■カウントダウン  10■


 ほとんど何も喋らないまま、三郎と共にぼくの部屋に入った。ぼくが先で、三郎が後。ばたん、とドアが閉まる。床に出しっぱなしになっている教科書やら文庫本やらが目について、ぼくは無性に恥ずかしくなった。普段からぼくの部屋はあまり整頓されていないし、三郎が来るからといって特に掃除したりもしないのだけれど、今日だけは片付けておけば良かったという気になった。

「…………」

 背後で三郎が、何も言わずに鞄を床におろした気配がした。ぼくも無言で、通学用の鞄を机の上に置く。静かすぎて、耳が痛かった。ムードが盛り上がって言葉がなくなる……とかそういうのではなく、気まずい沈黙だ。今からそういうことをしようというのに、こんな空気で良いのだろうか。

「雷蔵」

  三郎は言って、ぼくの肩に手を置いた。背筋に緊張が走り、心音がどんどん早くなった。

「雷蔵、こっち向いて」

 促されるが、すぐには動けなかった。鼓動のスピードがやばい。胸だけでなく、頭の中もばくばく鳴っている感じがした。

 ぼくはゆっくりと、振り返った。目を合わせるのが恥ずかしくて、彼の喉元辺りを見た。それなら冷静でいられるかと思ったけれど、首のラインとか喉仏だとかを見ているだけでも、胸が鳴った。

 三郎はぼくの腕を掴み、耳元にくちびるを寄せて来た。

「本当に、良いの?」

  すぐ近くで響く声にくらくらしながら、ぼくは黙って頷いた。

「待って、って言っても待たないけど」

「わ、分かってる……よ」

 ぼくが震える声で言い終わるのとほぼ同時に、三郎はぼくの腕をぐいと引いてやや乱暴に顎を掴み、くちびるを合わせてきた。濡れ濡れとした舌が口の中に滑り込んでくる。

「……っん、んん……っ!」

  三郎の舌が絡みついてきて、ぼくはくぐもった声をあげた。ぬるぬると、上顎を舐められる。どんどん、息が荒くなってゆく。恥ずかしい。頭が熱い。本能が揺さぶられる感じがする。あと、三郎に掴まれている顎がちょっと痛い。

 一瞬、口が離れたと思ったら、肩を掴まれてベッドに押し倒された。その拍子に、背中の下で、ぐしゃ、と紙の潰れる音がした。多分、何かのプリントだ。学校に提出しないといけないやつだった気がするので、救出しないと……。なんてことを一瞬だけ考えたけれど、三郎に耳を舐め上げられたら心がごうっと燃え上がり、プリントのことなんかどうでもよくなった。

「はあっ、は、あ……っ」

 上擦った吐息がぼくの口から漏れる。三郎はぼくの耳たぶを甘噛みしながら、両手でぼくの髪の毛をまさぐった。頭のてっぺん辺りを探るようにして撫でる。気持ちが良い。

 三郎はぼくのネクタイに指を差し入れてほどき、シャツの胸元に手を掛けた。だからぼくも三郎のシャツのボタンを外そうと手を伸ばしたら、やんわりと押し戻された。

「……何だ、よ……お前も……」

 お前も脱げよ、と言う前に 三郎はぼくのシャツのボタンを全部外してしまった。無造作に、シャツを左右に開く。ブレザーは羽織ったままだし、ネクタイも首に引っ掛かっているのに素肌をあわらにしているという状況が恥ずかしくて、ぼくは歯をぐっと噛み締めた。

 三郎はぼくの腹に顔を伏せ、へその辺りから胸元まで、つつつ、と舌先を滑らせた。

「……っぁ、あ……っ」

 微かな刺激に、ぼくは小さな声をあげた。 むず痒くて、もどかしかった。三郎はぼくのベルトを外し、ファスナーを一気に下ろした。下着の上から触れられて、ぼくは身を捩る。身体の下で、また、ぐしゃっと嫌な音がした。さらば、プリント。

