■れんごく(加筆部分抜粋)■
2011年2月に発行しました鉢雷小説本「れんごく」を、再録本に収録するにあたってラスト部分を加筆しました。
こちらは「れんごく」をお持ちの方向けに、その加筆部分を抜粋したものです。
お話の核心に触れるシーンですので、「れんごく」未読の方はスルーして頂けると幸いです。
※雷蔵が三郎に、本当の気持ちを吐露するシーンです。いきなり始まります。
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「……何も考えずに来てしまったけれど、案外、お前ならひとりで帰って来られたかもしれないね……」
ぽつりと、雷蔵は呟いた。わたしは緩く首を横に振る。
「……いいや、きみが騒ぎを起こしてくれなかったら、危なかった」
何だか、目が醒めたような心持ちになった。頭を支配していた正体不明の浮遊感は去った。わたしの両足は、きちんと地面についている。わたしは雷蔵を失って自棄を起こしていたのだ。そのことを、今になってようやく自覚した。
「……すまない」
わたしは雷蔵に向かって頭を下げた。
「……はは……」
雷蔵は、力無く笑った。空気が微かに震える。
「……鉢屋三郎がこんなにしおらしくなるなんて、明日は雨かな……はは……は……」
雷蔵の声は震えていた。妙に思って顔を上げた。そしてぎょっとする。彼の両目は濡れていた。透明な雫が目尻に浮かび、ぱちんと弾けて頬に流れる。
雷蔵が、泣いている。
「ら……雷蔵……?」
わたしは、恐る恐る彼に手を伸ばした。震える肩にそっと触れる。雷蔵は、手の甲で乱暴に目元を擦った。
「ごめん……、三郎、ごめん……」
「雷蔵……何できみが謝るんだ」
わたしは訳が分からなかった。雷蔵は次から次へと涙をこぼし、その度に「ごめん……ごめん……」と謝罪の言葉を口にするのだった。
「……雷蔵……」
「ぼくは、やっぱり、お前と一緒に行く……」
顔を伏せ、掠れた声で雷蔵は言った。 「え……?」 身体が硬直した。すぐには、頭に入って来なかった。その内に、じわじわと言われたことが浸透してゆく。……お前と一緒に行く、と。
「……八左ヱ門が言っていた。ひとりで城内に侵入するとき、お前はけものみたいな目をしていたって」
雷蔵は泣きじゃくり、途切れ途切れになりながらも言葉を継いだ。そういえばあのとき、八左ヱ門が随分と怯えた顔でわたしを見ていたことを思い出す。けものみたいな目。そんな風に見えたのか。自分では、まるで意識していなかった。
「お前は本当に、本当に優秀な忍びだよ。だから卒業して、ぼくと離れてひとりになったら、それは立派な忍者になるだろう」
「…………」
無意識の内に、わたしは彼の手を握り締めていた。そこに、雷蔵の涙が落ちてくる。その涙が、わたしの内側まで染みてくる。 彼は今、嘘や偽り、誤魔化しが何も無い、本当の心を口にしているのだと分かった。わたしは息を詰めて、彼の言葉を聞いた。
「自分を捨てて、けものみたいにひとりで進んで行って……そしてけものみたいに、ひとりで死んでゆくんだ」
雷蔵の目から、また新しい涙が溢れてわたしの手元に落ちる。わたしは、彼の涙を取り込んでゆく。
「……ぼくは、それが嫌だ」
「…………」
「だからぼくは、一緒に行こうと決めたんだ。そうすると、ぼくは三郎の足を引っ張ってしまう。きっとお前は、ひとりで生きてゆく場合よりも早く死ぬだろう。ぼくを生かそうと……ぼくを守って……ひととして、死ぬんだ」
わたしは唇を噛んだ。手が震える。いや、震えているのは雷蔵の方かもしれない。もしかしたら、両方かも。しかしどちらでも良かった。わたしは我慢が出来なくなって、彼の身体を抱き寄せた。
「雷、蔵……っ!」
わたしは、両の瞼に燃えるような熱を感じた。涙だ。わたしも、泣いていた。わたしの涙が雷蔵の頬に落ちる。それは、雷蔵の内側に染みこんでゆくのだ。
「お前の死に方を、ぼくが決める権利なんて無いんだ。こんな身勝手で愚かな望みを抱くなんて、許されるはずがない。忍びの道をゆくのならば、三郎のことを真に想うのならば、お前の才能を無駄にして良いわけがないって、ちゃんと分かっている。だけど、ぼくは、どうしても……どうしても……!」
波打った雷蔵の声が、わたしの頭を直接掴んで揺さぶる。わたしはひたすら、彼の身体をきつく抱いた。
