■キャラメルとプロローグ■
「やっぱ寝る前に『ちょっとだけ』は駄目だなー……」
尾浜勘右衛門は大あくびと共に、今日から通う高校の門をくぐった。
明日は入学式だから早く寝よう! と思っていたのに、うっかりポケモンに没頭して睡眠二時間という最悪のコンディションで新生活を迎えることになってしまった。
晴れ渡る空。白い雲。周囲を飛び交う希望に満ちた笑い声。その中で勘右衛門だけが、半分落ちかけた瞼をどうにかこじ開けてふらふらと歩いていた。これは確実に、式中に寝てしまう。そして初っ端から先生に怒られるパターンだ。
式に参加する前に、クラス割りを確認しなくてはいけない。何処に貼り出されるのだったか勘右衛門はすっかり忘れていたが、前を歩く生徒の後をついて歩いていくと、大きな紙が貼り出された掲示板の前に辿り着いた。
自分は一体何組なのか、勘右衛門は目をこらして確認しようとしたが、同時に大あくびが出て視界が霞んだ。
駄目だ。面倒くさい。誰かに頼もう。
自力で確かめることを即座に諦めた勘右衛門は、周囲を見回してみた。すると斜め前に、真っ青な髪の毛をした男子生徒が立っているのが目に入った。勘右衛門は普段から何事にも物怖じしないタイプであったが、それでもこいつはやめておこう、と思った。流石に少しパンチが効き過ぎている。変な奴は決して嫌いではないが、出来れば万全の体調のときに挑みたい。今はまだ、時期ではない。
ならば、と勘右衛門はすぐ隣に立っていた、黒髪で背筋のぴんと伸びた如何にも真面目そうな男子生徒に声をかけることにした。
「ねえねえ。ちょっとコンタクト忘れちゃってさ。おれが何組か、代わりに見てくれないかな?」
眠いから、なんてふざけた理由では怒られてしまうかもしれないので、そういうふうに言った。ちなみに勘右衛門は、生まれてこの方コンタクトレンズなど着けたことはなかった。
「……構わないけど」
その優等生(と、勘右衛門は勝手に決めつけた)は深みのある良い声で言った。
「ほんと?じゃあ、よろしく。おれ、尾浜勘右衛門っていうんだけど」
「尾浜勘右衛門……」
「古臭い名前でごめんね?」
でも分かりやすいでしょ? と続けると相手は「うん」と頷いて掲示板に向き直った。
「……一組だって」
「一組か。なるほどサンキュー助かったよ!」
勘右衛門は笑って、真新しい制服のポケットに手を突っ込んだ。出がけに突っ込んでおいたキャラメルをひとつ取り出すと、親切な優等生の手に握らせた。
「これ、お礼! じゃ、有り難うね!」
戸惑いの表情を見せる優等生を残し、勘右衛門はその場を後にした。クラスが分かったので、次は体育館に行かなくてはならないのだ。
新入生の集団がぞろぞろと移動するのについて歩くと、ひとりだけ人の流れとは逆に進む生徒の姿を発見した。先程も見かけた、真っ青な髪の男子生徒だった。彼は軽い足取りで、校門に向かって歩いてゆく。
えっ、帰るんだ? と、勘右衛門は青い彼を振り返った。彼の姿はどんどん小さくなる。本当に、帰ってしまうらしい。何処の学校にもアウトローっているんだなあ、と勘右衛門はのんびり考えた。
そうこうしている内に、体育館に到着した。ずらりと並んだパイプ椅子が壮観であった。スーツ姿の教師らしき中年男性が、クラスごとに固まって着席するように、と声を張り上げていた。一組と書かれた札が立っているのが見えたので、勘右衛門はなるべく舞台から離れた椅子を選んで腰を下ろした。
一度座ってしまうと、眠気が何倍にも膨らんで襲いかかってくる。これは駄目だ。あまりにも眠い。絶対に、寝てしまう。
危機感を強くした勘右衛門は、自分の隣に座っていた男子生徒の肩を軽くつついた。
「あの、もしおれが寝そうになったら、起こしてくれないかな?」
「えっ」
驚き声と共に、男子生徒がこちらを向く。それと同時に勘右衛門は、勢いよく頭を下げた。
「頼むよ! きみだけが頼りなんだ」
「う……うん」
おずおずと相手がなうなずく気配がしたので、勘右衛門はほっとした。今日は人の好意に助けられる一日だ。
やがて式が始まった。とてもつまらない時間だった。式典とはえてしてそういうものだが、いつも以上に集中出来なかった。特に校長の挨拶が辛かった。元気いっぱいのときでも眠くなるのに、睡眠不足の身体で耐えられるはずがない。勘右衛門は何度も、意識を手放しかけた。そしてその都度、親切なお隣さんが肩を叩いて起こしてくれたのだった。
そうしてどうにか居眠りすることなく、式典は終了した。勘右衛門は自分に拍手を送りたかった。この退屈地獄を、よくぞ乗り切った。いっそ奇跡だ。これも、協力者のおかげである。
勘右衛門は、何度も起こしてくれたお隣さんに深々と頭を下げた。
「いやあ、助かったよ! メルシーメルシー、これお礼ね!」
そう言って、ポケットからキャラメルを取り出して、彼の手に握らせた。彼は一瞬何かを言いかけたが、体育館の入り口の方から「各自、教室に移動してくださーい!」という声がかかり、勘右衛門の意識はそちらに向いてしまった。