「あ……ぅ、う……」

 三郎はぼくの下着をぐいと下ろして、とっくに固くなっている部分に直接触れた。腰が震えて、ぼくは息を詰める。

「あっ、ぁあ……あッ」

「……雷蔵……」

 三郎はぼうっとした声で呟いて、ぼくのズボンを引っ張って、すぽんと片足だけを引き抜いた。そのまま足を大きく開かされたので、ぼくはぎょっとした。

「ちょっ、と……三郎……!」

 三郎は全然脱いでいないのに、ぼくだけ着衣を乱して足を開くなんて恥ずかしすぎる。だというのに三郎はぼくの下腹に顔を伏せ、躊躇なくぼくのものを咥えたのだった。

「うあ……っ!」

 生温かな感触に、ぼくの口から悲鳴みたいな声が飛び出した。三郎の舌が、唾が、ぼくのものをぬるりと這う。熱い。だけどぞくぞくする。喉が引き攣って、変な声しか出なかった。

「三郎……待っ……あっ……ぁ、待っ、て……」

  ぼくは三郎の肩を押した。三郎はほんの少しだけ目線を持ち上げて、不満の滲んだ口調でこう言った。

「待たない、って言ったじゃん」

 息がかかる。それだけでいきそうになって、ぼくは涙声で訴えた。

「そ……そうじゃなくて……は、恥ずかしい」

「…………」

 三郎は、ほんの少し笑ったみたいだった。そしてまた、ぼくのものを呑み込んでゆく。

「いっ、あ……っ、あ、ぁっ」

 くちびるで圧迫しながらねちっこく舐められて、ぼくは喉を反らして身体を震わせた。

「……っ!」

 三郎の指がもっと奥まで伸びてきて、ぼくは足の爪先を突っ張らせた。ローション的な何かに浸された指が、周りを揉むように動く。その間も口を離してくれなくて、ぼくはみっともない声をあげつづけた。気持ちが良くて、頭の中が煮えてしまいそうだ。

「さっ……、さぶろ、う……っ、も……もう、出、るから……っ」

 限界がすぐそこまで来ていて、息も絶え絶え、言った。三郎は目を細めて、わざと音を立ててぼくのものを舐めながら、ぐいっと指を一本、中に突き入れた。

「う、あっ、あ、あぁっ!」

 そんなことをされたら我慢出来るわけがなく、ぼくは腰をがくがくと痙攣させながら精を吐き出した。三郎はそれを口で受け止める。ぼくはしばらく、まともに息が出来なくて胸を大きく上下させた。

「三郎、口……ごめん……」

 呼吸が多少落ち着いてから、ぼくは泣きそうになりながら言った。あろうことか、口の中に出してしまった。物凄く気持ちよかったけれど、罪悪感が尋常じゃない。そうしたら三郎は喉をごくりと動かして「うん、大丈夫」と言った。飲んだ。飲みやがった。信じられない。

