※こちらは、「ウレイロー」の内海ほゆさんが考えて下さったお話を、きりんこが小説にしたものです。








口が裂けても









 ぼくは鉢屋三郎のことが好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。心から。

 それはただの友情というわけではなく、もっともっと深い気持ちである。ぼくは三郎を、誰よりも大切な存在だと思っている。

 だから品の無い連中が陰で三郎のことを悪く言うのを聞いてしまうと腹の底からふつふつと怒りがこみ上げてくる。三郎は目立つ。何せ、誰にも素顔を明かさない変装名人だ。良い意味でも悪い意味でも有名である。そんな彼を良く思わない者は多い。しかし口や拳では三郎に敵わない。だから彼らは陰口を叩く。なんと卑怯な奴らだろう。腹が立つ。巫山戯るなと怒鳴りつけてやりたくなる。だけど当の三郎本人は平気な顔をしているのだ。

「良いんだよ、雷蔵。私はね、きみさえ受け入れてくれればそれで良いんだよ。それだけで私は生きてゆける」

 三郎は、ぼくが苛立っている気配を察知すると、必ずそれを口にした。甘やかな愛の言葉。最初はそれが嬉しかった。ああぼくは三郎の支えになることが出来ているのだと満たされた心持ちになった。しかし甘い甘い砂糖菓子のようだったその響きが、鉛の塊みたく感じられるようになったのはいつの日からだっただろうか。

「雷蔵は私の全てさ」

 三郎は言う。彼の愛情が、信頼が、ぼくの中に積もってゆく。それは少しずつぼくの心を侵す。嬉しいはずなのに、ぼくはその言葉に搦め捕られてどんどん身動きが取れなくなってゆくのだ。

「きみだけが」

 ぼくだけが。

 そう、ぼくだけなのだ。

 三郎はぼくに向かって手を伸ばす。ぼくだけが。ぼくだけが三郎の手を取ることが出来るのだ。ぼくにしか出来ない。つまり、ぼく以外にこの手を握り締める者はいない。ぼくは三郎の手に指を絡ませる。そうしないといけない。ぼくはあいつの全てなのだから。それ以外の選択肢は無いのだ。三郎は繋がった手と手を見詰めて嬉しそうに微笑む。ぼく以外には見せない表情。いとしさと恐怖が同時に生まれる。その笑顔がぼくの糧となり、同時に枷となる。

「雷蔵、愛してる」

 囁いて、三郎はぼくに唇を寄せて来た。ぼくはそれを受け入れる。みずから口を開いて、彼の舌を迎える。

 ぼくは鉢屋三郎のことが好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。心から。

 だからぼくは三郎と抱き合う。それは自分の意志だ。その筈である。しかし最近、ぼくは奇妙な錯覚を覚える。ぼくを抱く三郎が、三郎で無いように感じるのだ。彼はやさしくやさしく、何時だってぼくの心身を労ってくれる。それなのにぼくは何故か、蛙や蜥蜴にでも組み敷かれているような心持ちになってしまうのだ。三郎と身体を重ねている筈なのに、ぬるぬるとしたおぞましい何かに全身を舐め回されている感触しかしない。

 ぼくは唇を噛む。そうしていないと、叫びだしてしまいそうだった。

 恐ろしい。気味が悪い。吐き気がする。

「雷蔵」

 それは三郎の声でぼくの名を呼ぶ。何よりもぼくに安心と幸福を与えてくれる響きである。なのにぼくを支配するのは快楽からはほど遠く、なめくじや蛙が這い回るおぞましい感覚だけだ。

 ぼくは正直、逃げ出したかった。身体の震えは止まらないし、目眩も酷い。頭が痛い。喉が苦しい。

 ぼくを抱いているのは鉢屋三郎だ。三郎なのだ。三郎に、抱かれているのだ。だからぼくは彼を抱きしめなければならない。彼の背中に手を回し、愛している、と囁かなければならない。

 あまりの恐怖と不快感に、胃がせり上がってくる。

 吐くな、吐くな、吐くな。

 ぼくは自分に言い聞かせた。受け入れろ。拒むな。愛せ。

 簡単なはずだ。ぼくは三郎のことを心から好いているのだから。なのに鳥肌が収まらない。背中が寒い。耳の奥がわんわん鳴っている。

 ぼくは歯を食いしばり、三郎の背を抱きしめた。蛙のような皮膚に、ぬるりと手が沈む。いいや、違う。これは三郎だ。

「……愛、してる」

 吐き気を堪えてぼくは呟いた。言ってから、口唇を噛み締める。血の味がした。  



 ぼくは鉢屋三郎のことが好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。心から。

 嘘じゃない。本当だ。ぼくは鉢屋三郎を愛しているのだ。それなのにぼくは、誰よりも三郎のことを恐れている。彼に抱かれるのが怖くて仕方が無い。「愛してる」と、「きみだけだよ」と言われることが何よりも恐ろしい。



 ああ、こんなこと。



 口が裂けても言えないけれど。









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 私は不破雷蔵のことが好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。心から。私は雷蔵を愛している。

 私は彼のことを何でも知っている。彼がとても心優しいことも、何にでも迷うことも、勤勉で努力を惜しまないことも、歩くときの足運びも、笑ったときに口元からこぼれる歯の白さも、抱きしめたときの背骨のかたちも、くちびるの柔らかさも、気をやるときの声の響きも、何もかも。

 私は全て分かっている。

 彼が本当は、私に臆していることも。

 私は知っている。彼が私に抱かれながらちいさく震えていることも、私に触れられる度吐き気を堪えていることも。それでも雷蔵は健気に私を受け入れようとする。彼もまた、私を愛しているからだ。

 私の愛と信頼が細い糸のようになって、雷蔵の身体に少しずつ巻き付いてゆく様が、私の目にはしっかりと見えている。可哀想な雷蔵。その糸は既に雷蔵の手足に絡みつき、彼の自由を奪っている。じきに、口も塞いでしまって息も出来なくなるかもしれない。

 私はそれを知っているが、口にはしない。彼の苦悩を全て理解していながら、「雷蔵は私の全てさ」と言って彼に向かって手を伸ばす。雷蔵は絶対に、私を拒まない。恍惚と絶望をないまぜにしたような表情で、私の手を取るのだ。

 可愛い雷蔵。哀れな雷蔵。おろかな雷蔵。私はそんなきみのことが好きだ。好きだ。好きだ。心から。愛している。私の下で震えながら身をよじるきみが、嫌悪を必死で飲み込んで「三郎、愛してる」と涙声で囁くきみのことが、たまらなくいとおしい。



 ああ、こんなこと。



 口が裂けても言えないけれど。













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ほゆさんのすばらしい原作はこちら

普段書いたことのない雰囲気の鉢雷!
すっごく楽しかった! こういうお話を一度で良いから書いてみたかったので、念願かなって嬉しいです。
病的なかんじの鉢雷だいすき……っ

ですが! ほゆさんの原作がパーフェクトすぎてちょう難しかった……!
仕上がりのがっかり感よ……。

でも、ほゆさんの原作で小説書けるなんて幸せすぎました!
楽しかった!!
ほゆさん有難うございましたーー!!