■ラララ星の彼方■


 体育委員会委員長業務の引き継ぎを行うので、裏裏山の頂上まで来るように     七松


 ……という書き置きが、滝夜叉丸の部屋の、文机に残されていた。

 明らかにおかしな指示である。委員長業務の引き継ぎをするのに、何故わざわざ裏裏山まで行く必要があるのか。運動場でも食堂でも七松の部屋でも、何処でも良いじゃないか。何故、裏裏山なのだ。

  しかし、最上級生の言うことだ。行かないわけにはいかない。

  それに何だかんだと、もうすぐ自分が体育委員長になるのだと思うと胸が躍った。何せ委員長。頂点である。それも、委員会の花形である体育委員会の頂点だ。何と、わたしに相応しい肩書きだろう。滝夜叉丸は書き置きを握りつぶして、意気揚々と裏裏山へ出発した。










「よう! 来たな滝夜叉丸!」

 裏裏山の頂上で、体育委員長の七松小平太はいたくご機嫌であった。対する滝夜叉丸は、実技の授業を終えてすぐに此処まで来たので、既にへとへとだ。

「ようし、それじゃあ引き継ぎをするぞ。駆け足で下山しながらな!」

 朗らかにとんでもないことを言う小平太に、滝夜叉丸はぎょっとしてしまった。今来た道を、また戻る? しかも駆け足で?

「な、何でわざわざ走りながら引き継ぎなんですか!」

「だって、わたしたちは体育委員会だろう。さあ行くぞ!」

 そう言って、小平太は滝夜叉丸の返事も聞かず軽快に走り出した。
こうなれば、彼はもうこちらの話は一切聞かない。己の道をゆくのみだ。滝夜叉丸は肩を落とし、彼の後に続いた。ああ、これで明日は筋肉痛決定だ。

「えーと、引き継ぎって、何をすれば良いんだっけな!」

「ちょ……っ、先輩、そこからですか!」

 勘弁して下さい! と叫ぶ滝夜叉丸に、小平太は笑って懐から一枚の紙を取り出した。

「こんなときの為に、要点を紙に書いておいた! 長次が!」

「……中在家先輩が、ですか」

「ええとまず、予算会議についてだ!」

 読み上げながら、小平太はずんずん走る。滝夜叉丸は必死で後を追いながら、豪快にも程がある先輩の言葉に耳を傾けた。

「予算会議は、うん、とかく戦え! 戦って予算をもぎ取れ!」

「違います先輩……! その前に前年度の予算の確認! 今年度の予算案の草稿作成! 草稿を顧問の先生に提出! 承認印を貰ってから、会計委員会に提出し、その後に予算会議です!」

「へえ、お前、よく知ってるな!」

 わたしはそんなこと、ちっとも知らなかった、と委員長にあるまじき発言をして小平太は笑い声をあげた。

「先輩が、数字を見るのが嫌いだからと言って、全部わたしにやらせていたからでしょうが!」

「ええと、次はー」

「あ、あのっ、先輩、それよりもう少し、速度を落とし……」

「運動会だな!」

「…………」

「運動会、燃えるよな!」

「そうじゃなくて……っ、体育委員会は運動会の実行委員会を兼ねるから……っ」

「ああ、そうそう。そうだったそうだった。それで、実行委員は、えーと」

「……その辺は全部、分かってますんで、次行って下さい……!」

「委員会活動における、用具貸し出しについて!」

「知ってます! 次!」

「委員長が演習等で不在の場合は!」

「それも知ってます! 次!」

「武術大会の運営について!」

「次!」

「学園有事の際の役割について!」

「次ィ!」










「いやあ、ほとんど引き継ぎの必要がなかったなあ」

 結局学園前まで走って戻って来た小平太は、腰に手を当ててからから笑った。一方滝夜叉丸は、地面に手をついてえづきそうになるのを必死で堪えていた。

 小平太の言うとおり、全く引き継ぎの意味がなかった。よく考えれば彼は自分の好きなことしかしないので、事務的な仕事は全て滝夜叉丸が請け負っていたのだった。一体何のために学園と裏裏山を往復したんだ、と馬鹿馬鹿しくなった。

「滝夜叉丸」

 ぽんと肩に手を置かれて、滝夜叉丸は顔を上げた。小平太の満開の笑顔が視界に入る。この人は何時だって楽しそうに笑っている。くそっこちらの気も知らないで、と滝夜叉丸は歯噛みした。

「おまえはわたしが言わなくても仕事を覚えてくれたし、まあ性格はアレだけど後輩もよくまとめてくれるしで、随分と楽をさせて貰ったな。おまえみたいな優秀な後輩を持って、わたしは幸せだぞ」

 それは全くの不意打ちであった。こんな風に直球で褒められたことも優秀だと言われたことも今までなかったので、その言葉はどすんと滝夜叉丸の胸に深く食い込んだ。それと同時に、ああこの人はもうすぐいなくなってしまうんだという実感が突然胸に押し寄せて来て、滝夜叉丸は不意に泣きたいような心持ちになった。しかし人前で落涙するなど彼の自尊心が許さないので、唾をひとつ呑み込んでから尊大な態度で笑ってみせた。

「……先輩もようやく、わたしの実力に気付いたようですね! まあ、体育委員会はこの滝夜叉丸に任せて、先輩は安心してご卒業なさって下さい! はっはっは!」

 そして、どうぞわたしたちのことを何処かで見守っていてください、と心の中で小さく付け加えて滝夜叉丸は高笑いを続けた。

「そうか、頼もしいな! じゃあ、これからもう一度裏裏山まで走るか!」

「は」

 滝夜叉丸は笑いを止めた。今、この男は何と言った? 確認するよりも早く、小平太は滝夜叉丸の腕を掴む。

「ちょ……っ、先輩、待っ……!」

「いけいけどんどーん!」

 小平太は拳を突き上げて、半ば滝夜叉丸を引きずるようにして走り出した。

「うわああああっ!!」

 己の悲鳴を何処か遠いところで聞きながら、ちくしょう前言撤回ださっさといなくなってしまえこの暴君め!! と、胸中で叫ぶ滝夜叉丸であった。