■鬼の霍乱とまでは言わないけれど■
どうしよう。やってしまった。
皆本金吾を半ば呆然として自分の装束を見下ろした。剣術の稽古の際、袖口を木に引っ掛けてしまい、そうと気付かず木刀を振り下ろしたら袖が脇の辺りまで思い切り避けてしまったのだ。
「うわあ……裁縫苦手なのになあ……」
金吾はこの上なく憂鬱になった。それに彼の部屋は、全体的に喜三太のナメクジに浸食されているため、裁縫道具がきちんと使える状態なのかどうかも分からない。
「伊助に頼んだら、縫ってくれるかなあ……」
しかし金吾は十日ほど前に、同じような理由で装束を破き、そのときも伊助に繕って貰っていた。今度は引き受けてくれないかもしれない。そうなると困る。
「こんなところで何をうろうろしているんだ、金吾」
後ろから声をかけられた。金吾は振り返り、そして思わず露骨に顔をしかめてしまった。そこに立っていたのは、委員会の先輩である平滝夜叉丸であった。
「げ……っ、あ、いや、滝夜叉丸先輩、こんにちは」
金吾は慌てて、作り笑いを口元に貼付けた。そして己の不運を呪う。よりにもよって、この先輩に捕まってしまうなんて。何せこの人は話が長い。それも全て、自慢話と自分への賛美だ。彼の話を聞いていると、尋常じゃなく疲れるのである。
「ん? 何だ、その袖。引っ掛けたのか」
滝夜叉丸は、だらんと垂れた金吾の袖を指さした。
「あ、はい。剣術の稽古の最中に、引っ掛けてしまって」
「じゃあ、わたしが繕ってやろう」
「へ?」
金吾は気の抜けた声をあげた。それは全く予想外の展開だった。それに、先輩の言葉に何やら違和感を感じる。いつもだったら、「わたし」のという主語の前に、「成績優秀で容姿端麗、武芸にも秀でていて云々」とかなんとか、長ったらしい枕詞がつくのに、今回はそれが無い。金吾はなんと答えて良いのやら、目を瞬かせて滝夜叉丸の顔を見上げた。
「ついて来なさい」
滝夜叉丸は踵を返して歩き出した。金吾もそれに続く。四年生の長屋に向かう最中も、滝夜叉丸は静かであった。
「あのう……先輩、お身体でも悪いんですか?」
何だか心配になってしまって、金吾は恐る恐るそう尋ねた。すると滝夜叉丸はこちらを振り向き、「は?」と怪訝そうな顔をした。
「何の話だ、それは」
「いや、元気が無いようですので……」
その言葉に、滝夜叉丸は僅かに微笑んだ。
「わたしはいつだって健康だ。体調管理が出来なくては、忍者は務まらないからな」
あ、この言い方はいつもの滝夜叉丸先輩だ、と思った。しかしそれでも、普段より力が入っていないような気がした。
滝夜叉丸の部屋は、色とりどりの装飾で彩られていてとても派手……だと金吾は思い込んでいたのだが、実際はそうではなかった。きちんと整頓された、ごく普通の部屋であった。ただ、やたらと大きな鏡が文机の真横に据えられていて、その辺りは流石だなと思った。
「ほら、貸してみろ」
裁縫箱を引き寄せながら、滝夜叉丸は手を差し出してきた。金吾は慌てて着物を脱ぎ、滝夜叉丸の手にのせた。
滝夜叉丸は慣れた手付きで針に糸を通し、黙々と破れた装束を縫い始めた。素晴らしい手際に、金吾はしばし見とれてしまう。
しかし、あんまり滝夜叉丸が静かなので、どうにも手持ち無沙汰になってしまった。何か話でもしたい。まさか、滝夜叉丸と話がしたい、と思う日が来るなんて思ってもみなかった。
「滝夜叉丸先輩は、裁縫、得意なんですか」
言ってから、どうしてそんなことを訊いたのだろうと思った。そんなことを尋ねてしまったら、また自慢話で話が長くなってしまうではないか。金吾は己の迂闊さが嫌になった。
しかし、やっぱり今日の滝夜叉丸は何処かおかしかった。常であれば絶対に長話になるのに、今回は「そうだな」とひとこと言って頷いただけだった。金吾は拍子抜けしてしまう。一体、今日の滝夜叉丸先輩は、どうしてしまったんだろう。
「肩のところもほつれかけているから、直しておくぞ」
「あっ、はい、ありがとうございます。……何だか、今日の滝夜叉丸先輩は優しいですね」
「わたしはいつだって優しいだろう」
すみません、時間切れです……。
この後、
金吾居眠り→綾部の奇行で起こされる→滝夜叉丸はいない→金吾夕飯食いっぱぐれ→滝夜叉丸が握り飯作って置いててくれてる
と続く予定でした。30分みじかいーー。
体育委員はファミリーですよね。楽しいー。
リクありがとうございまっした!
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