「……ごめんよ、三郎。ぼくは、こんなことしか考えられない……。お前をひとりで死なせたくない。お前をけものにしたくない。ごめん、ごめん、ごめん……っ」
「……雷蔵、泣かないで……」
そう言いながら、わたしの目からは涙がどんどん溢れていた。雷蔵のことが信じられなかったとき、彼を無理に抱こうとしたときに流した涙とは、種類の違う涙であった。
「ぼくが本当のことを言わないばっかりに、お前が苦しんでいるって分かっていた。隠せば隠すほど、お前からの信頼を失うということも。だけどどうしても、打ち明けるのが怖かったんだ……」
雷蔵の手が、わたしの背にしがみついてくる。痛い程に力が込められた。彼は嗚咽混じりに、ずっと封じ込めていたのであろう言葉を吐き出してゆく。
「ごめん……ごめん……、三郎、お願いだから、ぼくから離れないでくれ……!」
それを聞いた瞬間、わたしは全身の骨がびりりと痺れたような感覚を覚えた。腹の底に熱が宿る。
「……離れるわけ、ないじゃないか」
わたしは静かに言った。
そうだ。離れられるわけがない。わたしには、雷蔵しかいないのだ。
「きみの決意は、おれの決意だと言ったろう」
雷蔵は、涙の膜が張ったまなこをこちらに向けた。わたしは彼の頬に手を添える。雷蔵の口がうすく開いた。
「……でも、ぼくは」
「おれはきみと行くことしか考えていないって、何度も言ったじゃないか」
「違う……。それは駄目だ……」
「雷蔵」
「だって、こんなのは駄目なんだ。ぼくの心を受け入れたら、お前は忍びとして終わってしまう」
「きみは今、おれに離れないでと言ったばかりじゃないか」
わたしはうすく微笑んだ。雷蔵は、幼い子どもみたいに首を横に振る。
「違う……違う……。」
「何が違うんだ。もう気が変わってしまったのかい。おれと一緒に行くのは嫌だって?」
「そんなわけないじゃないか! ぼくの心は変わらない。だけど……駄目だ……。鉢屋三郎がそんな……」
「雷蔵」
「……三郎、ぼくを惑わせないでくれ。知っているだろう。ぼくは心が弱いから、すぐに迷ってしまう……。お前は憤るべきなんだ。嘘をついて、騙して、散々振り回して、挙げ句こんな身勝手なことを言う奴なんか殴ったって構わないのだから」
「雷蔵……」
「それに……それに、ぼくに愛想をつかしたんじゃないのか。あ、あのとき、もうぼくとはやっていけない、と言ったじゃないか」
雷蔵の言葉に、わたしはこの上無く苦い気持ちになった。あの日……わたしの人生史上最悪の瞬間が脳裏に蘇ってしまったからだ。雷蔵がわたしの前から去り、身体の中から熱が全て消え去った。あのとき、鉢屋三郎は一度死んだのだ。
「違うよ。……おれは、隠しごとをされたままじゃ、きみとはやっていけない、だからきみの本当の気持ちを聞かせてくれ、と言いたかったんだ。おれは、雷蔵と離れたいと思ったことは一度だって無い」
「…………」
「いや……あのときはおれも取り乱していたし、きみに酷いことをしてしまったから、上手く伝えることが出来なかったかもしれないけれど……」
「酷いだなんて……ぼくがしたことに比べたら……」
「それは……」
更に言葉を継ごうとして、わたしは躊躇した。深く息を吐き出し、目を閉じる。
「……いや、あのときの話を蒸し返すのは、どうやら不毛みたいだ。ともかく……」
そこまで言って、瞼を開く。改めて、雷蔵を見る。腕の中で、顔をくしゃくしゃにして泣いている雷蔵を。そしてわたしは、ゆっくりと言った。
「きみの決意は、おれの決意だよ」
雷蔵はくちびるを震わせた。彼の目に溜まっていた涙が、ぽろぽろと頬を滑る。
「……ぼくは、お前の足を引っ張るよ」
「いいや。おれはきみがいないと立っていられないんだ。きみが支えていてくれないと」
「……お前も本当は、ぼくの望みは間違っているのだって……そう思うだろう?」
「……雷蔵、きみだって見たはずだ。おれはほんの少しきみと離れただけで何もかもが嫌になって、浅はかで無謀な行動に出てしまうんだ」
「…………」
「やっときみの顔が見える。おれの目は今まで曇っていたようだ」
「……三郎……」
「何だい、雷蔵」
「……ぼくと、一緒に、いてくれるかい」
「うん。おれと、一緒に、いてください」
「……ずっと、だよ」
「……ああ、ずっとだ」
わたしは頷き、彼の口元に唇を寄せた。
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