■そういうことってあるよね■


 はーあ、と三郎と八左ヱ門は同時に溜め息をついた。昼食時の食堂である。周囲はがやがやと騒がしい。隣合わせに座る彼らは、机に肘を突いてちらりとお互いを見やった。

「……何」

「三郎こそ、何だよ」

 もう一度ふたりして、はあ、と深い吐息を漏らし、同時に口を開いた。

「雷蔵が口をきいてくれない」

「兵助が機嫌直してくれなくてさあ」

 三郎と八左ヱ門は、眼を瞬かせた。若干声を落として、

「……お前も?」

「お前もか」

 と、囁き合う。そしてこの瞬間、彼らの間に共感と連帯感が生まれたのだった。八左ヱ門は身を乗り出して、若干楽しそうに 「三郎は、何したの」と尋ねた。不破雷蔵の顔を借りた三郎は、渋面をつくって小さな声でこう言った。

「雷蔵の顔ってこと忘れて、からかい目的で二年の川西に接吻を迫った」

 それを聞いて八左ヱ門は、顔をしかめ軽蔑をあらわにした。それは雷蔵が気の毒すぎる。あと、川西も。

「最悪だ。しかも何でまた、そんな洒落の通じなさそうな奴に」

「洒落の通じない奴だからこそ、面白いんじゃないか」

「本当に最悪だな。そら、雷蔵も口きく気なくすわ」

「八左ヱ門こそ、何やらかしたんだよ」

 今度は三郎が、にやにや顔で八左ヱ門に詰め寄る。八左ヱ門は気まずそうに肩を縮め、胸元で手のひらを擦り合わせた。

「約束すっぽかした上に、焔硝蔵に逃げ込んだ毒虫追っかけて扉ブチ壊した」

「二段構えかよ。お前の方が質が悪い」

「更に、あいつから借りてた本を破いちゃった……」

「まさかの三段構え。もう駄目だな、それは」

 三郎はあきれ顔で手を振った。八左ヱ門の身体が、どんどん小さくなってゆく。

「駄目かなあ……」

 不安そうな顔になる八左ヱ門に、三郎は「駄目だろう」ときっぱり言った。すると八左ヱ門は口を尖らせ、まっすぐに三郎を指さした。

「それを言ったら、三郎だって駄目だと思うぞ」

「……やっぱ、駄目かなあ……」

 今度は三郎が、心細そうな面持ちになった。八左ヱ門は深く頷きながら、「駄目だろう」と断ずる。

 ふたりは口を閉じ、みたび同時に深い吐息を漏らした。

「……兵助って、怒ったらどうなんの」

 あたたかな湯呑みを手に取って、三郎はぽつりと呟いた。八左ヱ門も湯呑みに手を伸ばし「ああ……」と言って視線をそらした。出来ればそのことは思い出したくない、という顔であった。

「何言っても、返事は『あ?』で終わり」

「あの重低音で?」

「重低音で」

「ちょうこええ」

「こええぞ、マジで」

 しみじみと言って、八左ヱ門は茶をすすった。この男も苦労しているようだ、と三郎は思った。

「そんで雷蔵は、どんな風になるの?」

 言いながら、八左ヱ門は湯呑みを卓上に置いた。三郎は左胸に手を当て、頭を垂れた。

「めっちゃニコニコしてる。でも口きいてくれない」

「死ぬほどこええ」

「心臓凍るぞ」

「お前も大変だなあ」

「お前もな」

「早く許してもらえると良いよな」

「本当にな」

「でも、三郎の方が質が悪いから、たぶんおれの方が早く許してもらえるな」

「何言ってんだよ。絶対おれの方が先に許してもらえる。大体、おれの不祥事はひとつだけど、お前なんて三つもあるじゃん」

「いいや。おれは過失の積み重なりだけど、三郎は川西をからかおうという悪意があってのことだろ。そんなもん、そうそう許してもらえねえよ」

「悪意っていうな。悪戯心って言え」

「お前の所業は、悪戯じゃ済まされねえんだよ」

「何だと」

「お、何だ、やるか」

 ふたりは立ち上がり、激しく睨み合った。周囲に座っていた生徒たちが、不穏な気配を感じ取ってこそこそと席を離れてゆく。そのときである。

「どっちもどっちだよ」

 という、冷たい声が背後から聞こえた。三郎と八左ヱ門はびくりと背中を震わせて、恐る恐る後ろを振り向いた。

 そこには、見覚えのある後ろ姿がふたつ並んでいた。三郎と八左ヱ門の顔は、瞬く間に青くなった。

「ら、雷蔵……」

「兵助……い、いつの間に、そこに」

 雷蔵と兵助のふたりは、こちらに背を向けたまま黙々と食事を続けていた。箸を使う音だけが、三郎たちの耳に滑り込んでくる。彼らは無意識の内に、お互いの震える手をしっかりと握り合っていた。

「あ、あの、兵助……ご、ごめ……」

「あ?」

「いやあのだから、ごめんって……」

「あ?」

「ごめ」

「あ?」

「ご」

「あ?」

「…………」

  口を開く度に硬化してゆく兵助の態度に、八左ヱ門はもう何も言えなくなった。

「ら、雷蔵。あの、おれ、本当に反省してるから。あの、もう絶対あんなことしないし」

「兵助、醤油取ってくれる?」

 いつもと変わらない朗らかな口調で、雷蔵は兵助に話しかけた。しかし、三郎の言葉には全く耳を貸さないし、ちらりともこちらを見ようとしない。

 三郎と八左ヱ門は泣きそうな顔でお互いの顔を見やり、ふたりしてがっくりと肩を落としたのだった。



三郎と八左ヱ門による、「おれの嫁マジ怖い」談義でした。
嫁談義と聞いて真っ先にこれが思い付いたんですが、何かラブ度が低いですね……ごめんなさい……!
そして書いてる途中で「あっ、こういうのって普通、おれの嫁が一番! みたいな話をするんじゃないの……?」と気付きました。
相変わらず空気の読めないきりんこ! すみません!
でも、五年を書くのはやっぱりとても楽しかったです。いつでも何処でも五年が好きです。
リクありがとうございました!