■黒木庄左ヱ門は見た■


「先輩、鉢屋せんぱーい。何処ですかー?」

 食堂の前を通り過ぎながら、庄左ヱ門は大声で呼びかけた。学級委員長委員会の途中で、鉢屋三郎がふらりと姿を消してもう随分と時間が経つ。お騒がせな先輩が戻ってくる気配はまるでなかった。

  先輩が失踪するのはいつものことなのでまあ良いかと、彼と彦四郎は早々に諦めていた。あの人がいなくなって、自主的に帰って来た試しはない。それに、委員会と言ってもお茶を飲んでお菓子を食べたりしてのんびりしているだけだったので、彼がいなくて困るということもあまり無い。

 なので、庄左ヱ門と彦四郎は、委員会室で宿題をしていた。そうしたら木下先生がやって来て、鉢屋を呼んで来てくれとおっしゃった。それで、彼らは手分けして三郎を捜すことになったのである。

「……不破先輩のいるところに、いるかなあ」

 中庭を突っ切りながら、庄左ヱ門はひとりごちた。何せあの人たちは五年の名物コンビだから。不破先輩なら、図書室にいるだろうか。そう考えて、図書室に行ってみることにした。







 図書室の、やや張り詰めた空気が庄左ヱ門は好きだった。此処に来ると、身が引き締まるような気がする。庄左ヱ門は中に入り、静かに辺りを見回した。閲覧室にはいない。丁寧に書架の方も探してみたが、学園が誇る変装名人の姿はなかった。

 今度は、書庫を覗いてみた。

 すると、いた。本当にいた。

 庄左ヱ門には全く見分けのつかない後ろ姿がふたつ。こんなにあっさり見つかるとは思っていなかったので、庄左ヱ門は自分でも少しびっくりしてしまった。

「ねえ、雷蔵」

 三郎が雷蔵に声をかけたので、庄左ヱ門は戸口の側で立ち止まって開こうとしていた口を閉じた。

「何だい、三郎。おまえ、今日は委員会じゃなかったの」

 手に図書を持った雷蔵が、少し呆れたような調子で応じた。三郎は、「うん」と何故か嬉しそうに応じる。

 さぼったことに、罪悪感を感じてないんだもんなあ、と庄左ヱ門はため息をつきたくなった。いくら大した活動をしていないとは言え、一応鉢屋先輩は委員会の責任者代理なのだから、けじめはつけて欲しい。

「うん、じゃないだろう。また、後輩たちを放ってきたのか」

 仕方ない奴だ、と雷蔵は苦い口調で言った。咎めるような響きではあるが、この先輩は基本的に優しいので、あまり迫力は無かった。もっときつく言ってくれれば良いのに、と庄左ヱ門はじれったい気持ちになる。三郎は小さく笑い声をあげた。

「大丈夫だよ。あの子たちは利口だし、しっかりしているから」

 あ、鉢屋先輩に褒められた。

 庄左ヱ門は目を瞬かせた。次いで、胸がじんわりとあたたかくなる。三郎は、しょっちゅう冗談めかした口調で、庄左ヱ門は偉いなあ彦四郎は良い子だなあなんて言っているが、こんな風にきちんと褒めくれたのは初めてだ。あの、変わり者だけど優秀な鉢屋先輩が褒めてくれた。あとで、彦四郎にも教えてやろう。

「ねえ、雷蔵」

 三郎は、雷蔵の腕を引いた。庄左ヱ門は我に返る。そうだ、喜んでいる場合じゃなかった。早く三郎を、木下先生のところに連れて行かないと。そう思うのだが、なかなか声を掛ける機会を図ることが出来ない。

「何だよ。図書室は私語厳禁なんだから、話しかけるなよ。ぼくまで中在家先輩に怒られるじゃないか」

「そんな冷たいこと言わずに、ちょっとこちらを向いてくれよ」

「まったく、一体なん……」

 雷蔵は途中で言葉を切った。ふわりと、三郎が雷蔵の目元を手で覆ったからだ。

「三郎、何だよ。からかうな」

 そう言って雷蔵は、三郎の腕をつかむ。三郎はそんな彼を見つめ口元にやわらかな笑みを浮かべた。そんな顔をする三郎は見たことがなく、庄左ヱ門はどきりとした。

  三郎は雷蔵に顔を寄せ、彼の目を塞ぐ三郎自身の手に口づけを落とした。

 手のひら越しの接吻。庄左ヱ門の心臓が大きく揺れた。直後、三郎は何事もなかったように雷蔵から手を離した。

「……今のは何だったんだ、三郎」

 視界が自由になった雷蔵は、何が何だか分からない、というような顔をして首を傾げた。三郎はにっこり笑い、そして戸口の方に視線を向けた。

「やあ庄左ヱ門。探しに来てくれたんだ」

 突然声をかけられて、庄左ヱ門は咄嗟に背筋を伸ばした。心臓がまだどきどきしている。言葉が出て来ない。

「それじゃあ、おれは委員会に戻るよ。雷蔵、またな」

 三郎は雷蔵の肩をひとつ叩き、庄左ヱ門の方に歩き出した。

「え? あ、ああ、うん」

 目を覆われていたときの出来事を知らない雷蔵は、戸惑ったように三郎と庄左ヱ門を交互に見た。それからもう一度、首を傾げる。三郎は「さあ、行こう」と庄左ヱ門の背中を軽く押した。







「……鉢屋先輩は、不破先輩のことが好きなんですか?」

 図書室を出てしばらくしてから、やっと庄左ヱ門の口は動いた。まだ、心臓は鎮まっていなかった。さきほどの光景が、頭から離れない。あれは、ふつうの友人に対する行動には思えなかった。

  三郎はこちらを見下ろして、愉快そうに笑った。

「そうだと言ったら、どうする?」

 どうすると言われても、庄左ヱ門は困ってしまう。どうするのだろう。それに正直、彼は人を好きになるということがまだよく分からなかった。だけど分からないなりに、きっと彼は雷蔵のことが好きなのだろうな、と思った。そして直後、彼はもっと大事なことを思い出した。

「あっ、それよりも鉢屋先輩。木下先生が呼んでるんで、来て下さい」
 
 そう言って三郎の腕をぐいと引いたら、三郎は声をあげて楽しそうに大笑いを始めた。

「庄ちゃんてば、相変わらず冷静ね!」