「あっ、やばい、行かないと。それじゃあ、ほんとに有り難う!」
勘右衛門は小走りで体育館を出た。相変わらず眠い。しかし何となく清々しい気分だった。
そして先程の親切な彼はもしかしたら同じクラスなのではないか、ということに今更気が付いた。それだったら名前を聞いて、一緒に教室まで移動すれば良かった。勘右衛門は後ろを振り返ってみたが、彼の姿を見つけることは出来なかった。というか、眠さに負けて相手の顔もよく見ていなかった。勘右衛門は少し後悔した。
勘右衛門は今日から自分のクラスとなる、一年一組の教室に足を踏み入れた。中学も高校も、教室のつくりはそう変わらない。机と椅子が並んでいて、教壇があり、黒板がある。それでも目の前に広がる風景は新鮮味に溢れていて、勘右衛門は知っていて知らない空気を胸一杯吸い込んだ。
席は出席番号順で、勘右衛門は不幸にも一番前だった。しかし隣の席がなかなか可愛い女子だったので、一勝一敗の五分五分だなと思った。
程なくして、担任の教師がやってきた。そして始まるのは、お決まりの自己紹介だ。
「おふぁま勘右衛門です」
よりにもよって、名前を言うのと同時に欠伸が出てしまった。これで、しばらくは「おふぁま」と呼ばれるに違いない。勘右衛門は一瞬悔やんだが、まあそれはそれで面白くて良いかと適当に流した。
そんなことを考えていたら、勘右衛門はひとつ後ろの生徒の自己紹介を聞き逃した。こんなことではいけない。勘右衛門は気を引き締めた。ふたつ後ろの生徒が、担任に促されて起立する。ここからは、きちんと聞いておかなくては。勘右衛門は気合いを入れ直した。
「久々知兵助です」
久々知兵助。
耳に飛び込んできたその響きに、勘右衛門は思わず「うん?」と口に出して言っていた。深みのある、良い声だった。久々知兵助。兵助。兵助?
瞬間、ぽんとボールでも投げ入れたみたいに、勘右衛門の頭にひとつの記憶が蘇った。それはとても唐突だった。急に、彼は思い出したのである。
「久々知兵助って……兵助じゃん!」
勘右衛門は椅子を蹴って立ち上がっていた。眠気など瞬時に消え去った。瞼は軽く、視界はどんどんクリアになってゆく。後ろの席を振り返ると、思い切り彼と目が合った。
「えっ、あ」
大きな瞳を瞬かせるのは間違いなく、かつての友である久々知兵助だった。
勘右衛門は彼を知っている。同じ着物を身につけて共に学んだ仲だということを、たった今、思い出した。嘘みたいに突然蘇った記憶を、勘右衛門は疑わなかった。何故こんなことを思い出したのか、なんてことも考えなかった。あ、おれ忍者だったわそういえば、くらいの軽い調子で受け止めた。
久々知兵助と再会した。勘右衛門の心には、その事実しか存在しなかった。
「兵助! 久し振り!!」
勘右衛門は満面の笑顔で、兵助に歩み寄った。教室内が小さくざわめいたが、一切耳に入って来なかった。勘右衛門は身も心も、兵助と会うことが出来た喜びでいっぱいだった。
「…………」
兵助は勘右衛門の顔を見て、ただ瞬きを繰り返すのみだった。そこで勘右衛門は少しだけ不安になった。思わず有頂天になってしまったけれど、もしかして人違いだっただろうか。
「あれ? 兵助だよね?」
「う……うん」
ぎこちない仕草ではあったが、兵助は頷いた。勘右衛門のテンションは再び最大値となり、勢いに任せて兵助に思い切り抱きついた。
「兵助だ! すっげえ! おれね、今! 今思い出したよ! あ、ていうかおれのこと分かる? 大丈夫? おれ勘右衛門だよ!」
「……うん、分かる」
「うっわあ、なつかし……あっ、おれ学級委員だったね? あーそうそう、審判とか! 予算会議とか! わーやばい、何か喋ってたらどんどん思い出してきた」
「うん」
「何だよ、兵助もしかして緊張してんの?」
先程からポーカーフェイスで「うん」しか言わない旧友に、勘右衛門は首を傾げた。それに対する返事も「うん」だった。勘右衛門は声をあげて笑った。どうやら、相当緊張しているらしい。
「しょうがないな、兵助は! じゃあ、これあげるよ」
勘右衛門はポケットからキャラメルを取り出して、兵助の手の上にのせた。兵助はキャラメルの包みと勘右衛門の顔を順番に見て、ふっと頬を緩めた。ようやく見ることの出来た笑顔だった。
「キャラメルなら、もう三つめだよ」
そう言って、兵助はポケットからキャラメルをふたつ取り出した。勘右衛門は目をぱちぱちさせた。それは間違いなく、勘右衛門が持って来たキャラメルだった。これが、兵助の手の中にあるということは……。
「あれっ、そういうこと? おれ、とっくに兵助と会ってたんだ!」
勘右衛門は腹を抱えて笑った。クラス割を確認してくれたのも、式中に起こしてくれたのも、全部兵助だった。そういえば眠さのあまり、恩人の顔をろくに見ていなかったことを思い出した。なんかおれって最低だな! なんて思いつつ、勘右衛門は笑った。
戻
(数秒後、彼らは担任の先生におもっきし怒られます)
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