「大丈夫じゃない……」

 ぼくは三郎から目をそらした。本当に、信じられない。

「それより、雷蔵。こっちに集中して」

 三郎はそう言って、ぼくの中に入れたままの指をぐるりと捻った。声が出ないくらい、気持ちが良かった。ゆっくりと出し入れされると、下肢がとろけそうになる。

「ん……っ、ぁ……」

 内側を擦られる快楽に耐えていると、ぼくの身体に異変が起こった。

  あの例の、瞼のじりじりが始まったのである。何でここで来るんだ、と思った。ぼくは、三郎としたいのだ。それ以外のことは考えたくないのだから、邪魔しないでくれ。

 勿論三郎はそんなことは知らないので、二本目の指を中に押し込んで来る。背筋に電気みたいな快感が走る。それと同時に瞼がびりびりっと痺れて、ぼくは首を横に振った。  

「あっ……や……っ、いや……っ」

 気持ちが良い。瞼が痺れる。嫌だ。そちらに意識を持って行かれたくない。失敗したくない。集中。集中したい。三郎のことだけを考えたい。

「……嫌って言っても、やめないよ」

 三郎が眉根を寄せる。誤解されたくなくて、ぼくは更に必死になって首を振る。

「違……っ、そ、じゃ、ない……っ、あ、ぁ……」

「……じゃあ、続けて良いの?」

「良い……っ、ぁ、三郎……っ」

 ぼくは何度も頷いた。彼が指を動かす度に、ローション的な何かがぐちゃぐちゃといやらしい音を立てる。恥ずかしい。瞼が痺れる。内股がびくびくする。気持ちが良い。瞼が、瞼が痺れる。嫌だ。嫌だ。

 また、瞼の裏に写真のようなものがちらつく。嫌だ。そんなのはいらない。今度は人の影のようなものが見える。嫌だ。いらない。三郎。三郎。

「三郎……っ、三郎、好き……っ」

  どうにも恐ろしくなって、ぼくは三郎にしがみついた。三郎が、息を呑む気配がする。

……ぼくは三郎のことが好きだ。三郎と抱き合いたい。瞼に浮かんだ人影は誰なんだとか、そんなことは考えたくない。

「きみはほんと……ずるいよね……」

 三郎はため息混じりに言って、ぼくの足を抱え上げた。ぼくは早く、三郎と繋がりたかった。そうすれば、瞼がじりじりするとか何かが見えるとか、そんなことも全部忘れられると思ったのだ。

 やわらかくなったその部分に、三郎のものが押し当てられる。ぼくは深く息を吐いて、それを待つ。ぐ、と先端が沈む。ぼくは小さく声をあげた。

「んっ……」

「……っ」

 少しずつ、三郎が身体を進める。目の痺れはどんどん大きくなり、目が開けていられないくらいになった。

「い……っ、ぁ、う」

 ぼくは身を捩る。三郎を受け入れたいという気持ちとは反対に、身体は強張り三郎の進入を押し止めようとする。

「……雷、蔵……っ」

 三郎が苦しそうに、ぼくの名前を呼ぶ。ぼくは焦る。身体の準備は、整っているはずなのだ。それに、三郎としたい、という心もある。気持ちよくなりたいし、三郎にも気持ちよくなって欲しい。なのに、駄目だった。

「……ぃ、っ……」

 三郎は腰を押しつけようとするけれど、ぼくの中はそれを許さず、拒むようにうねる。焦れば焦る程、上手くゆかなかった。

 こんなことは、初めてだった。だってぼくと三郎は、初めてのときから上手くいっていたのだ。そりゃあ、翌朝なんかはつらいときもあったけれど、している最中はずっと気持ち良いばかりだった。それなのに今は、苦しい。辛い。身体が潰れそうだ。

「雷蔵……力、抜い、て」

 三郎は汗ばんだ手でぼくの足を抱え直した。彼も辛いはずだ。ぼくはますます、焦燥に駆られる。追い詰められる。どうしよう。ちゃんとしないと。だけど、ああ、目がばちばちする。

「抜いて、る……つも……り、だけ、ど……っ」

 ぼくは掠れた声で呟いた。もういっそ、無理矢理にこじ開けて貫いて欲しい。そう思ってぼくは、三郎の腰をぐいと抱き寄せようとした。そうしたら下肢に、ぎりっと痛みが走った。

「いっ……!」

 露骨に痛そうな声を出してしまって、ぼくは慌てて口を塞いだ。

「ご、ごめん……!」

 三郎ははっとした様子で、身を引こうとした。ぼくは咄嗟に手を伸ばして、三郎の腕を掴んだ。ごめん、という響きが胸に突き刺さる。悪いのはぼくなのに、謝らせてしまった。やばい。どうしよう。どうしよう。頭の中がぐるぐるする。どうしよう。

