■ハロー、カルマ、ハロー■
自動販売機の側で、一年二組の鉢屋三郎と不破雷蔵が談笑している。こないだ、この自販機でジュース買ったらおつりが全部十円玉だった、とか、そんな話題で和やかに笑っている。
尾浜勘右衛門は少し離れた物陰に身を隠し、彼らをこっそりと観察していた。
「……勘右衛門、何してんの」
背後から声がした。友人の、久々知兵助だった。勘右衛門は、顎で三郎と雷蔵を指し示す。
「あそこに鉢屋と雷蔵がいるから、見てんの」
「ストーカー?」
「失敬な」
勘右衛門は、むっとして眉をつり上げた。彼は三郎と雷蔵に声をかけたい衝動を、必死で胸の底に押し込んでいたのだった。あのふたりは何も覚えていないから、折を見て八左ヱ門が紹介するまでは無闇に接触しないこと……と、兵助と八左ヱ門と話し合って決めたのだ。
「……こんな近くにいるのに知らんぷりなんて寂しいじゃん」
三郎も雷蔵も、数百年前の昔に苦楽を共にした大事な仲間である。そんな彼らに再び出会えたなんて奇跡としか言いようがないのに、こちらからアクションを起こしてはならないなんて、切ないしもどかしい。
「でも前に、三郎に話し掛けたって言ってなかったっけ」
「そうだけど、あんときの鉢屋はうんこだったからなあ……。おれ色んな意味でめっちゃ傷ついた」
何だかかんだ言って、普通に話しかければ普通に返してくれるんじゃないかと勘右衛門は思っていたのである。だから購買部で三郎とばったり会ったとき、八左ヱ門たちとの取り決めを破って声をかけてしまった。しかし、結果は惨敗だった。三郎は勘右衛門を赤の他人扱いし、勘右衛門は悲しさのあまりアイスも喉を通らなかった。
「……そういうことがあるから、八左ヱ門が紹介してくれるまで絡まないでいよう、って話になったんじゃん」
「分かってるけど、我慢出来ないことってあるじゃん」
「気持ちは分からなくはないけど」
「あーあ……栗ご飯……」
ぽつりと呟くと、兵助は「栗ご飯?」と首を傾げた。勘右衛門は振り向いて、やたらと姿勢の良い友人に、最近思い出したばかりの記憶を披露する。
「四年か五年のときに、みんなで栗ご飯食わなかったっけ」
「ああ、それなら二年の秋から毎年やってたよ」
あっさりと返って来た答えに、勘右衛門は「毎年……」と繰り返した。それを聞いた瞬間、脳裏に様々な光景があらわれる。そうだ。そうだった。勘右衛門は思い出した。
「そうだ、裏山で栗拾いに行くんだよな。他の学年に先を越されないよう、無駄に忍者スキル使って情報収集したり、牽制し合ったり」
「そうそう」
「うっわあ、なっつかしいなー!」
思わずはしゃいだ声をあげると、それまで笑顔だった三郎が怪訝そうな顔になり、勘右衛門たちの方に身を乗り出した。
「……何か、あそこに誰か隠れてない?」
「やっべ兵助逃げるぞ!」
勘右衛門は、兵助の手を引いて脱兎の如く駆け出した。しかし納得がゆかない。友達なのに、どうしてこんな風に逃げ回らないといけないのだろう。そう思う度に、勘右衛門はこの上なく悲しくなるのだった。
ああ、鉢屋や雷蔵とも話したい。無理矢理でも良いから何かきっかけを作って、彼らと触れ合いたい!
