■或る男の話  09■


 客間は雨漏りが酷いので此処を使って下さいと、こざっぱりとした部屋に通されました。そこには先客がおりました。丸い顔をした男でした。男は日向と名乗りました。此処に来る前は戦忍びをしていたそうです。日向はとても朗らかで明るい男でしたが、彼がわたしとはまた違った種類の狂人であることはすぐに分かりました。戦忍びなどまともな人間がやる仕事ではありません。その証拠に、眠っていると隣の布団からおよそ人のものとは思えない獣のような呻きが聞こえてきました。夢の中で誰かに殺されでもしているのでしょうか。それとも誰かを殺しているのでしょうか。そういう声でした。そして翌朝になると日向は爽やかに笑い「いやはや、鼾が五月蠅くありませんでしたかな」などと言うのです。わたしは、いいえ大丈夫ですよと言いました。日向は明るく笑っていました。

 わたしは手を洗いたかったので日向に井戸の場所を尋ねました。そうしたら日向が案内してくれました。わたしは井戸で水を汲み、いつものようにばしゃばしゃと手を洗いました。日向はそれを眺めて「随分、念入りに洗いますな」と言いました。わたしは、はい、と答えて洗い続けました。

 そこに、日向先生、と高い声が響き忍び装束を身につけた小柄な少年が数名走ってきました。少年たちは日向に何か言おうとしましたが、腰を屈めて手を洗っているわたしに目を留めて「こちらはどなたですか?」と尋ねました。日向は笑顔で「新しく赴任される斜堂先生だ」と答えました。わたしはまだ此処で働くと決めていなかったので勝手なことを言われて戸惑いました。

  そんなわたしをよそに、日向は「ほら、ご挨拶しなさい」と言って子どもたちの頭を荒っぽく撫でました。子どもたちはきゃあきゃあ笑って喜びました。そして彼らはわたしに向き直り、順番に名乗り、よろしくお願いしますと頭を下げました。子どもたちの目はきらきらしていました。わたしの子どもの頃と似ても似つかない目でした。わたしはどうして良いか分からず日向を見ました。日向は笑っていました。あなたも彼らの頭を撫でてやりなさい、と言われている気がしました。しかしわたしは手が濡れていたので子どもたちの頭を撫でたりはしませんでした。

 わたしはしばらくの間、何をするでもなく忍術学園に留まりました。相変わらず日向は夜に苦しそうな呻き声をあげます。わたしは若と奥方の夢を見、手を洗います。時折視界に入る子どもたちはみな明るくいきいきとしていました。笑い声もそこかしこから聞こえます。此処は本当に忍者を育てる場所なのだろうかと思いました。それにしては穏やか過ぎる空間でした。わたしの知っている世界とあまりにも違います。いっそ気味が悪い程でした。わたしは混乱しました。おかしいのはこの場所でしょうか。それともわたしでしょうか。

 手を洗いながらそんなことを考えていたら、気分が悪くなりました。わたしは手拭いで手を拭き、重い胸を抱えて井戸を離れました。歩けば歩くほどに具合が悪くなってきたので薄暗い木陰で休むことにしました。陰に入ると少し安心しました。明るい場所は苦手です。地面に座り込んでぼうっとしていたら「先生、何をなさっているのですか」と声をかけられました。以前に井戸で会った少年たちでした。わたしは先生ではありません、と答えましたが彼らはまったく聞いていないようでした。少年たちは勝手に会話を始めました。

「分かった、日陰ぼっこだ」

「何だよ日陰ぼっこって」

「日向でのんびりするのが日向ぼっこなら、日陰でのんびりするのは日陰ぼっこだろ」

 少年たちはよく分からないやりとりをしたのち、わたしの方に向き直って「ぼくたちも、一緒に日陰ぼっこして良いですか」と言いました。この間に見たのと同じ、きらきらした目でした。わたしは困りました。子どもの相手などしたことがありません。しかし断ることが出来なくて、どうぞ、と言ってしまいました。彼らは目を見合わせて微笑み、まるでそれが当然であるかのようにわたしにぴったりとくっついてきました。 腕や腰に子どもたちの体温を感じながら、わたしはそのまましばらく「日陰ぼっこ」をしました。

「……先生、日陰ぼっこって結構楽しいですね」

 そう言って子どもたちは笑いました。今日は手が濡れていなかったので、わたしは子どもたちの小さくてまるい頭を順番に撫でてみました。子どもたちは「先生の手、冷たい」と言ってまた笑いました。

 その日、わたしは若と奥方の夢を見ませんでした。代わりに出てきたのは、子どもたちの笑顔でした。歯の抜けた笑顔、そばかすの目立つ笑顔、糸のように目が細くなった笑顔。

 そうしてわたしは忍術学園の教師になりました。わたしがこれまでに得た知識を、経験を、さまざまな仕事の作法を、子どもたちに教えました。そして彼らの成長を見守りました。何時の間にか、そんな毎日が当たり前になりました。わたしは今でも若と奥方の夢を見ます。それと同じくらい子どもたちの夢も見るようになりました。

「先生、また手を洗ってらっしゃるんですか?」

 井戸で手を洗っていると、井桁模様の装束を身につけた少年がこちらに近寄ってきました。わたしは、そうですよ、と答えました。そうしたら彼は「ぼくも洗いたいです」と言って小さな手を差し出しました。わたしはその白い手のひらをじっと見詰めました。泥遊びでもしていたのでしょう。その手は黒く汚れていました。わたしはシャボンを使って彼の手を泡立ててやりました。やわらかな泡に包まれ、彼は「気持ち良い」と目を細めました。わたしは念入りにその手を洗いました。くすぐったかったのか、彼は小さく笑い声をあげました。

 そこに新野先生が通りかかりました。新野先生はわたしたちの姿に目を留め、何故か嬉しそうに微笑みました。

「斜堂先生。ご自分の他に守るものが出来たのなら、良かったですね」

  わたしには先生の言うことはよく分かりません。ただ、わたしは今日も手を洗います。そして、教え子の手も。そうしなければ気が済みません。それだけなのです。