■太陽は僕の敵■

 夏だ! プールだ!

 ……ということで、ぼくは三郎と共に意気揚々と市民プールへと赴いた。

  そうしたら、市民プールは定休日だった。

  ぼくたちは頭を抱えた。そして絶望した。今日は快晴で、日差しが暴力的なまでに強くて、セミの声はフルボリュームだ。真夏だ。真夏なのだ。なのにプールに入ることが出来ない。最悪だ。

 ああ、どうしても諦めきれない。だって暑い。物凄く、暑い。今だって背中を汗が滑り落ちて行っているのが分かる。暑い。暑い。プールが恋しい。だけど目の前にある扉は閉まっていて、中は真っ暗だ。酷い。暑い。暑い。

「……三郎、帰ろう」

 首筋の汗をTシャツで拭い、ぼくは三郎に声をかけた。三郎は悲しげにため息をつく。

「……そうだね、仕方ないよね……閉まってるんじゃね」

「ぼくん家帰って、プールやろう」

 言いながら、ぼくは自宅に向けて大きく足を踏み出した。三郎が「雷蔵ん家で?」と首を傾げながらついて来る。ぼくは頷いた。

「そう。小さいときに使ってた、ビニールプールがあるから」

 確かまだ、捨てずに取ってあったはずだ。もう手段は選んでいられない。何が何でもプールに入ってやる。ぼくは完全に意地になっていた。何もかも、夏が悪いのだ。

「それは……男子高校生が使っても大丈夫なやつなの?」

 三郎が少し不安そうに尋ねてきたけれど、ぼくは何も言わずに歩いた。大丈夫か大丈夫じゃないかで言うと、大丈夫じゃないかもしれない。ビニールプールを出すならば場所は庭しかなく、多分、お隣さんからは丸見えになる。子供用のビニールプールで遊ぶ男子高校生ふたり。……大丈夫じゃない気がする。

 いや、しかし引き返せない。ぼくは絶対に、プールに入らなければならないのだ。











「あ、思ったより大きい」

 ぼくん家の庭にて、膨らませ終わったビニールプールを見て、三郎は小さく手を叩いた。青地に魚の絵がプリントされた、円形のビニールプールである。

 ぼくも、三郎と同じ感想を抱いた。思ったより大きい。足を伸ばして入るのは無理だけれど、水浴びするには充分なサイズだった。もう随分長いこと使っていないから、懐かしさと新鮮さが入り交じった不思議な気持ちになる。

「じゃ、水を入れるね」

 ぼくは洗車用のホースを引っ張ってきて、ビニールプールに水をどんどん注いだ。ぼくたちは二人とも、既に水着姿になっていた。入る気満々である。

「どっちが先に入る?」

 少しずつ水面が上がってゆくのを見詰めながら、三郎に尋ねた。こうしている間も、暑くて仕方が無い。三郎も暑いだろうから、ジャンケンかな……と思っていたら、三郎がこんなことを言った。

「えっ、一緒に入るんじゃないの?」

「一緒に?」

 ぼくはびっくりして、顔を上げた。

「いや、ふたり一緒は流石にきついよ。色んな意味で」

 飽くまでもこれは、子供用なのだ。ふたりで入ったら、みっちみちになってしまう。それはどうなんだ。ただでさえ、男子高校生とビニールプールだなんて際どい組み合わせなのに、そこにふたり一緒、というオプションをつけるのは確実にアウトなのではないか。

「でも交代だったら、待ってる間に片方が死んじゃうよ」

 三郎は真面目な顔で言った。頭上では、太陽がこうこうと輝いている。とても説得力のある発言だった。

「じゃあ、ふたりで入ろうか」

 深く考えずに、三郎の提案を受け入れた。ぼくも早く入りたかったし、太陽の熱とセミの大合唱に脳をかき混ぜられ、きちんと物事を考えるのが面倒だったのだ。










「つめたっ! つめた!」

「やっぱ、心臓に水かけてから入るべき?」

「べきじゃない?」

「これ、ふたりはやっぱきついよ」

「いや、いけるいける。何とか入る」

「せっま!」

 ぼくたちは笑いながら、向かい合う格好でビニールプールに身体をねじ込んだ。どうにかふたりとも入ったけれど、きつい。ほとんど身動きが取れないくらいだ。だけど水が冷たくて気持ちが良い。全身を覆っていた熱から解放され、やっとプールに入ることが出来たという達成感にテンションが上がってくる。ふたりで入っていっぱいいっぱいなので、プールと言うよりは正直風呂みたいなものだけど、その辺は気にしない。