「だっ、大丈夫、大丈夫だから……っ」

 ぼくは何度も「大丈夫」を繰り返した。だけど、三郎の表情はすっかり曇ってしまっている。どうしよう。どうしよう。

「嫌だよ、やめないで……」

 ぼくは懇願するけれど、三郎はぼくから身体を離して目を伏せた。

「……そんなこと言ったって……」

 三郎は呟く。

  そんなこと言ったって、きみが受け入れてくれないならどうしようもないじゃないか。

  ……そういう言葉を呑み込んだのが、ありありと分かった。
 
 さあっと、視界が暗くなった。終わった、と思った。ぼくのせいでふたりの仲が気まずくなって、どうにか仲直りしようと思ったのに、またぼくのせいでこんな事態になってしまった。最悪だ。ぼくは何をやっているのだろう。

 ぼくは、呆然となりながら身体を起こした。三郎はぼくのことを見てくれない。もう駄目なんだと理解する。その瞬間、悲しみがどっと全身にのしかかってきた。

「う……っ」

 くちびるから息が漏れると同時に、ぼくの両目から涙が溢れ出した。

「うっ……う、……ぅ、え……っ」

  大粒の涙は次から次へとこぼれ、ぼくの手の甲や膝に落ちた。泣いてどうするんだ、と思うが止まらなかった。自分が情けないし、憎い。三郎に申し訳無い。

「……ら、雷蔵?」

 ぼくが泣いていることに気付いた三郎が、戸惑ったようにぼくの名前を呼ぶ。ああほら、三郎だって引いているじゃないか。泣き止まないと。それで、謝らないと。しかし涙はむしろ勢いを増して、ぼくの頬を流れ落ちた。

「ごめ……ん、ごめん……っ、ごめん……!」

 結局ぼくは子どもみたいに泣きじゃくりながら、謝った。三郎は、おろおろとぼくの背中をさする。

「ら、雷蔵、雷蔵泣かないで」

「っう……、三郎、ぼくのこと……嫌いにな……っ」

「な、ならないよ! なるわけないじゃないか。おれが雷蔵を嫌いになることだけは、あり得ないから」

 三郎は声を引っ繰り返して、早口で言った。こんなときでも三郎は優しいのだと思ったら更に泣けてきた。

「ほん……ほんとに……?」

「本当だよ。おれは雷蔵のことが好きだよ」

 三郎は、ぼくの目を見て言ってくれた。その顔を見たいのに、ぼくの視界は涙で霞んでしまっていた。

「うっ……ううっ、う……えっ……う、ぅ」

「大丈夫だよ、雷蔵」

「ごめ……っ、ごめん……っ」

「謝らなくて良いから」

「ぼく、本当に、さっ……三郎のこと……っ、好……」

「うんうん。それもちゃんと、分かったよ。ほら、涙拭こう」

 三郎はズボンのポケットからハンカチを取り出して、ぼくの目元にそっと当てた。ぼくの涙はまだまだ止まる気配がなく、瞬く間にハンカチを濡らした。

「だっ……て、ぼ、くから……い、言った、のに」

「ううん、焦らせたおれが悪い。ごめんね、雷蔵」

「違……っ、ぼくが、三郎と……したかっ……」

「うん。そう言ってくれて、嬉しい」

「それなのに……っ」

「気持ちと体が噛み合わないときだって、あるよ。駄目なときは駄目で、良いんだよ」

「…………っ」

 ぼくは言葉を詰まらせて、うつむいた。三郎はそんなぼくを抱き寄せて、よしよしと頭を撫でてくれた。三郎の身体はあたたかくて、引っ付いていると安心した。

  ぼくは泣いて、泣いて、何度も「ごめん」と「好き」を言った。三郎も何度も、雷蔵のことが好きだと言ってくれた。ぼくはこんなにもぐだぐだなのに、好きだと言って貰えるのが嬉しくて申し訳無くて、ぼくはそれから随分と長い時間、泣き続けていた。