「兵助、お菓子屋寄ってこう。ハロウィンの菓子見たい」
放課後になり、帰り支度を済ませてから兵助に声をかけた。兵助は不思議そうな面持ちで、大きな目を瞬かせる。
「買うの?」
「そんな金ねえって。見るだけで楽しいじゃん、ハロウィン。トリック・オア・トリート、つって」
「勘右衛門って、そういう祭り好きだよな」
そう言って、兵助は立ち上がった。彼の言うとおり、勘右衛門はお祭り騒ぎが大好きだった。今の時期はどこもかしこも、カボチャのお化けや黒猫をモチーフにしたお菓子や雑貨で溢れている。オレンジ、黒、紫のコントラストを眺めているだけで心が躍る。
「だって仮装とか面白いしさ。あ、仮装って言ったら、なんか鉢屋を思い出すね」
「あいつは仮装じゃなくて、変装だけどね」
「あっ! ひらめいたっ!!」
勘右衛門は大声で叫んだ。その声は、一年一組の教室中に響き渡った。残っていたクラスメイトたちが、一斉に勘右衛門の方を見る。勘右衛門本人よりも兵助の方が恥ずかしそうに、「勘右衛門、声がでかい」と言った。しかし、それは勘右衛門の耳には届かない。彼は、まるで稲妻のように頭に落ちてきた、あるアイディアに虜になっていた。
「おれひらめいたよ。ハロウィンやろう。そんで鉢屋と雷蔵に絡もう」
「絡む?」
「仮装して、トッリクオアトリートやんの。あいつらに。おれらだってことが向こうに分からなかったら、別に接触したって良いじゃん?」
お祭りに参加出来て、かつての友人たちと触れ合うことも出来る。一石二鳥である。勘右衛門は、目を輝かせた。しかし、兵助は微妙な表情をしていた。
「うーん……。怪しまれて終わりな気がするけど……」
「鉢屋は警戒するかもだけどさ、雷蔵はお菓子くれる気がする。結構ノリ良いじゃん、雷蔵って」
「まあ……雷蔵は、そうかもなあ。お菓子持ってるかどうか分かんないけど」
「いや、雷蔵は持ってるよ。だって毎日、鞄からビスコとかクッキーとかマーブルチョコとか出してるもん。毎日持って来てる派だ、あれは」
「……勘右衛門、クラス違うのに何でそこまで知ってんの。ほんとストーカーっぽいからやめた方が良いぞ、そういうの」
「失敬だな。忍者としての観察力だっつうの。それよりもおれ、カボチャのあれやりたい。段ボールと画用紙で出来るかなあ。オレンジの画用紙買いに行こう。あ、兵助は白が良い?」
「誰が豆腐小僧だ」
「ツッコミが早いよ兵助くん!」
まだそこまで言ってないのに、と勘右衛門は腹を抱えて笑った。しかし、兵助はこのハロウィン作戦に対し「やるな」とは言わなかった。きっと彼も表には出さないだけで、三郎や雷蔵のことを遠巻きに眺めるしか出来ないこの状況を歯がゆく感じているのだ。勘右衛門は、ますます気合いに燃えた。ハロウィン文化、万歳である。
「……何とか出来た! ギリギリだけど!」
勘右衛門は完成したばかりの、ジャックオランタンのはりぼてを高く掲げた。鮮やかなオレンジのかぶりものは、教室の風景にまったく馴染まず、ぽっかりと浮かび上がっていた。
「ほんとギリギリだけどな。」
兵助はため息をつく。今日は十月三十一日。ハロウィン当日である。しかも、もうすぐ昼休みが終わってしまう。
「そうなんだよ、急がないと! 早く二組行こう、兵助!」
勘右衛門はかぶりものを手に立ち上がり、足踏みをして兵助を急かした。兵助は、嫌そうに彼の手元のかぶりものを見やった。四角い段ボールを白く塗っただけの代物が、そこにある。
「……おれ本当に、これかぶるの?」
「勿論だ豆腐小僧!」
「…………」
何か物言いたげな兵助のことは構わずに、勘右衛門は段ボールで作ったジャックオランタンを勢いよく頭にはめた。かぶり心地は悪くなかった。しかし、とても大切なことに気が付いてしまった。
「あっ、兵助大変だ! 目の位置合わせるの忘れてた! 前が死ぬほど見づらい!」
カボチャの頭部が大きい為にバランスが取れず、少し身体を動かすだけでぐらんぐらんと頭が揺れ、その度に視界が確保出来たり出来なかったりするのである。これは致命的な欠陥であった。兵助からも、「えええーー駄目じゃん」という落胆の声があがる。しかし勘右衛門は、ここで立ち止まる訳にはいかなかった。
