■折角だから、■


「悲しませたくはないけれど、泣かせたい」

 この微妙な違いが分かるか、と隣の布団から声がした。床に入って本を読んでいた雷蔵は、また三郎の病気が始まった、と思った。

 鉢屋三郎は不治の病に冒されている。病名は「構いたがり」。

  主に、雷蔵が本を読んでいるときにその発作が出る。同じ部屋にいるのに、ひとりで放って置かれるのが寂しくてならないらしい。その気持ちは分からないでもないけれど、別に四六時中本を読んでいるわけじゃないのだから、たまにはそっとしておいて欲しい。

「何の話?」

 無視すると矢よりも早く拗ねるので、視線は本に落としたまま、とりあえず返事をしておく。

「雷蔵の話だよ」

「どういうこと?」

「雷蔵を悲しませたくはないけれど、泣かせたいなって、今真剣に考えていたんだ」

「そんなことを真剣に考えるお前のことが、ぼくは悲しいよ」

「雷蔵、酷い……っ」

 三郎は、芝居がかった口調で言った。それから横向きにごろごろと転がり、雷蔵の布団の中に潜り込んできた。途端に寝床が狭くなる。

「めいっぱい、雷蔵を誘っているのに」

「こら、入って来るなよ」

 雷蔵の制止を無視して、三郎は彼を抱き寄せ足を絡ませてくる。お互いの髪の毛が、頬と首をくすぐってむずがゆかった。

「三郎、駄目だよ」

 今夜中に読みかけの本を最後まで読んでしまいたい雷蔵は、どうにかして三郎を引きはがそうとする。しかし、構いたがりの発作が出てしまった彼は、頑として雷蔵から離れない。

「ああー、こうしてると落ち着くなあ……」

 雷蔵の肩に額を擦りつけて、三郎はうっとりと溜め息をつく。雷蔵は不自由な手を懸命に伸ばして、床の上に本を置いた。持ったままだと、頁が曲がってしまう。

「お前が落ち着いても、ぼくは落ち着かないよ。本が読めないじゃないか」

 顔をしかめてそう言うと、再度「酷い」と返って来た。それから彼は、ぱっと明るい表情になる。

「あ、雷蔵、名案が浮かんだよ」

「何だよ、名案って」

「本を読むのは、明日にしよう」

「ええー」

「おれは明日、学園長先生のお使いで夜まで居ないから、その間に読めば良い」

「ええええー」

 自分本位にも程がある提案に、雷蔵は顔をしかめて不平の声を上げた。

「ぼくは、今夜の内にこの本を読みたいんだけど」

「駄目だよ。おれは今、雷蔵に構ってもらわないと死んじゃうもの」

 この上なく真面目な顔で三郎は言う。雷蔵の腰を掴む手に力を込め、絶対に離すまいという構えである。雷蔵は息を吐いた。こうなると、本当に何があっても離さないのが鉢屋三郎だ。

「ああもう……三郎の発作は面倒くさいなあ」

「発作?」

 三郎は首をかしげて、なあにそれ、というような顔をした。その仕草が不覚にも可愛かったので、雷蔵は彼の頭を撫でてやった。すると三郎は、とろけそうな微笑みを見せた。

「おれ、やっぱり雷蔵が一番好きだな」

「うんうん、ぼくだってお前が一番好きだよ」

「それじゃあ雷蔵、おれのために泣いてくれる?」

「うんう……ん?」

 勢いで頷きかけて、雷蔵は途中で言葉を止めた。三郎の目がこちらを見ている。じっと。真っ直ぐに。それはもう、こちらの眼球が焦げてしまいそうな。

 あ、逃げないと、やばい。

 と、雷蔵の本能が告げた。しかし残念ながら逃げ場は何処にも見つからなかった。









「…………っ!」

 雷蔵は声なき悲鳴をあげた。こめかみを、汗が流れてゆく感触がする。揺さぶられて、背中と布団が擦れあった。三郎と繋がった箇所がわんわんと熱い。

 雷蔵は乾いた唇を開けて、どうにか空気を取り込もうと喘ぐ。それと同時に奥深くを穿たれて、雷蔵は足を突っ張らせた。

「もう……、い、やだ……っ」

 どちらのものか判然としない白濁で汚れた手で、三郎の身体を押しのけようと彼の肩を押す。もう、快楽と苦痛の区別がつかない。気持ちが良いけれど苦しい。辛すぎるのに甘美である。

 視界は涙で歪んでいて、三郎の顔もよく見えなかった。どれだけ泣いたか分からない。泣き顔が見たいのならもう充分だろう、と思うのに、何度言っても三郎は身体を離してくれなかった。

「……う、あ……っ、あ……」

 何度目か分からない絶頂が近くなって、雷蔵は手の甲で目を覆った。三郎が、しとどに濡れた雷蔵の熱に手を添える。

「雷蔵」

 上擦った声で名を呼ばれると、全身がふるえた。顔を隠す雷蔵の手を三郎がそっと持ち上げ、腫れ上がった雷蔵の瞼に唇を寄せた。

「…………っ」

 反射的に、雷蔵は目を閉じる。その拍子に、目の中に溜まった涙がぶわりとこぼれた。

「雷蔵、おれ、幸せだ」

「あ、あ……っ!」

 先端を執拗に撫でられ、それと同時に内部の弱いところを擦られて、雷蔵は三郎の手の中に精を溢れさせた。一瞬遅れて、身体の中に収まった三郎の熱も弾ける。雷蔵は荒い呼吸を繰り返した。心臓が大きく震え、気が遠くなりそうだった。

 やっとこれで終わりかな……と思ったら三郎が雷蔵の腰を抱え直したので、愕然としてしまった。いくら何でも、もう無理だ。死ぬ。死んでしまう。

 雷蔵はそれを訴えようと、口をぱくぱく開いた。三郎から返って来たのは、笑顔と接吻であった。



 ……鉢屋三郎はもうひとつ、不治の病を抱えている。病名は「しつこい」。



 ああもうぼくは駄目かもしれないと胸の中で呟いて、雷蔵は手を力無く、乱れた布団の上に投げ出した。