■星よりひそかに■


 明け方のことである。何やら人の気配を感じて不破雷蔵が目を覚ましたら、視界の真ん中に自分の顔……否、鉢屋三郎の顔が現われた。

  もうすっかり見慣れた姿だけれども、寝起きの瞬間に目の当たりにすると流石に一瞬何事かと思う。ほの明るくなった部屋の中、三郎は雷蔵の身体をまたぐように四つん這いになり、雷蔵の顔をじっと見つめていた。何やら随分と神妙な面持ちだ。雷蔵は目を擦った。

「……三郎? こんな時間にどうしたんだ……」

 欠伸を噛み殺して問うと、三郎の手が伸びてきて彼の頬に触れた。息が詰まるほど冷たい手に、雷蔵はびくりとしてしまった。三郎はそんな雷蔵を見てほんの少し微笑み、彼の頬を撫で、瞼のくぼみをそっとなぞった。冷気がふわふわと肌を滑る。

「何、何だ、よ……」

 戸惑う雷蔵は、三郎の手を払おうと布団から手を出した。しかし三郎はその手を捕まえ、指と指を絡ませていたずらっぽく笑った。

「今日の鉢屋三郎は、ひと味違う」

 得意げな表情で、彼はそんなことを言う。雷蔵は彼の言うことが理解出来なくて、眉をひそめた。

「何が違うんだい」

「何だと思う?」

 意地悪く、三郎は声をひそめる。先程から、彼は随分と嬉しそうだ。雷蔵は三郎の顔を見上げ、しばし何が違うのかを考えてみることにした。いつもながら、鏡を見ているような気分になる。昨夜も、消灯の瞬間までずっと一緒にいた。そこから彼に何らかの変化が?  ……考えてみても、全く分からなかった。

「全然、分からない」

 降参するように肩をすくめてそう言うと、三郎は一層笑みを深くして自分の顔を指さした。

「おれの顔。よく見て」

「顔? ……いつもの、ぼくの顔に見えるけど」

「その中でも、ひと味違うんだよ。昨日の鉢屋三郎よりも、今日の鉢屋三郎の方がきみに似ている」

 そう言われても、やはり昨日の三郎と何が違うのか、よく分からなかった。昨日の鉢屋三郎だって、どう見ても雷蔵にそっくりだった。

「……よく、分からないな」

「そうだろう。分からないだろう」

 何故か三郎は誇らしげに胸をそらした。それからおもむろに、

「ああ寒い! 雷蔵、入れて!」

 と言って雷蔵の布団の中に潜り込んできた。三郎のあまりの冷たさに、雷蔵は悲鳴をあげそうになった。

「冷た……っ! 三郎、一体いつ起きたの」

「いつ起きた、っていうか寝てないよ」

 えっ何で? と聞き返そうとしたら、噛みつくように口吻られた。そのままぬめる舌が口の中に滑り込んで来て、雷蔵は身体を震わせた。身体は冷え切っている癖に、舌はやけに熱い。

  三郎の手が寝着の中に入って来る。彼の指先が肋骨をついとなぞり、雷蔵は咄嗟に彼の腕を掴んだ。

「さ……っ、三郎、ちょ……っと、ほんとどうしたの」

「だって寒いから。あっためて、雷蔵」

 三郎は終始笑っていて、やけに陽気だ。鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だった。寝ていないからだろうかと雷蔵は思ったが、一日くらいの徹夜でここまで明るくなるのは妙だ。

  そんなことを考えていた雷蔵だったが、氷のような手で脇腹を撫でられて思考を中断させた。

「は……っ」

 雷蔵は息を呑み込んだ。 三郎が雷蔵の耳をねぶる。時折歯を立てられて、雷蔵は奥歯を噛み締めた。

 三郎は雷蔵の耳元で軽く笑って、彼の下肢に手を伸ばした。雷蔵は短く声をあげた。吐く息が熱くなってゆく。

「待っ……、三郎、待って……」

 雷蔵はゆるゆると首を横に振った。心の準備も何も無しに唐突に触れられて、頭が追いつかない。三郎の朗らかな笑顔と、身体を這う淫靡な手つきの落差に身体の底が震え、熱を帯びる。

「駄目だよ。待たない」

「あ……っ」

 三郎の指がじかに絡みつき、雷蔵は身をよじった。三郎は雷蔵の首筋に舌を這わせ、楽しそうに手を上下させる。その度に聞くに堪えない水音があがり、雷蔵は頬を赤くした。

「う……あ……あっ」

 彼に触れられれば瞬く間に反応し、快感で露を溢れさせる自分自身が恥ずかしくて仕方がなく、雷蔵はまなじりに涙を浮かべた。背中がぞくぞくし、切なくてたまらない。

「ん、あっ……あっ!」

先端を爪の先で刺激され、雷蔵は全身を震わせて精を吐き出した。雷蔵は、枕に顔を埋めるようにして顔を背けた。羞恥で、三郎の顔を見ることが出来なかった。三郎はそんな雷蔵の頭をいとおしそうに撫でた。