「はー……気持ち良い……」

 ぼくはプールの縁に肘を乗せて、しみじみと息を吐いた。三郎は、手で水面をぱしゃぱしゃやっている。

「おれ、こういうプール初めてだ」

「そうなんだ? 三郎って、意外と色んなことが初めてだよね」

 三郎は、物知りなようで色んなことを知らない。この間はウノをやったことがないと言っていたし、夏祭りや花火大会も行ったことがないらしい。だからぼくは、今年の夏は三郎を夏祭りや花火大会に連れて行かなければならないので、忙しいのだ。

「雷蔵は、このプールでどういう風に遊んでたの?」

「ええとね、そうそう……ホースにこれをつけて」

 ぼくはプールから身を乗り出して、傍らに転がしてあったシャワーヘッドを拾い上げ、それをホースに取り付けた。そして更に手を伸ばし、水道の蛇口を捻る。

「こうやると、もっと涼しいよ」

 そう言って、ぼくは三郎の頭上からシャワーの水をかけてやった。三郎は「おおー」と言って嬉しそうに目を細めた。冷たい飛沫がこちらに飛んで来るので、ぼくも気持ちが良かった。

「雷蔵、雷蔵。おれにも貸して」

 三郎が手をひらひらさせるので、ぼくはホースを彼に手渡した。そうしたら、三郎はシャワーヘッドを急にぼくの顔へと向けてきた。

「うわっ!」

 慌てて顔を背けたけれど間に合わず、顔面へまともにシャワーを浴び、思い切り水を飲んでしまった。三郎はけらけらと笑っている。そうなれば、こちらも仕返しをしなければならない。ぼくは三郎からホースを奪おうと、彼に向かって両手を伸ばした。ばしゃんと水面が大きく動き、水が外に溢れ出す。

「そんなに動いたら危ないよ! ひっくり返っちゃうって!」

 三郎は笑いながら、シャワーをぼくから遠ざける。ぼくも笑って、彼の手を追い掛けた。

  しばらくの間、シャワーを巡っての攻防戦を繰り広げていたら、三郎が「雷蔵、あのさ」と小さな声で呼びかけてきた。

「何? どうかした?」

 ぼくはシャワーを狙いながら彼に尋ねた。三郎は、もじもじしながらこう言った。

「たってきちゃった」

「ちょっ……」

 ぎくりとして、ぼくは手を止めた。たってきちゃった、って。たってきちゃった、ってお前。いやいや。お前。ここは庭で、お隣さんから丸見えの場所なのだ。

 瞬く間に頬が熱くなるのを感じながら、ぼくは首を横に振る。

「い、いやいや。いやいやいや」

 若干引きそうになっているぼくを見て、三郎は「だ、だって」と言い訳するように吐き出した。

「しょうがないよ。こんな狭いとこで、こんな格好できみと密着してたら、そうなるよ」

「ば……ばか、やめろよ。言葉に出して説明するな」

 ぼくは全くそんなこと考えていなかったのに、ただ純粋にプール遊びを楽しんでいただけなのに、そういう風に言われたらぼくだって考えてしまうじゃないか。三郎の髪の毛が濡れて肌に張り付くさまだとか、顎から水滴が落ちて鎖骨を滑ってゆく道筋だとか、あまり日に焼けていない腹筋の窪みだとか、ぼくを見詰める熱っぽい目だとかを、ぼくも思いっきり意識してしまうじゃないか。

「…………」

 今まで笑いながらはしゃいでいたのに、急にぼくたちは静かになった。代わりにというか何というか、セミがけたたましく騒いでいる。水は冷たいけれど、触れ合っている膝と膝が熱い。

 違う。今日はそういう日では無いのだ。

 ぼくは三郎の顔を見ていられなくて、彼の手からシャワーを奪って頭からばしゃばしゃ浴びた。それでも、熱は引かない。むしろ、どんどん熱くなってゆく気がする。

 何だこれ。何だこれ。

 何だこれ夏って怖い!!




オチなんて無い!