■家路へと 終章■
柔らかな風の吹く中、きり丸は半助に手を引かれて静かな山道を歩いていた。道の端に生えていた蒲公英が気持ちよさそうに揺れている。もうすっかり春であった。
「なあ、あとどれくらいで忍術学園に着くの?」
きり丸は半助を見上げ、尋ねた。薄汚れた着物を身に纏った半助が、こちらに視線を寄越す。その腰には、相変わらず不釣り合いな程に立派な刀を差している。
「もうちょっとだ」
半助の言葉に、きり丸は口を尖らせた。
「さっきから何回聞いても、『もうちょっと』じゃん。おれ、もう足が痛いよ」
もう、半助の住む街から随分と歩いた。きり丸は大きな荷物を背負っていたし、そろそろ疲労が溜まってきた。
「だから、入学金の風呂敷はわたしが持つと言ったのに。全部小銭じゃ、重いだろう」
半助は、きり丸の背の荷物を指さした。この春までに、きり丸が必死で貯めた銭である。色々と苦労もあったが、過不足無くきっちりと用意することが出来た。それはきり丸にとって誇りであった。
「良いの、これはおれが持って行くんだから」
きり丸は首を横に振って、入学金の入った風呂敷を担ぎ直した。じゃらり、と銭の擦れる心地よい音がする。半助は少し笑って、視線を前に戻した。
きり丸が忍術学園に行くことが決まってからも、半助はことあるごとに思い直すよう勧めてきた。しかし、きり丸が入学金を全て稼ぎ終えてからは、何も言われなくなった。きっと、きり丸の決意と覚悟を理解してくれたのだろうと思う。口には出さなかったが、きり丸はそんな彼に感謝していた。
まだまだ山道は長く、忍術学園に到着する気配はなかった。目に映る景色も変わり映えがなく、きり丸は段々退屈になってきた。
「……ねえ、半助」
何か話をしようと声をかけると、何故か、頭を軽く叩かれた。
「いってえ、何だよ」
名前を呼んだだけでぶたれるなんて理不尽なことこの上ない。そういう抗議の意を込めて半助を見つめると、彼は目を細めてこう言った。
「土井先生、だ」
「え?」
「これからわたしはお前の先生になるのだから、きちんとそう呼びなさい」
半助に言われて、きり丸は目を瞬かせた。そうか、そういえば、半助は忍術学園の先生なんだと思った。これまで入学金を稼ぐことに必死になっていて、そのことをすっかり忘れていた。半助が先生。何だか、不思議な感じがした。
「土井先生……」
きり丸は声に出して発音してみたが、何やらむしょうに恥ずかしくなって半助から視線をそらした。
「何か、変なの!」
照れくささを誤魔化すために大きな声で言ったら、再度、軽めの拳が頭に振ってきた。
「言葉も、ちゃんと敬語を使うんだぞ。良いな」
「いちいちぶたなくても、分かったよ、もう」
きり丸は、左手で頭をさすった。半助が、頭上で息を吐く。
「頼むから、良い子にしていてくれよ。学園内で変な仕事なんか始めなるんじゃないぞ」
その言葉に、きり丸は「はーい」と返事をしながら、内心でにやりと笑った。大人にそう言われて、きちんと守る子どもなんていない。忍術学園に入ったら、どんな仕事が出来るだろうときり丸は楽しみになった。
「お、きり丸。見えてきたぞ」
半助は、繋いだ手を軽く揺すった。顔を上げると何時の間にか視界が開けていて、半助の指さす先に大きくて立派な門が見えた。
「おおー、すっげえ」
きり丸は思わず歓声をあげた。あんな堅固な門は今までに見たことがない。装飾はいたって簡素だが、威圧感のある堂々とした構えであった。今からあの中に自分が入るんだと思うと、きり丸はどきどきした。半助が、穏やかな声で続ける。
「あそこが、お前の学ぶ場であり、家になるんだ」
「……家……」
きり丸は、ちいさく繰り返した。忍術学園に入学したら、生徒たちは学内にある長屋で生活するのだという話は聞いていたが、家になる、と言われるとまた違った感慨が胸にこみ上げた。
「夏休みなどの長期休暇になると生徒達は郷里に帰るから、その間はまた、きり丸はわたしの家に帰って来れば良い」
半助の家に帰って来る、という言葉の響きにきり丸は頬を熱くした。半助は何でもないような口調で言ったが、それはきり丸の心を大きく動かした。あの家に居ても良いのかどうか、と悩んでいた時期がまるで嘘のようだ。涙が出そうになって、唇をきつく噛み締める。
そしてきり丸は、はたとあることに気が付いた。その場で足を止めて、目の前に続く道を見つめる。
学園へと続く道。忍術学園がきり丸の家になるのなら、この道はきり丸の家路ということになる。
次いできり丸は、後ろを振り返って今来た道に視線を注ぐ。半助の住む街へと続く道。半助の家に帰る道だ。この道もまた、きり丸にとっては家路である。
それは一度、戦火によって奪われたものである。そして、きり丸がもっとも取り戻したかったものだ。どうしようもなく焦がれながら、もう二度と手に入らないのだと諦めていたものが、いっぺんにふたつも手に入った。
……まるで奇跡のようだ。
きり丸は、大きく息を吸い込んだ。この一本の道は、他の何にも代え難い宝物だと思った。
「きり丸、どうした。そんなに疲れたか?」
突然足を止めたきり丸を、半助が心配そうに覗き込む。
「ううん、全然!」
きり丸は顔を上げて、満面の笑みを返した。そして胸いっぱいの幸福を噛み締めながら、半助とふたり、忍術学園へと歩き出したのだった。
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