■ノバディノウズ 03■
後から思い返せば、このときのおれは、相当参っていたのだと思う。
普通に考えたらああも奇異な夢の話なんてすべきじゃないし、話すにしてももう少し慎重にすべきだと、今なら分かる。しかしおれは追い詰められていたし焦ってもいた。
だから、言ってしまったのだ。耐えきれず、口に出してしまったのである。
「……あのさあ、ふたりともちょっと聞いてくれるか」
おれがいつになく真剣な声を出したものだから、三郎と雷蔵は同時にこちらを見た。おれは大きく息を吸い込んだ。
「最近、しょっちゅう変な夢を見るんだ」
言った。おれはどきどきして、三郎と雷蔵の反応を窺った。彼らは、虚を突かれたような表情をしていた。突然話題が変わったのだから、当たり前といえば当たり前である。
「……あー」
三郎が、ためらいがちに口を開ける。
「親にバレないように、ちゃんとパンツ洗っとけよ」
そんな言葉とともに、やさしく肩を叩かれた。一瞬、何を言われているのか分からなかった。しかし直後、その意味を理解して、一気に頭に血が上る。
「ア……ホか! そうじゃねえよ! そっち方向の変な夢じゃねえ!」
「じゃあどっち方向よ」
「……忍者に、なる夢だよ」
多少勢いは削がれたものの、おれは結局言った。三郎と雷蔵は、しばし沈黙しておれの顔を見ていた。この沈黙が、どれだけ痛かったことか!
おれは口をぱくぱくさせた。早く、何か言って欲しい。こんな状態でおれを放置するな。
で、先にコメントしてくれたのは、三郎の方だった。
「だってばよ?」
それを聞いた瞬間、おれはがっくりと肩を落とした。男子に人気の、うずまき方面の忍者が脳内を横断してゆく。
ああ、完全に見込み違いだった。三郎は、おれと同じ夢なんて、見てはいなかったのである。なんという間抜け。数十秒前の自分をボコボコにしてやりたいと思った。
「……その忍者じゃない……」
消え入りそうな声でおれは呟いた。少しずつ、羞恥と後悔がせり上がって来る。なんと恥ずかしい思い違いだろう。しかし三郎は楽しそうに笑って、軽快におれの肩を叩く。
「頑張って火影になれよ」
「だから、そうじゃねえって……」
「おれ、写輪眼が良いな」
「ああ、三郎ってそれっぽい。ぼくは白眼が良いなあ」
雷蔵まで、だってばよトークに参戦してきた。しかも、おれが変な夢を見る、という話題からは、既にだいぶ脱線してしまっている。写輪眼だろうが白眼だろうがどうでも良かったが、落胆が大きすぎて何も言えなかった。ただぼんやりと、彼らの話を聞いているのみである。
「ええー、雷蔵そっち派? そのまんま白目じゃん」
「だってネジかっこよくない? ヒナタも可愛いし」
「……えっ、雷蔵、ああいうのが良いの?」
何だかもう耐えられなくなって、おれはその場を離れ、教室を出た。
友人らとの意識のズレというものは、存外堪えるものなのだな……。
校内をぶらつきながら、そんなことを考えた。やっぱりあの痛々しい夢は、自分ひとりで向き合っていかなくてはならないらしい。恐ろしく気が重かった。絶対に無理だ。きっとおれは、近い内に中二病に汚染されてしまうんだ。授業中にいきなり「ここはおれが食い止める! お前達は逃げろ!」とか、そんなことを言っちゃう人間になってしまうんだ。それはこの上ない恐怖だった。
おれは購買で安い菓子パンを買い、裏庭の池に向かった。藻で緑色に淀んだこの池には、数匹の鯉が住んでいる。餌を投げ入れると、凄まじい勢いで跳ねて飯を喰らいにかかる。可愛らしい奴らだ。
「あーあ……」
力無く呟きつつ、おれは適当にパンをちぎって池に落とした。びちびちばしゃん、と激しい水音とともに鯉たちがやって来る。
今日もこいつらは逞しく、生命力に溢れている。彼らは今日を生きている。素晴らしいことである。おれだって今日を生きているはずなのに、戦国時代のことが気になって仕方が無い。前だけを見ていなければと思うのに、どうしてもそれが出来ない。何故、こんなことになってしまったのだろう。
そのとき、すっと、おれの隣に誰かが立った。それが誰なのか確認する気力もなかったおれは、濁った水面だけを見つめてパンを放った。すると、隣の誰かがこう言ったのだった。
「池の鯉は、学園長先生以外は餌やり禁止だぞ、生物委員」
低くて、やたらと良い声だった。おれはそれに、何も考えず、ほんとうに何も考えずにこう答えた。
「うっせーな、水っぺりに寄って来んなよ火薬委員。火薬しけんぞ」
「火薬委員だからって、いつも火器を持ち歩いてるわけじゃねえよ」
「ああーそうだよな、焔硝蔵は火気厳禁だから……って……」
そこでおれはようやく、会話のおかしさに気が付いて顔を上げた。
これは一体、何の話だ?
おれは生物委員じゃない。というか、そんな委員会は存在しない。この学校には校長はいるけれど、「学園長先生」と呼ばれる人物はいない。それに火薬委員って。火器って。焔硝蔵って。それって。それって!
そのことに気付いたときには既に、隣の誰かはいなかった。おれは慌てて振り返る。黒髪で、やけに背筋の伸びた後ろ姿が見えた。先程の、彼の声を思い出す。初めて聞くのに、知っている声だった。
「……え……?」
ぽかんと口が開いてしまう。彼は大股で、おれから離れて行く。こちらは全く振り返らない。同じ高校の制服を着ているのに、一瞬、本当に一瞬だけ、彼が紫と紺の間のような渋い色合いの和服を着ているように見えた。
「えっ、え? ええ? えええ?」
おれは混乱と戸惑いの絶頂であった。先程の彼は、校舎の中に入って行ったのでもう見えなくなった。
あいつは、あれは、あれって、そんな、まさか。まさか!
手から、ぽろりとパンがこぼれた。それは池にまっすぐ落ちる。鯉たちがいきり立ってパンに群がり、水がズボンの裾まで跳ねた。
おれはその場から動くことが出来ず、泣き笑いのような表情で、その場に突っ立っていたのだった。
戻
続きがありそうなラストになってしまいましたが、とりあえずこれでおしまいです。
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