■もしもの話■
もしも、あの日おれが厩当番でなければ。
もしも、馬が産気づかなかったら。
もしも、お産が深夜までかからなかったら。
もしも、お産がすべて無事に済んだ後に、一息ついて喉が渇いたと思わなかったら。
もしも、あの井戸に行かなかったら。
これらの「もしも」をすべて突破したら、おれの運命は変わっていたかもしれない。あんな目に遭わなくても済んだかもしれない。そのような仮定を立てるのは無駄だということは分かっている。分かっているが、思わずにはいられない。
あの日、あのとき、あの場所に行かなければ、おれは幸せでいられたのに!
最初は、何処かの檻から犬か狼でも逃げ出して来たのかと思った。井戸で水を飲んでいたら、背後にけものの気配を感じたのである。それと血の匂い。やっぱり檻を強化しないといけねえな、食満先輩に今度相談してみるか、なんてことを考えていたら声が聞こえてきた。
「そこにいるのは誰だ」
あれっ、と思った。けものの気配なのに、声がする。すなわちそれはけものではなく人間だということである。しかしおれはすぐに、けものと遭遇するよりもやばいのでは、ということに気が付く。ひとの気配のしない人間。明らかにやばい。
「た、竹谷、です。生物委員の」
本当は走って逃げたかったのだが、逃げられる気がしなかったし変に逆らって興奮させても危険なので、痺れる舌を懸命に動かして答える。というかさっきから、血の匂いと殺気が物凄い。腹の奥がどんどん冷たくなっていく。
闇の中からけものが現われた。半身が血に濡れたけものである。一体何処で何をして来たらそんな様相になるのだろう。普段おれはこれを七松先輩と呼んでいるが、今、その名前で呼んで良いものかは定かではない。だって多分、これは七松先輩ではない何かだ。おれは唾を呑み込んだ。
「おい」
けものがひくく呟いた。おれはびくりと身体を震わせる。いきなり襲いかかってきたらどうしよう。側に手頃な石か棒でも落ちてないだろうか。そんなことばかりが頭をよぎる。
「水」
彼は顎を井戸に向けた。目の前にいる後輩が水を汲むのは当たり前なのに何故言われるまでやらないのか、とでも言うような仕草であった。この暴君め、と思ったがとかく恐ろしいのでおれは急いで水を汲んだ。桶を手渡そうとしたら、「頭からかけて血を洗ってくれ」と言われたので桶を高く持ち上げる。彼に近付くと、よりいっそう濃い血の匂いがしてむせそうになった。そして、彼の両手も血でどろどろになっていることに気が付く。ああなるほど、血で汚れるから桶を持たないのかと納得したが嫌な心持ちになった。そんなこと気付かなければ良かった。
ばしゃん、と水を彼の頭からかける。一度くらいでは大量の血は洗い流せない。おれは何度も水を汲んでは彼に浴びせた。
「お前、こんな時間に何をしていた」
水の雫をしたたらせ、けものが口を開いた。おれはごくりと唾を呑んだ。
「う、馬の、出産に、立ち会っていました」
なさけないくらいに声が震えてしまう。もう一度水を汲もうと桶に手を掛けたら、物凄い力で腕をつかまれた。
久々に30分縛りやってみたら、ほんとあっちゅう間に終わってしまって「あ、あれ?」ってなりました。
今まで殺し殺され斬り斬られな現場に居たであろう小平太と、命の誕生に立ち会っていた八左ヱ門との遭遇って、面白いテーマかもしれないと思いました。
腰据えてがっつり書きたいような気もしましたが、そんな難しいテーマはわたしの手には負えない!
誰か長編でどっぷりと書いて下さい。読みたい。
そういう感じで、毎度投げっぱなしですみません楽しかったです!
リクありがとうございました!
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