■饅頭と首板と苺とぼくら 後編■


 濃紺の忍び装束に身を包んだ曲者は、校庭の隅で大の字の格好で倒れていた。そこらじゅうに血の匂いが充満している。左足からおびただしい量の血を溢れさせていて、装束と肉が深くえぐれているのが伺えた。

 いちばん最初にこの死体を発見したという斉藤タカ丸は蒼白な顔をして、少し離れた場所で座り込んでいた。死体から目を背け、地面に手をついて浅い呼吸を繰り返す。側に立つ滝夜叉丸が、彼にそっと水筒を差し出した。忍者を志して日の浅いタカ丸には、いたく衝撃的な光景であったらしい。

「確かに死んでるな」

 曲者の頭巾から覗く目を指でこじ開け、眼球を観察していた食満が言った。

「自害ですか? それとも力尽きた?」

 三郎がタカ丸に向かって軽い口調で尋ねると、彼は呆然とした顔で首を横に振った。何かを言おうと唇を震わせるが、細い息が漏れるのみで声は出て来ない。代わりに、滝夜叉丸が口を開く。

「すみません、ちょっとまだ、話が出来る状態じゃなくて……」

 申し訳なさそうに言って、タカ丸の震える肩を支える。その言葉が終わると同時に荒々しい足音と、大きな声が場に飛び込んできた。

「おーい、留三郎ー!」

 腹の底にびりびりと響く声は、七松小平太のものだ。七松は砂煙を巻き上げる勢いで、こちらに向かって走って来る。食満は立ち上がり、七松に向かって軽く手を挙げた。

「おう、小平太。曲者は死んだぞ」

「ああ、聞いた。もうすぐ、山田先生と新野先生がいらっしゃる」

 頷いて、七松は立ち止まった。そして、ちらりとだけ死体を確認して、すぐ食満に視線を戻す。

「ところで曲者が学園長先生の庵の屋根をブチ抜いてしまってな、急ぎ修理してくれ、とのことだ!」

「はあっ? お前と文次郎がやったんじゃねえのかよ」

 七松の言葉を聞いて、食満は思い切り嫌そうに顔をしかめた。確かに侵入者がそんな派手な真似をやらかしたとは考えにくい。と、死体の側で待機していた五年生たちも思った。七松は、勢いよく首を横に振って否定する。

「ちげえって、曲者の仕業だって! とにかく、早く来てくれ。学園長先生、めちゃくちゃ怒っておられるんだ」

「だから、お前らと文次郎が無茶したから、お怒りなんだろ!」

「留三郎まで怒んなよー。ちょっと熱が入っただけじゃん」

「やっぱりお前なんじゃねえか!」

 食満は怒りの声を上げるが、七松は全く堪えていないようだった。へらへら笑って、「まあまあ、とりあえず一緒に来てくれよ」と、食満の肩を軽く叩く。食満は額に手を当て、大きなため息をついた。

「……しょうがないな……。それじゃあ、おれはちょっと行って来るから、ここ頼むな」

「はーい、行ってらっしゃーい」

 四人組は、朗らかに食満と七松を見送った。それから、死体に向き直る。

「……にしても、こりゃ酷いな」

 強い臭気に、八左ヱ門は鼻の周りの空気を払うように手を振った。

「下級生がうっかり見ちゃわないように、隠した方が良くない?」

「その前に雷蔵、色々調べないと」

 三郎は言って、死体の側にしゃがみ込んだ。何よりも、この忍者が何処の所属であるのか、何が目的であったのかを衣服や持ち物から調べなくてはならない。それもそっか、と頷いて、雷蔵も膝をついて死体に手を伸ばした。

「タカ丸さん、大丈夫か。保健室行った方が良くないか」

 顔を持ち上げて、兵助は未だ顔色の悪いタカ丸に声をかけた。いつも笑顔が特徴の元髪結いだが、今は自分が死んでしまいそうな顔をしている。

「が……頑張り、ます……」

 弱々しく返事をした矢先に、タカ丸はウッとえづいて顔を伏せた。慌てて、滝夜叉丸がその背中をゆるゆるとさする。

「そっか、タカ丸さん免疫ないですもんね。本当に、無理はしない方がいいと思いますよ」

 言って、雷蔵は死体から頭巾をはぎ取った。下から苦悶に歪んだ顔が現われる。断末魔の叫びをあげたのだろうか、口が大きく開いたまま固まっている。雷蔵は、頭巾の裏をあらためるた。すると、かしゃりと手裏剣が落ちてきた。

「これ、何処の手裏剣だろう。兵助、分かる?」

「うーん、分からないな。あとで先生に聞いてみよう」

 首を傾げる雷蔵と兵助の側で、死体の袴を脱がしにかかっていた八左ヱ門が不意に「あっ」と声をあげた。

「何だ、ハチ。手裏剣に見覚えでも?」

  左足の傷部分が引っ掛かって脱がしにくそうにしていたので、三郎が手を貸しつつ尋ねる。

「あ、いや、手裏剣は分かんないんだけどさ、思い出したことがあって」

「何を思い出したんだよ」

「苺狩りだよ。今年まだ、苺狩り行ってないよな」

「ああ、そういやそうだ。毎年行ってるのにな」

 言って、兵助は赤い血の着いた手をぽんと打った。頭巾に仕込まれていた手裏剣をひとつひとつ地面に並べながら、雷蔵が笑う。

「ほんとだね。次の休みにでも行こうよ」

「毎年、ハチは腹壊すまで食うもんな。あと、食い方がえげつない」

 三郎は溜め息をついて、死体から血でどろどろになった足袋を引き抜いた。瞬く間に、彼の手も血まみれとなる。八左ヱ門は、納得のいかない様子で口を尖らせる。

「何でだよ。熟した苺を潰して食う。何かおかしいか?」

「ぼくはそれも良いと思うけど、でもそのまま食べた方が美味しくない?」

「おれはどっちも好きだな」

「ハチは、食い方が汚いんだよ。いっつも、口の周り真っ赤にしてんじゃん。」

「豪快に食った方が美味いんだって」

「ああ、それは何か分かる」

「だよなあ、雷蔵は分かってくれるよなあ」

「豪快に、って言うならそのままかぶりつけよ」

 四人は談笑しつつ、死体の検分を進めた。すると「あの……」と、滝夜叉丸が遠慮がちに声をかけてきた。四人は顔を上げた。若干怯えた様子の滝夜叉丸と、目が合った。

「せ、先輩たち、この状況でよく、そんな話が出来ますね……」

 先程まで平気そうにしていたのに、いつの間にやら滝夜叉丸まで具合が悪そうにしている。タカ丸は滝夜叉丸に縋り付き、更に顔を白くして口に手を当てていた。

「えっ、何が?」

 滝夜叉丸の言わんとすることが理解出来ない四人は、ぱちぱちと目を瞬かせた。



 こうして少年たちは、ゆるやかに狂ってゆく。