「でも時間が無いから、これで行く!」
そう言って、無理矢理走り出す。二歩目で右脚を机で痛打し、その場にしゃがみ込んだ。兵助が、溜め息をつく気配がする。
「あーあー……」
「……いざ出陣! よき戦にしようぞ!」
そんな困難にもめげず、勘右衛門は立ち上がった。そして頭をふらふらさせながら、教室の出入り口へと歩いてゆく。兵助のくぐもった呟きが聞こえる。
「戦国がやりたいのか、ハロウィンがやりたいのか、どっちなんだよ……」
勘右衛門たちが廊下に出た瞬間、行き交う生徒たちが「うわっ」とか「きゃあ!」とか驚きの声をあげた。
「あー、やばい、ほんと見えん。あっ、すいません。わっ、ごめんなさい」
前がよく見えないので、しょっちゅう誰かとぶつかってしまう。勘右衛門は、何度も何度も謝りながら危なっかしい歩調で廊下を歩いた。そのときである。兵助が、腕をつかんできた。
「尾浜殿、子の方角に三郎と雷蔵が」
「マジでござるか。あ、すんません」
三郎と雷蔵の名を聞き、ときめいた瞬間また誰かとぶつかった。勘右衛門は、三郎と雷蔵がいると思われる方角に向かって、よたよたと歩いた。
「何だこいつら」
怪訝そうな声に、勘右衛門は足を止めた。これは、三郎の声だ。ついで、「おお、ハロウィンだ」と、楽しそうに笑う声が聞こえた。こちらは雷蔵だ。相変わらず前は見えないが、分かる。
勘右衛門は、胸が高鳴るのを感じでいた。とうとう、この瞬間がやって来たのだ。彼は勢いよく腕を広げ、息を吸い込んだ。
「トリック・オア・トリー……」
「あ、向きがちょっと違う。こっちこっち」
兵助が後ろから、勘右衛門の肩を掴んで向きを変えた。
「こっち?」
「もうちょい……ストップ、行き過ぎ」
「ああもう、前見えねえの不便だな」
「……雷蔵、行こう。何かこいつら気持ち悪い」
三郎の声。彼は、こちらを全力で警戒しているようだった。やばい。立ち去られたら、この格好のままでは追いかけることが出来ない。(危なくて)
「え、ええ……ど、どうしよう」
雷蔵は迷っている。勘右衛門は焦った。視界は依然として、暗い。
「こっち? もっと? あっ」
身体をぐるりと捻ったら、何かに腕がぶつかった。ばきっ、という音。兵助の段ボールだ、と直感した。
「うわっ!」
兵助の悲鳴と共に、重い衝撃が肩口に襲いかかってきた。カボチャが斜めになって、一瞬目の前がクリアになった。兵助がこちらに向かって倒れてくるのが見えた。勘右衛門と衝突して、バランスを崩したのだ。あっと思ったが、避けられない。受け止めることも出来ない。
勘右衛門と兵助は、もつれるようにしてその場にひっくり返った。段ボールの破片が宙を舞う。
「いっ、てえ……! 雷蔵と鉢屋は……」
尻と背中をしたたか打ち付けて物凄く痛かったが、それよりも三郎と雷蔵だ。勘右衛門は慌てて身体を起こした。しかし、真っ先に彼の視界に飛び込んできたのは、三郎でも雷蔵でも無かった。一年一組の担任教師である。まだ年若い男性教師は、冷ややかな視線を勘右衛門たちに注いでいた。
「はい没収」
教師は、淡々と言って勘右衛門の力作であるカボチャのかぶりものを取り上げた。ああっ、と勘右衛門の口から悲鳴が飛び出す。
「ええええっ何で!」
「授業に関係無いから」
正論すぎる。しかし勘右衛門は食い下がる。
「ハロウィンですよ、先生!」
「これで我慢しとけ」
そう言って先生が勘右衛門の手のひらにのせたのは、病院で処方されるトローチだった。こんなの菓子じゃないし、先生から貰っても意味が無い。しかも、三郎と雷蔵はいつの間にかいなくなってしまっている。急速に倦怠感が全身を襲い、勘右衛門はがっくり肩を落としたのだった。
ちくしょう、ハロウィンなんてくそ食らえだ!
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