「野球を見に行こう、二軍の試合だったらタダだから」

 野球を一切知らない人間が、そんな風に誘われて「よし、じゃあ行こう」なんて言うだろうか。通常ならば言わない。タダだからっていきなり二軍の試合なんて、マニアックすぎる。野球初心者だったら普通断る。そういうものだ。

  だけどおれは言った。

「よし、じゃあ行こう」

 だって、誘ってくれたのが雷蔵だったから。雷蔵からの誘いならば受けるしかない。

 そういうわけでおれは今、「え、これ本当にプロの球場?」と思うくらい小さい野球場の客席ベンチに座っている。時刻は昼の14時。日差しが尋常でなく強い。また、客席全体がコンクリートむき出しなので、照り返しが強烈だった。まるでプールサイドにいるみたいだ。

 隣では雷蔵が、球場の入り口で買ったかき氷(いちご味)を手にしてにこにこしている。可愛い。それでどうにか耐えられる。

  グラウンドでは、投げたり打ったり走ったり、が行われている。最初はまったく意味が分からなかった。だけど雷蔵が丁寧にルールを教えてくれたので、少しずつ理解出来るようになってきた。正直、それでも「これがそんなに面白いかな?」という印象だったが、審判の、ものすごくよく通る声での「ッ、トライッコォーーア!」という雄叫びはちょっと面白かった。思わず笑ったら、雷蔵に怒られた。そんな雷蔵も可愛い。

「二軍はグラウンドと客席の距離が近いから、良いんだよ。鳴り物応援も無いから、声がよく聞こえるし」

 と雷蔵は嬉しそうに言った。確かに近い。選手の表情まで見えるし、ベンチからの掛け声が最初は色んなバリエーションがあるのに、だんだん「行けよーー」と「オラァーー」の二種類のみになってゆく……なんて小ネタもキャッチ出来る。

 それでも野球自体はそこまで興味深いとは思えなかった。むしろ、野球を見て普段よりテンションが上がっている雷蔵の方に興味があった。 それはもう仕方が無い。おれが好きなのは野球ではなく、雷蔵なのだ。

 バッターがボールを打った。同時に雷蔵が「あっ」と声をあげた。打球が高く上がって、おれたちの座っている方に飛んで来る。おれは目線を上に向けた。ボールは太陽に吸い込まれる。眩しい。だけど確実に、おれたちの近くに落ちる。あのボールをキャッチして、雷蔵に渡したら彼は喜んでくれるだろうか。白い光の中からボールの影が現れる。落ちてくる。落ちてくる。おれは手を伸ばした。ここが落下点だ。ボールが落ちてくる。そして、ボールはおれの手の中にすっぽりと収まった。やった。取った。

「ナイスキャッチ!」

 真っ先に叫んだのは、おれの真後ろに座っていたじいさんだった。いやじいさんに褒められても嬉しくない。周囲から拍手が起こる。それも別に良い。おれは雷蔵の方を見る。雷蔵は、雷蔵はどんな反応をしているんだ。

「三郎すごい! よく取れたね!」

 雷蔵は身を乗り出し、おれの肩を叩いた。太陽を凝視したので、色とりどりの光が視界を舞っていた。その中で雷蔵が驚いた様子で笑っている。おれの心臓は大きく弾んだ。

「雷蔵、あの、このボール……」

 おれはたった今キャッチしたボールを、雷蔵に差し出した。

「二軍の試合はファールフライも全球回収だから返さないと……なんだけど、ちょっと触って良い?」

 雷蔵はそう言って、おれの手からボールを取った。それを両手で撫でて「おおー」なんてため息をつく。そうしたらすぐに係の兄ちゃんがやって来たので、雷蔵はそのボールを彼に渡した。

「この眩しさの中でちゃんと捕球出来るなんて、三郎、野球の才能があるんじゃない?」

 雷蔵はこちらに向き直り、おれの肩をばしばし叩いた。その手が肩に触れる度に、おれの心は痺れた。彼のかけてくれた言葉に、胸がむずむずした。

 そしておれは決意する。

 明日、野球部に入部届けを提出しよう、と。





(野球少年、鉢屋三郎誕生の瞬間である)