邪魔どころか
ご飯ふみふみ丸
身じろぎをする音がする。膝に眠る男が起きたらしい。
不破雷蔵は、「起きたのかい?」という意味を込めて膝の男ー鉢屋三郎ーの頭をそっと撫でる。三郎は片目だけ開けて返事をよこす。その顔は雷蔵と同じ顔をしているが、実は変装である。
人一倍寒さに弱い彼は、火気厳禁の図書室で暖を取るには人肌が一番手っ取り早くて確実じゃないかと、雷蔵の膝に身をゆだねている。『厚着をした方がずっと手っ取り早くて確実ではないか』と、一年生に実に最もな指摘をされたのだが、それは彼の耳には届いていないようだった。休憩時間ならいざしらず、貸出業務中のそれは、さすがに邪魔ではないのかと問われたこともあるが、普段からこんな風に近くにいることが当たり前なので、さして邪魔とも思わないのだ。多分、三郎もそのことも承知の上なのだろう。
「不破先輩、貸し出しをお願いします。」
図書と共に差し出された貸出票に返却日を入れ、本を借りにきた生徒へ図書を渡す。
「返却日までに返すんだよ」
柔らかな声音で、これまた柔らかな笑みを湛えながら、片手は膝に眠る男を撫でている。
受け取った生徒は一瞬固まったが、はぁいと間延びした返事を残し図書室を去る。
その態度を訝しむ暇もなく、次の利用者の応対をする。 今日は利用者が比較的多いのだ。
雷蔵は、ふと違和感に気がつく。利用者が多いはずなのに、それほど貸し出し窓口が込み合わないのだ。
「返却お願いします。」
違和感を感じてはいるものの、突き止める前に利用者が訪れ、考えがまとまらない。
「ええと、貸出票は…」
「ほれ」
目の前に差し出された貸出票。今まさに探していたものだ。ああそうか、三郎がこうして貸出票をいつの間にか探して差し出してくれるので、作業時間が短縮されているのだ。
いつもは、学年も組も無視してとりあえず貸出票入れに突っ込んでいる(時々雪崩を起こす)ので、そこから一枚を探し出そうとすると、至難の業なのだ。一日の終わりにきちんと整理をつけておけばいいのだが、なかなかままならず捜索難航に拍車がかかっていた。それにしても、三郎はどうしてこの雑然とした貸出票入れから、そんなにも早く一枚の貸出票を探し当てることができたのだろうか。
カタン
かすかな音がした。音の方向を見やると貸出票入れと、そこに入りきらなかった貸出票が、机の下に飲み込まれてゆく途中であった。
しばらく経つと、またかすかな音を立てて、その貸出票入れは整然と並んだ状態で机の下から戻されていた。
三郎が、知らない間に整理をしてくれていたのだ。
なんということだ。仮にも忍者のたまごでありながら、今の今まで気がつかなかったのだ。 微兆の術が、こと三郎に限って疎かになっていたのだ。そのことは反省すべきだし、恥ずかしいと思うけれど、三郎が自分に気を使わせないよう今までそっと整理を行ってくれていたこと、自分がそれほどまでに三郎に気を許していること、その事実に改めて気づかされて嬉しいやら恥ずかしいやら。そう思いつつも嬉しさが格段に勝っているために、雷蔵の顔はほんのり色づいていくのであった。
「筆なくしたら新しいの出すんじゃなくて、探してあげてな。」
「そっちにぶちまけている紙束くれ。」
「ゴミはくずかごに捨てような?」
雷蔵の心中を知らない三郎は、人の膝に頭を預けた状態で貸出票を整理しながら小言を言ってよこす。
器用な男である。器用で、優しい、唯一無二の男である。
雷蔵は三郎の頭を撫でる。愛おしそうに。何度も、何度も。
「ごまかされないぞ。」
「そうかな」
「そうだとも」
そう口では言いながらも、三郎は気持ちよさそうに目を細める。
今度三郎にお礼をしないとな、そんなことを考えながら、雷蔵はしばらくの間三郎の頭を撫で続けていた。二人の間に甘やかな時間が流れる。
突然、貸出係とその顔を借りている友人が二人の世界に入ってしまったため、いつ声をかけるべきか、一度引き下がり、頃合を見てもう一度窓口に行くべきか、しかし今動くのは危険なのではないか、そんな思いを胸に巡らせた利用者は、窓口前で固まる他なかったのであった。
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