■漁夫の利■
伊作と仙蔵が食堂で遅めの昼食を摂っていると、文次郎と留三郎が立て続けに食堂にやって来た。それを見て、仙蔵はすかさずこう言った。
「注文の順番。留三郎。金平ごぼう」
すると、伊作は香の物に箸をのばしてこう返す。
「席の取り合い。文次郎。玉子焼き」
端から見ると、意味不明な会話である。しかし彼らにとっては恒例のやり取りであった。これは、いつも喧嘩ばかりしている文次郎と留三郎が、今回は何が原因でぶつかり合うか、そしてどちらが先に手を出すか……というのを当てる賭けだった。勝った方が相手のおかずを一品指定して、獲得することが出来るという訳である。
「今のところ、わたしの勝率の方が高いからな」
「今日はぼくが勝つよ。この一週間、彼らは席の取り合いで喧嘩をしていないからね。そろそろ来る頃だ」
ふたりは食事を続けつつ、文次郎と留三郎を注視した。彼らはほぼ同時に「おばちゃん、注文……」と声をあげた。仙蔵がにやりと笑う。伊作は、僅かに眉を寄せ
「まだ分からないよ」と呟く。
留三郎と文次郎は、憮然とした表情で睨み合った。よしいけ、と仙蔵は拳を握る。
しかしそのとき、文次郎たちの後ろから厚着先生がやって来た。彼らは、はっとなって、「お先にどうぞ」と先生に先を譲った。そして先生の出現によって、いがみ合いの空気は薄れてしまった。仙蔵は舌打ちをし、伊作は勝ち誇ったように微笑んだ。しかし仙蔵は諦めない。
「いや、しかし、厚着先生が注文を終えた後、ふたたび争いが勃発する可能性も……」
「食満せんぱーい!」
「こんにちはー!」
今度は、一年は組の福富しんべヱと山村喜三太が現われ、留三郎にまとわりついた。ふたりはきゃあきゃあと笑いながら、今日のご飯が美味しかっただの、なめくじが可愛いだの、留三郎に向かってそんな話を始めた。
「おう、そうか。良かったなあ」
留三郎はにこにこして、後輩たちの話を聞いてやっている。その間に厚着先生は注文を終え、その次に、争うことなく文次郎がおばちゃんに焼き魚定食を注文した。
「くそ、あいつらめ……!」
仙蔵は悔しそうに机を叩き、伊作はそれを見て声をあげて笑った。彼はとことん、一年は組のあのふたりと相性が悪い。
それからすぐ後にしんべヱと喜三太は留三郎から離れてゆき、彼もおばちゃんに声をかけた。
「おばちゃん、おれ、焼き魚定食で」
「あらあ、ごめんね、食満くん。焼き魚定食、たった今売り切れちゃった」
「えっ、ほんとに?」
「これで最後なの、ごめんなさいね」
おばちゃんは困ったように言って、文次郎の前に焼き魚定食の盆を差し出した。「なっ」と、留三郎は頬を引き攣らせて文次郎を見た。最後の焼き魚定食を受け取った文次郎は、ふふんと笑った。ふたりの間に流れる空気が、一瞬にして緊張する。
「あっ、ばか、こんなところで喧嘩するな……! ここじゃないだろ……席を取り合えよ……!」
焦った伊作は、身を乗り出して彼らの様子を窺った。賭の最中は口出しも手出しも無用、という決めごとがあるので何も出来ないのがもどかしい。仙蔵は笑って「やれ、やってしまえ」と手を叩く。
「……まあ、良いや」
留三郎がそう言ったので、伊作は、おっと思った。退いた。留三郎が退いた。意外に大人である。しかし彼は、せせら笑いながらこう続けたのだった。
「てめえと同じもん食うなんて、気分悪いしな」
伊作は前言を撤回することにした。ちっとも大人じゃない。ただの子どもである。そして、文次郎も子どもであった。留三郎の軽口に「あ?」と苛立ちを露わにした。正に一触即発である。文次郎が拳を握る。留三郎がぶんぶんと手を振る。伊作は祈るように手を合わせた。仙蔵は、いけ、やれ、と視線で彼らをけしかける。
「ああ、腹が減った! おばちゃん、飯、飯!」
そこに、突き抜けるような明るい声が勢いよく飛び込んできた。七松小平太であった。彼は、食堂に立ちこめる不穏な空気には全く気付かず、食堂中に響き渡る大声で言った。
「おばちゃん、焼き魚定食! 大盛りで! えっ、もうないの! ええー! ……って、ここにあるじゃん!」
そう言って小平太は、文次郎の傍らに置かれていた定食の盆から、主菜である焼き魚を掠め取り、口の中に放り込んだ。
「あっ!!」
文次郎と留三郎、そして離れたところで見ていた伊作と仙蔵の声が重なった。焼き魚は、小平太の腹の中に消えて行った。四人はしばし呆然として、もぐもぐと動く小平太の口を見つめていた。
30分経過! オチませんでしたすみません!
そして、食満と潮江と言いつつ、結局長次以外全員出ました。
此処まで来たら、長次も出したかったなあ……。
潮江と食満は喧嘩ばっかしてるので、伊作と仙蔵はそれを楽しく眺めてれば良いです。
一番書いてて楽しかったのは、喧嘩しつつも先生が来たらちゃんと先を譲る彼らの礼儀正しさです。
このふたりって喧嘩してるときは子どもみたいだけど、基本的には大人ですよね。喧嘩中と、それ以外のギャップが大好きです。
そういうわけで、リクありがとうございました!
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