尾浜勘右衛門は顔が広い。

 ただ友人が多いだけでなく、彼は謎の人脈を持っていた。竹谷八左ヱ門もその全容は把握しておらず、「なんか凄い」ということだけは知っていた。

 勘右衛門は男女問わず気さくに付き合い、同級生のみならず上級生とタメ口混じりで話していたりするし、学外でもあちこちで知り合いらしき人に声をかけられていた。それは小学生男子だったり、ギョッするほどスタイルの良いお姉さんだったり、真面目そうなお兄さんだったり、片言の日本語を話す白人のおばさんだったりした。交友関係に統一性が一切ない。勘右衛門の近くにいればいるほど、八左ヱ門の頭は混乱するのだった。

 この間なんか駅前で、勘右衛門が四十代くらいのマダム然とした上品な女性ふたりを連れて歩いているのを目撃してしまった。それは流石にやばいのではないかと心配し、後日、八左ヱ門は彼を問い詰めた。

「ああ、山崎さんとルリ子さん? 違う違う、あの人らはトールペイント教室で知り合った健全な友達だよ。あのときは、限定の水饅頭買うのに一緒に並んでただけだし」

 学食の親子丼をかき込み、勘右衛門は無邪気に笑っていた。八左ヱ門はその台詞をすぐに呑み込むことが出来なかった。

「は? トールペイント? トールペイントってあの……あれ? 何か絵とか描くやつ?」

「そうそう。でもそれは一ヶ月体験コースだったから、今はハンドベル教室に行ってて」

「待って待って、一気に処理できないからちょっと待って」

「そこで仲良くなったベトナム人のおっさんが超面白くてさぁ」

「だから待てって! そもそも何でトールペイント教室なんか行ってんだよ! そこからツッコませろよ!」

「今度そのベトナム人のおっさんと、動物園に行く約束してて」

「待て、って言ってんだろ!」

 ……そういう調子なので、八左ヱ門は勘右衛門を取り巻く人間関係を理解するのは諦めることにした。

 ある休日、勘右衛門が八左ヱ門の家に遊びに来た。と言っても一緒に何かをするわけではなく、勘右衛門胡座をかいては八左ヱ門の部屋の本棚にある「はじめの一歩」を一巻から読み始め、八左ヱ門はベッドに寝転んでひたすらポケモンのレベル上げをしていた。

「もう少ししたら、兵助も来ると思う」

 ゲーム画面から目線を外さずに言うと、「おう」と短い相槌が返って来た。それと同時に何処からか、童謡「いぬのおまわりさん」のメロディが高らかに流れ出す。勘右衛門の携帯電話の着信音である。初めてこの着信音を聞いたときは友人一同大笑いの上に総ツッコミだったが、今ではすっかり慣れてしまって何とも思わなくなった。

「はい、もしもし」

 勘右衛門は漫画を読みながら電話に出た。

「……おー、久し振り! 元気だった?」

 声の調子が明るい。どうやら彼の友達かららしい。八左ヱ門はポケモンのレベル上げを続行させつつ、ぼんやりと勘右衛門が喋るのに耳を傾けていた。

「周りうるっせえけど、何処にいる……あっ、そっち方面で集まってるんだ? 何人くらいいんの? ん? おれ? いや、おれは約束があるから、今日はやめとく」

 八左ヱ門は、ちらりと画面から顔を上げた。今こいつ、誘われたけど断った? さりげなく様子を窺ってみると、勘右衛門は肩を揺すって笑っていた。

「うん、じゃあまた。みんなによろしく言っといて」

 そう言って勘右衛門は電話を切り、いぬだかうさぎだかよく分からないマスコットのついた携帯電話を床に置いた。

「……友達?」

 尋ねると、勘右衛門は「はじめの一歩」を開きながら「うん」と頷いた。

「中学のときの友達とか、先輩とか、その友達とか。テンション高いんだよなー、あの人ら」

「何か誘われたんなら、行っても良かったのに」

「ん? 何で?」

「いや……ここにいても、特にすることないし」

 あっ、こういう言い方は感じが悪いだろうか、と八左ヱ門は少し後悔した。別に皮肉を言いたいわけではなく、余所で何か楽しいことがあるのなら、こちらは気にしないで行って来れば良いのに、と思ったのだ。何か目的があって此処に集まっているなら話は別だが、彼らは今、全力で時間を浪費しているだけだ。先約だからと言って気を遣うこともないのだ。

「もうすぐ兵助来るじゃん」

 勘右衛門は目をぱちぱちさせた。八左ヱ門は3DSを一旦閉じて、身体を起こした。

「……こういう言い方アレだけど、兵助が来ても黙って本を読む奴がひとり増えるだけだぞ。……いや別に、追い出したいわけじゃないんだけど」

 口を動かしながら、おれは一体何が言いたいんだ、と自分自身が分からなくなった。勘右衛門は、目を細めて笑う。

「分かってないなあ、八左ヱ門」

 何がだよ、と八左ヱ門が尋ねる前に勘右衛門は続きを口にした。

「おれは友達みんなのことが好きだけど、愛してるのはお前らだけなんだぜ」

「…………」

 不意を突かれた。急速に羞恥がこみ上げてきて、顔が熱くなる。

 愛してるとか、何を言っているんだこいつは。恥ずかしくないのだろうか。おれは恥ずかしい。物凄く。今すぐ布団を頭からかぶってしまいたいくらい、恥ずかしい。

 八左ヱ門は返事が出来ずにいた。するとそこに、ピンポーン、とチャイムの音が鳴り響いた。

「兵助来たんじゃない?」

 勘右衛門は斜め右下、ちょうど玄関がある方に視線を向けた。

「……お、おお」

 八左ヱ門はベッドから降りる。「ついでに何か飲み物持って来て」と勘右衛門が要求してくるのに、「うるせえよ」と返して部屋を出る。ほんのりと、こめかみに熱が残っていた。