスを過ごすか。
あれっ、考えるまでもないんじゃないか、これ。目の前に垂れている救いの糸に、飛びつかない手はないんじゃないか。いや、でも……。
宗太は、横目でちらりと葵の顔を見た。彼は、特にこちらに関心を払っていないような顔で、前を向いて歩いている。
家族とのパーティーに行くなんて言ったら、葵はどうするだろうか。怒るか? 殴るか? もしかしたら、自分も行くと言い出すかも? いや、それは流石にないか。葵は理不尽だし勝手だけれど、空気が読めないわけじゃない。家族行事があると言えば、多分怒らずに行かせてくれると思う。バレンタインのときと違って、クリスマス前に葵が浮かれている様子はなかった。だから、葵はクリスマスイブをそこまで重要視していない、はずだ。
……しかしそうなったら、葵はどうするんだろう。ひとりでコロッケを揚げるんだろうか。あの狭くて寒いキッチンで大量にコロッケを揚げて、ひとりで食べるんだろうか。何だか想像するだけで、胃がキュッとなる光景だ。
『ねえ宗太くん、どうするの?』
玲奈の声に、宗太はハッと我に返った。それから、
「いや、おれは良いよ」
と思わず答えた。答えてしまった。
『あ、そう? 分かった、じゃあねー』
玲奈は如何せん物事にこだわらないので、そう言ってあっさりと電話を切った。宗太の、クリスマスのご馳走への道が断ち切られた瞬間であった。そうなると、急に後悔がこみ上げてくる。折角チキンが食べられたのに。ケーキだってシャンパンだってあったのに。
「ああ……何であんなこと言っちゃったんだろう……」
携帯電話を見つめて、半ば呆然と呟く。すると葵がニッと笑って、宗太の肩をぽんぽんと叩いた。
「愛だよ」
宗太の受け答えから、電話の内容が推測出来たのかもしれない。宗太は気恥ずかしいのか何なのか、よく分からないが動揺してしまって葵の手を振り払った。葵はそれを見て、楽しそうに笑った。
「あ、コロッケ美味い」
葵のコロッケは、衣はサクサク中はふんわりで、驚く程口当たりが軽くて美味かった。素直な感想を漏らすと、「だろ?」と葵が得意げに笑って胸をそらす。
食卓には、大きな皿に盛りつけられた沢山のコロッケと、オムライス、それにサラダが並んでいた。何の変哲もない夕食だが、葵が「これがクリスマスメニューだ」と何度も主張するので、宗太もこれがクリスマスの食事なんだという気になってきた。
「たまに食べると美味しいもんだね」
「だろ? だろ? この日の為に、十二月は一回も揚げ物作ってないんだぜ、僕」
「うわー何か悔しいけど、コロッケクリスマス、有りだなあ」
「そうそう。出来合いの不味いチキンより、手作りの美味いコロッケのが絶対良いんだって」
葵は頷き、豪快に口を開けてコロッケを頬張った。宗太も箸を伸ばして、ふたつめのコロッケを取る。揚げたてのコロッケからは、ほかほかの湯気が立ち上っていた。
「コロッケ美味いし、良いんだけどさあ。やっぱケーキもプレゼントも無し、ってのは何か寂しくない?」
「そお? 僕は別に気にならないけど。サンタクロースが枕元にプレゼント置いてくれた、なんてことも、今まで一回も無かったし」
そのぶっきらぼうな物言いに葵の生い立ちが透けて見えるようで、宗太は押し黙った。彼がどのような人生を送ってきたのか未だによく分からないが、恵まれた家庭環境で何不自由なく育った宗太には、口出し出来ない雰囲気があることは確かだ。
「……今年は葵流のクリスマスだったけど、来年はおれ流のクリスマスにしようよ」
「いいよー、来年ね」
なんとなく思いつきでそう言ってみたら、すぐに葵が賛同したので驚いた。宗太さんは無駄遣いするから駄目、と言われると思ったのに。
「あれ、やけにあっさり認めるね」
宗太が目をぱちぱちさせながらコロッケをかじると、葵はニッと笑った。
「だって宗太さんが、来年もクリスマスを僕と過ごす気満々なんだ、と思うと嬉しくて」
コロッケに歯を立てたまま、宗太は固まった。無意識の内に、葵と一緒にいることを許容していた自分を自覚すると共に、来年も一緒にクリスマスを過ごすという言質を取られたことに青くなる。
「だ、だってきみ、出て行かないじゃん!」
「宗太さんが、いても良いって言ったんだもーん」
「でも」
「あっ宗太さん、デザートはプリンだよ」
「えっほんと?」
「宗太さんプリン好きだから、いっぱい作ったよ。冷蔵庫に入ってるから、後で食べようね」
「うん。……じゃなくて!」
「あははは」
おしまい! ハイハイお幸せに!!
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