「……可愛い雷蔵」

 彼はそう言って微笑む。返事の代わりに、雷蔵の目から涙がこぼれ落ちた。

 三郎は雷蔵の足を持ち上げ、いつの間にやら油にひたされた指を一本、雷蔵の中にもぐり込ませた。雷蔵の喉が引き攣る。ぬめる指が粘膜に直接触れ、探るように動かされた。再び、雷蔵の下肢が熱を持ち始める。

「あっあ……、三、郎……っ」

 たまらずに泣き声をあげると、指の本数が増やされた。息苦しさと快感がないまぜになって、雷蔵はぎゅっと目を瞑った。身体がすべて、自分のものではないように感じる。

「……雷蔵、入ってもいい?」

 雷蔵の耳元で、三郎が熱に浮かされたような口調で囁く。その声が脳に響いて、雷蔵はがくがくと頷いた。

 三郎の指が勢いよく引き抜かれ、その刺激にも雷蔵は腰を震わせた。熱いものが、あてがわれる。雷蔵は、反射的に口元を抑えた。三郎が、ゆっくりと腰を進める。

「んん……ん、んんっ!」

 手のひらの下で歯を食いしばり、どうにか悲鳴を噛み殺した。額から汗がどっと吹き出す。

 三郎は根元まですべてを雷蔵の中におさめ、一度動きを止めた。

「ねえ、雷蔵。おれを見て」

 そう言われても、雷蔵は目を開くことが出来なかった。開ければそこには自分の顔がある。自分を抱く自分の姿など、見られるはずもなかった。

「ねえ、雷蔵」

 もう一度そう言って、ねだるように三郎は腰を揺すった。わずかな動きであっても雷蔵の身体に与える衝撃は大きく、また悲鳴をあげそうになる。

「……っ」

 仕方なしに、雷蔵は薄く目を開いた。紅潮し、情欲に蕩けた三郎の顔が視界に入る。恥ずかしいやらいたたまれないやら、とかく頭の中がぐちゃぐちゃになって、雷蔵の双眸から新たな涙が溢れた。

「おれ、ほんとうに昨日とは違うんだよ。分からない?」

 三郎は、すっかりあたたかくなった手のひらで、雷蔵の頬を撫でた。

「分から……っ、ない……。ご、め……」

 彼の言う変化を見付けることがどうしても出来なくて、雷蔵は震える声で謝った。三郎は、笑顔で首を横に振る。

「ううん、違うんだ。分からなくて良いんだよ。そちらの方が、おれは嬉しい」

 三郎の言葉の意味を理解しようと必死で頭を働かせようとするが、体内で三郎の熱が動きだしたので雷蔵はもう駄目だった。うわごとのように三郎の名を呼び、彼の背中にしがみつくので精一杯だった。

「……可愛い雷蔵」

 三郎は囁くように言って、雷蔵の唇に口吻を落とした。




「はあ、あったまった」

 三郎は清々しい声音でそう言って、四肢を布団の上に投げ出した。

「……最低だ」

 雷蔵はその隣で、拗ねるように身体を丸くした。未だに息が整わず、呼吸をするたびに胸が大きく動く。

「えー、良いじゃん。今日は授業も無いんだし」

「そういう問題じゃないだろ」

「……雷蔵、怒ってる?」

 雷蔵が尖った声を出したものだから、三郎は不安そうに雷蔵の顔を覗き込んだ。こういうときの三郎は、迷子の子どものようだ。

「……」

 どのように答えれば良いか分からなくて、雷蔵は黙り込んだ。果たして、自分は怒っているのだろうか。

「ごめん、雷蔵。ごめんね」

 あまりに三郎が必死で謝るので何だか彼が哀れになって、雷蔵は三郎と視線を合わせた。三郎の表情が、安堵で緩む。

「……それで、昨日のおまえと今日のおまえとでは、何がどう違うの」

 尋ねてみると、三郎はぱっと笑顔になった。

「雷蔵。きみは瞼と頬の肉付きが、少し変わった」

 そう言ってうきうきとした仕草で、雷蔵の瞼と頬を順に指さす。雷蔵は首を傾げ、頬に手を当ててみた。いつもの自分の顔である、としか感じない。

「ぼくが?」

「そう。だからおれの顔も、そういう風に変えたんだ」

「言われても、分からない」

「だろう? ぱっと見じゃ分からないくらいの、ささやかな変化だもの」

「ふうん、そういうものかな」

「きみ自身も気付いてない変化を、おれは分かってるんだと思うと嬉しくて……。ごめんね、雷蔵。だから」

 怒らないで、と小さな声で三郎は言った。そういう物言いは卑怯だと雷蔵は思った。そんな風にしおらしく謝られたら、怒るに怒れないじゃないか。

「……怒ってないよ」

 仕方なしに、雷蔵は言った。すると、三郎の顔が輝く。

「ほんと?」

「うん」

「じゃあ」

 三郎は勢いよく身体を起こし、ひとさし指を立てた。

「もう一回、しても良い?」

 満面の笑みを浮かべる三郎に、雷蔵も特上の笑顔を返した。そして握り固めた拳で、思い切り三郎の頭をぶった。ごつん、と良い音がした。